『ブラックサマーの殺人』の分析官ブラッドショーがいいぞ!
文=吉野仁
だれがなんと言おうと、この作品の魅力は、ブラッドショーにある。M・W・クレイヴン『ストーンサークルの殺人』を読み終えて、そう思ったものだ。
若き分析官ブラッドショーは、天才的な頭脳を持ちながら、内気でオタクの女子だった。だが、捜査に加わり、その能力を発揮して事件の解決にひと役買ってみせたのだ。老獪な刑事ポーに対し、あまりに対照的な彼女が相棒となったことで強いアクセントが生まれていた。
となれば、〈ワシントン・ポー〉シリーズ第二作『ブラックサマーの殺人』(東野さやか訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)にかける期待もふくらむばかり。今回は、有名シェフの周辺で起こった事件をめぐる物語だ。その男、ジャレド・キートンは、有名レストランの料理人にして最高経営責任者。しかし六年前に娘を殺した罪に問われ、現在は服役中だった。ところが、殺されたはずの娘がとつぜん現れた。見知らぬ男に拉致・監禁されていたという。血液のDNA鑑定をしたところ、キートンの娘に間違いない。彼を刑務所送りにした刑事ポーは、捜査の見直しを迫られた。
このシリーズの魅力のひとつは、いい意味でのわかりやすさだろう。主人公の名がワシントン・ポーで飼い犬がエドガーなのだ。怪しい人間はどこまでも怪しい。しかし捜査の決め手が見つからないなか、ブラッドショーがポーを助け、真相へと迫っていく。もっとも今回、彼女もだいぶ世間や仕事に慣れて、成長のあとがうかがえる。親戚のおじさんのように見守りたい当方としては、うれしくもあり寂しくもありといったところ。ともあれ、強烈な個性をもつカリスマシェフの登場に対し、ポーはどこまでも不利な状況に追い込まれるなど、警察サスペンスとしての見せ場は十分だ。
ラーシュ・ケプレル『ウサギ狩り人』(古賀紅美訳/扶桑社ミステリー)は、〈ヨーナ・リンナ警部〉シリーズの第六作。ストックホルムの高級住宅街で、スウェーデン外務大臣が殺された。現場に居合わせた売春婦の証言で、犯人が「ラティエン」の名を口にしたという、麻薬犯罪で長期刑に服している男だ。そこで、さる大物じきじきの要請により、現在服役中のヨーナが公安警察に協力し、捜査に復帰することとなった。やがて殺人犯ラビットハンターは、十人の殺害を計画していることが判明した。一方、殺された外務大臣と知り合いだった有名人シェフのレックスをめぐる章が冒頭から物語に絡み、過去におきた忌まわしい悲劇とつながっていく。公安警察の女性捜査官サーガが全身黒づくめのボディスーツを身にまとい、バイクに乗って疾走する冒頭場面をはじめ、あいかわらず北欧サスペンスらしいケレン味がきいており、ひねりや意外性とともに読ませる。
こちらは、ドイツを舞台にした猟奇殺人+警察小説。ネレ・ノイハウス『母の日に死んだ』(酒寄進一訳/創元推理文庫)は、〈刑事オリヴァー&ピア〉の第九作である。ある大きな邸宅でその主の遺体が見つかった。現場におもむいた刑事のピアは、さらにラップフィルムにくるまれ死蠟化した三人の異様な遺体を発見した。大勢の里子をひきとり育ててきた老主人が犯人なのか。やがて一連の事件は、「母の日」を狙った大量連続殺人であることが判明する。こうした捜査模様を追う話と並行して、フィオーナ・フィッシャーという女性が自分の出生の秘密をたどっていく過程が描かれていく。はたしてどこで事件と結びつくのか。ほとんど真相が明らかになったあとですら、犯人が仕掛けた大規模な犯罪および警察による救出劇が派手なハリウッド映画のごとく展開し、緊迫感と興奮が途絶えることはない。
お次は、ミシェル・ビュッシ『時は殺人者』(平岡敦訳/集英社文庫)。弁護士クロチルドは、二十七年前、コルシカ島で一家四人が乗った車が崖から転落し、両親と三歳上の兄を失った。自分だけが奇跡的に助かったのだ。そしていま、夫と十五歳になる娘とともに、ふたたびコルシカ島へやってきた。ところが、滞在先のバンガローに、亡くなったはずの母からの手紙が届いた。母は生きているのだろうか。物語は、一九八九年の夏に十五歳だったクロチルドの日記を載せた章と二〇一六年の夏である現在の章が交互に描かれていく。ビュッシならではの、思わせぶりが満載で、コルシカ島の夏、十五歳の少女、そして家族の死というくっきりした陰影が物語に劇的な装いをあたえ、先を読まずにおれない。若者たちをめぐる関係をはじめ過去の秘密が次第に明らかになるとともに、予想のつかない展開を見せるフレンチ・ミステリだ。
最後に、アイヴィ・ポコーダ『女たちが死んだ街で』(高山真由美訳/ハヤカワ・ミステリ)。ロスの街とそこで暮らす女性たちに焦点を当てたミステリながら、テーマの切り取り方が独特で、語り口がうまく、登場人物たちの心情が身に迫ってくるため、読ませる。
十五年前に起きた凄惨な連続殺人。十三人の女性が喉をかき切られ殺されたものの、犯人は逮捕されなかった。ところが、いままた同じ手口の事件が起こった。フィッシュフライの経営者、ストリップクラブの店員、サウスウェスト署の刑事など、十五年前の事件になにかしら影響を受けた女性たちの語りでその日常が綴られていく。本作は二〇二一年のエドガー賞最優秀長篇賞ノミネート作品で、受賞作は『ブート・バザールの少年探偵』だったが、共通したテーマがうかがえる。犯罪や暴力がすぐ身近なところで頻発する街の実像。ストリートに生きる人々の不安な息づかい。ヒーローたる探偵はどこにもいない。いま読むべき小説なのだ。
(本の雑誌 2022年1月号)
- ●書評担当者● 吉野仁
1958年東京生まれ。書評家。おもにミステリを中心とした小説や本の書評、文庫解説などを執筆。
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