異色の友情小説『子供は怖い夢を見る』に驚く!

文=北上次郎

  • 駆ける 少年騎馬遊撃隊
  • 『駆ける 少年騎馬遊撃隊』
    稲田 幸久
    角川春樹事務所
    1,980円(税込)
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 宇佐美まことの小説を読むときは、帯コピーを絶対に見ないようにしている。すべての情報をシャットアウトして、いきなり読み始めるのだ。もともと小説はそうして読み始めるのがいちばんいいのだが、宇佐美まことの場合は特にそうだ。この作家は何を始めるのかわからないので、今回は何だろうと想像しながら読むのがいい。近年の作品はすべてそうで、『ボニン浄土』も『羊は安らかに草を食み』も、まさかあんな話とは思っていなかった。

 今回の『子供は怖い夢を見る』(KADOKAWA)は、題名にややヒントがあるので、帯コピーを見なくてもホラー色の濃い物語かなと推察出来てしまうが、それでもまさかこんな話とは。困るのは、何を書いてもネタばらしになりそうで、内容を紹介できないことだ。小学二年生のとき、転校生の段田君が教室の隅にあった楽器収納庫に入れられ、航がその前に立たされたことがある。ここで反省しなさい、謝りたいと思ったら出てきてもいい、と音楽教師が怒る。全然出てこないので、教師が航を乱暴に扉の前からどかすと、収納庫の中に段田君はいない。するとクラスメイトの一人が窓から校庭を見下ろして、あっと叫ぶ。ウサギ小屋の前で、段田君がキャベツを食べるウサギをじっと見ていた。これが三三ページ。全体が三五〇ページの小説だから、段田君の家族が出てくる九〇ページまで紹介してもいいような気がしないでもないが、やはりここまでにしておく。

 これは家族小説であり、友情小説だ。それもきわめて異色の。二七一ページ、走りだすバスに駆け寄って、「また会える?」と声をかける航がいとおしくなってくる。ここで思わず、大丈夫だ君は一人ではない、と言いたくなるが、これが宇佐美まことの小説の力なのである。

 町田そのこ『星を掬う』(中央公論新社)もすごい。こちらは母娘小説だ。特に後半、女性五人が共同生活を始める展開がいい。仲のいい五人 というわけではない。あちこちで衝突し、口論し、揉めるのである。喧嘩の日々、といってもいい。それでも、妙な言い方になるが、その対立の中に、彼女たちの至福がある。

 もう一つ付け加えるなら、この作者がぐんぐん巧くなっていることに留意。『52ヘルツのクジラたち』は心にしみる話ではあっても、まだぎくしゃくしていたことは否めない。次の『コンビニ兄弟』は意外に器用であることを示した作品だったが、そうか、あの『コンビニ兄弟』があったから、この『星を掬う』が生まれたのかも。

 上田早夕里『播磨国妖綺譚』(文藝春秋)も読み始めたらやめられなくなった。室町時代の播磨国を舞台にした陰陽師小説だが、第四話「白狗山彦」の中に、母が死んだ日のことを呂秀が回想する場面が出てくる。幼い兄が大声で泣き、呂秀が呆然としていたとき、母の体から透明な何かが抜け出し、綿毛のように室内をさまよいだすと、部屋の外で、ちりんと鈴の音がして、さらりさらりと衣擦れの音までする。なんだろうと顔をあげると、引き戸がすべて吹き飛び、庭側から強烈な光が室内に射し込んでくる。その光の中に、ちりんちりんという音とともに母が消えていく──という回想だ。目がくらみそうなこの光のイメージが鮮やかだ。これが一つ。もう一つは、式神のくせに威張っている「あきつ鬼」のキャラがいいこと。特にこの第四話では、幼子かえでを説得する役目を買って出て、おお、いいやつじゃん。

 時代小説をもう一冊。稲田幸久『駆ける』(角川春樹事務所)は、第一三回の角川春樹小説賞の受賞作で、尼子家と毛利家の争いを描く長編だ。毛利元就の次男吉川元春に馬術の才を見いだされて拾われた少年小六と、尼子再興に生涯を捧げた山中鹿之助。立場も役割も異なる二人を中心に、複雑な人間関係を平易に読者に提示する小説づくりがうまい。終わり間近、元春軍の浅川を突如クローズアップするところに留意。浅川がなぜ小六に目をかけているのか、その理由がわかる箇所だが、こういう挿入もいい。しかししかし、いちばんいいのは、尼子勝久が尼子軍の大将に相応しいと山中鹿之助が思うくだり。その理由は、なにより声がいい、というのだ。とてもリアルで、説得力がある。

 今月の最後は、園部晃三『賭博常習者』(講談社)。いやあ、すごいぞ。タイトルもいいが、装丁造本も素晴らしい。同好の士には強くすすめたい。カジノやチンチロリンなどの種目も登場するが、中心になるのは競馬である。一九六五年の有馬記念(主人公のコウスケが八歳のとき)から始まって、高校生のときにアメリカに渡り、その後はテレビの制作現場で働き(馬ロケでは重宝される)、乗馬クラブを経営したり、やがてはすべてを失って車中暮らし──という波瀾の半生が描かれていくのだ。

 著者は一九九〇年の小説現代新人賞を受賞した人で、単著は今回が初。帯には「"ろくでなし"の自伝的長編」とある。主人公コウスケは女に手が早く、だらしがなく、でたらめに生きているようだが、ロマンの香りが強い。たとえば物語のラスト近く、胸が熱くなるシーンが登場するが、こういう彫り深い人間像があちこちから立ち上がる書でもあるのだ。ここはもっと詳しく紹介したいところだが、ネタばらしになるので、ぐっと我慢しておく。これで、この四半世紀の競馬小説のベスト三がようやく出そろった。あとの二冊はもちろん、杉山俊彦『競馬の終わり』と油来亀造『春が来た!』だ。正しく言うと、後者の刊行は一九九五年なので、刊行から二六年になり、「四半世紀」という枠をはみ出してしまうのだが、それは許されたい。

(本の雑誌 2021年12月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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