ホロヴィッツ・シリーズの新機軸『死はすぐそばに』が出た!
文=柿沼瑛子
アンソニー・ホロヴィッツの新作『死はすぐそばに』(山田蘭訳/創元推理文庫)が出た! 新作が出るたびに、今回は語り手のホロヴィッツがどんなひどい目にあわされるのか楽しみにしている邪な読者は私だけではないと思われるが、その期待は見事に裏切られる。というのも本作はホーソーンがホロヴィッツと出会う前の事件という設定だからである。ネタ切れで悩むホロヴィッツは、以前ホーソーンがちらりと明かした過去の事件について書きたいと提案するが、ホーソーンは乗り気ではない。それでも五年前の事件の資料をしぶしぶ渡してくれるのだが、あいかわらずのイケズぶりを発揮して小出しにしか出さないものだから、ホロヴィッツは常にニンジンを目の前にぶら下げられたロバ状態で欲求不満に陥る(これは今に始まったことではないが)。
というわけで今回はホロヴィッツが物語に仕立て上げた原稿にホーソーンがケチをつける、もとい見逃した重要な手がかりを補足していくという、これまでになかったパターンが展開される。当時のホーソーンの助手だったダドリーは元警察官で、どう考えてもホロヴィッツよりはるかにプロフェッショナルで役に立つのだ。そんな優秀な助手がどうして今いないのか?
この作品はとりわけクリスティへのオマージュ色が濃く、第一部を読むと、まるっきりクリスティの小説を読んでいるのではないかと錯覚してしまうほどだ。小さな「村」のようなコミュニティに閉じ込められたハイソな住民たちの、小さないざこざから始まった殺人事件。クリスティの作品に出てくる名前があちこちに出てくるし、最後に明らかになる犯人の造型もまたいかにも後期クリスティらしい。
巻数を重ねるごとにどんどん文庫本が厚くなり「いつ読み終わるのか、でも終わらないでほしい!」とファンを悩ませるワシントン・ポー・シリーズもついに上下二巻になってしまった! M・W・クレイヴンの最新作『ボタニストの殺人』(東野さやか訳/ハヤカワ・ミステリ文庫上下)では、いかにも殺されて当然という男性優位主義者を狙った衆人環視下の殺人が起り、犯人は次のターゲットと目された人物(どれも殺されても仕方がないと思えるような奴ばかり)に押し花と脅迫状を送りつけることから「ボタニスト」と呼ばれるようになる。この連続殺人犯の捜査にポーを始めとしてティリーやフリン警部も駆り出されるのだが、それだけでなく盟友エステル・ドイル(あのドクターXのようなセクシー&クールな監察医!)が父親殺しの容疑で逮捕され、ポーは距離にして五百キロ以上離れた事件をかけもちで解決しなければならないはめに。
物語は日本の西表島で始まるのだが、これがいったい何のつながりがあるのかと思えばなかなか出てこない。読者は下巻で「あー、そういうこと!」と膝を叩くことになる。犯人の正体は中盤でわかるのだが、巧妙に逃げ回る犯人と追跡する側(ポー、ティリー、ドイル)との丁々発止の頭脳戦がたまらない。
でもってそんなすっきり爽快な気分からはほど遠いのがリズ・ニュージェントの『サリー・ダイヤモンドの数奇な人生』(能田優訳/ハーパーBOOKS)だ。ヒロインのサリーは父親の「ゴミと一緒に捨ててくれ」という言葉にしたがって、父親の死体を焼いてしまい、いちやく「時の人」になる。実はこの父親、かつて高名な精神科医でありながら、娘のサリーとともにほとんど隠遁生活を送ってきたので、サリーは四十二歳だけど妙に浮世離れというか子供じみたところがある。父親の遺書を読んだ彼女は、自分の出生にまつわる凄惨な「過去」に衝撃を受ける。読者はサリーの子供っぽい頑なさに、「それはいっちゃダメ!」「それはいわなくちゃダメ!」と心の中で叫びつつ、ひとつひとつ社会性を学んでいく不器用なヒロインに共感を覚え、彼女のまわりの心優しい他人たちもまた手を差しのべようとする。
だが、他人が「親切」「善意」と思っていることが、はたして本当にそうなのか──サリーと親切な他人との間の「齟齬」は読んでいてハラハラさせられる。私自身はさほどダークとは思わないのだが、あまりにダークすぎて、アメリカ版では書き足された一章がどんなものなのかも非常に気になるところだ。
すっきりした結末がお望みの方にお勧めなのがサイモン・モックラーの『極夜の灰』(冨田ひろみ訳/創元推理文庫)。時代はベトナム戦争真っ只中の1967年末、アメリカはソ連との対決を見据えて、グリーンランド極北の地下基地でミサイルの配備をひそかに進めていたが、その計画は途中で頓挫する。どんどん基地が縮小されていくさなかに火災事故が起こり、重度の火傷を負った男が一人だけ生き残る。亡くなった他の二名の死因もまた火傷によるものだったが、一方は人間の形をとどめていたにもかかわらず、もう一人は原形をなしていなかった。いったいこの差は何によるものなのか。
CIAに協力する精神科医ジャックは、事故の原因を探るために、ただ一人生き残ったコナーに訊問を試みる。しかし、その途中でコナーは精神錯乱をきたし、ジャックの身にも危険が降りかかるようになり......最初のうちはごく単純な事故に見えたものが、どんどん藪の中に分け入っていくような展開が実に快感である。押しつぶされそうな極寒と闇の特殊な舞台の醸し出す不気味さがなんともたまらんのだ。なんとなくドニー・アイカー『死に山』を思い出す。その闇をジャックがどのようにして解明していくのかがこの作品のミソである。後味すっきりの徹夜本をお求めの読者には絶対お勧め!
(本の雑誌 2024年11月号)
- ●書評担当者● 柿沼瑛子
翻訳家。翻訳学校教師。主訳書はアン・ライス、パトリシア・ハイスミスなど。最新訳書はアルジス・バドリス「誰?」ジプシー・ローズ・リー「Gストリング殺人事件」共編書に「耽美小説・ゲイ文学ガイドブック」「女探偵たちの履歴書」などあり。元山歩きインストラクター・靴屋の店員、ロス・マクドナルド&マーガレット・ミラー命。
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