活力あふれる『リズム・マム・キル』をぐいぐい一気読みだ!

文=北上次郎

  • あの春がゆき この夏がきて (文芸書)
  • 『あの春がゆき この夏がきて (文芸書)』
    乙川優三郎
    徳間書店
    1,650円(税込)
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 北原真理『リズム・マム・キル』(光文社)は、活力あふれる小説だ。読み始めたらぐいぐい引きずり込まれ、あっという間に一気読みだ。

 半グレの帝王ジンとその片腕晴斗(弁護士でもある)が、やばい写真回収のためにヤタという暴力男を雇うのが発端。ところが新聞記者を拉致しても写真が出てこないので、記者の娘るか十二歳を誘拐する。どこに写真はあるのか、なぜそんなに必死になって回収を急ぐのか──という話を、少女るかと、弁護士晴斗の視点で交互に描いていく長編だ。特別目新しい話ではない。

 ところが、キャラが圧巻。まず前半は、るかの母親恵令奈だ。超絶美女だが、ブルドーザーのような新聞記者で、問題を起こすたびに転職して、いまは地方紙で働いている。学校でるかが苛められるとすぐに乗り込んで怒鳴り散らす。そのために余計に友達がいなくなるので、るかは大いに困っているのだが、どうすることも出来ない。

 後半の主役は、殺し屋のヤタ。最初は気味の悪い怪物として登場するが、徐々に違う顔を見せ始めるのだ。というよりも、怪物の心の内奥に入り込んでいくと言ったほうがいい。その展開もひとつの読みどころなので詳しくは紹介できないが、ようするに「怪物」という抽象的な枠組みではなく、ひとりの人間として立ち上がってくる。半グレの帝王ジンとその片腕の晴斗の造形がそれに続いて、なんだかめちゃめちゃな小説だなあと思いながら、躍動感にあふれた物語なので文句をつける暇もなく、目が離せなくなるのだ。

 ユーモラスな箇所があることと、半グレたちのチーム名「ナイヤガラ」の由来がずいぶんあとにさりげなく出てくる構成のうまさも指摘しておきたい。

 次は、乙川優三郎『あの春がゆき この夏がきて』(徳間書店)。なんだか忘れがたい小説だ。出版社のデザイン室に勤めていた男が、縁あって川崎の小さなバーの経営者となり、やがてそこも処分して、房総にアトリエを作って終の住処とするまでの半生を、連作ふうに描いていく小説だが、終戦直後の東京を描く一編「水」がいい。酷薄な祖父母の家から母がいなくなり、幼い彼も家を出て、上野駅で多くの孤児たちと一緒に「駅の子」になる一編だ。施設から脱走してきた少年は「あんなところにいられねえよ、まともな飯なんか出ねえし、天然痘や腹痛で毎日どんどん死んでく、それをまとめて庭に埋めちまうんだからな、ここの方がましだよ」と言うが、「駅の子」の暮らしもけっして楽ではない。その幼い日のことを彼はずっと忘れないでいる。装丁家になって仕事が評価されるようになっても、幾多の女性と付き合っても、人との距離を保ち続けるのは、そのときの孤独が体の底に静かに残っているからだ。孤児たちがみんな彼に親切であったという回想に留意。それはけっして至福ではなく不幸にほかならないが、しかしそれ以外は全部ニセモノだという思いが(いや、私が勝手にそう読んだだけで、彼はそう言ってはいないのだが)、静かにゆっくりと立ち上がってくる。

 河邉徹『蛍と月の真ん中で』(ポプラ社)も、印象に残る一冊だ。大学を休学した匠海が長野県辰野町にやってきたのは、蛍を撮るためである。かつて父が撮影した場所で蛍を撮りたい、というのが彼の目的で、そこで多くの人を知っていく日々を描いたのが本書だ。帯に引用されているが、「何者にもなれていない自分を、恥ずかしがらなくていい」というフレーズが残り続ける。若き日の私に伝えたいと思う。

 おやっと思ったのが、浮穴みみ『小さい予言者』(双葉社)。北海道の「えさし」と言えば、「江差の五月は江戸にもない」と言われたほど栄えた道南の港「江差」が有名だが、北の果ての北見国枝幸は、海沿いこそ漁場でひらけたものの、内陸は明治の半ばを過ぎてもまだ未開拓の原野がひろがっていた。その地がゴールドラッシュで沸くのが明治三一年。やがてその波も引くが、昭和の始めに枝幸はまたスポットライトを浴びる。北海道の北部が皆既日食帯に入り、宗谷や根室に比べて晴天に恵まれることが多い枝幸に、大勢の観測隊や観光客がやってくるのだ。この枝幸に住む人々を描くのが「ウタ・ヌプリ」「日蝕の島で」の二編で、これを読んだら前の二作も読みたくなった。三部作ついに完結、と帯にあったからだ。おお、急いで読もうと買ってきた『鳳凰の船』は明治の函館、『楡の墓』は明治の札幌を描いた作品集で、北の地に生きた人々のドラマを鮮やかに描いている。読むのが遅くてすみません。

 今月の最後は、今村翔吾『塞王の楯』(集英社)。こちらはなんといっても、京極高次とその妻初のキャラクターが群を抜いている。京極高次はすぐ逃げる弱虫で、先見の明もなく(本能寺の変が起こると、明智光秀の側に立って秀吉の居城を攻めたりする)、それでも滅びないのは、絶世の美女である妹の竜子、妻の初の姉(茶々)が秀吉の側室になるからで、閨閥という尻の光による出世をしたということで「蛍大名」と陰口を叩かれた男だ。

 その高次がここに登場する。どんなにイヤなやつかと思っていると、なんとなんと、愛嬌のある男で驚く。カッコ悪いけど、愛すべき男だ。妻の初も同様。城の修復工事をしていると、二人とも手伝いたいと出てきて、泥だらけになるのだ。こんな領主、見たことない。

 石垣を作る職人と(戦いの最中でも壊れた石垣を修復するのだから想像を絶している)、攻める側の鉄砲職人の対決を描く職人小説で、読みどころが満載の小説だが、読み終えるとこの「蛍大名」の人物像が残り続ける。異色の戦国小説だ。

(本の雑誌 2022年1月号)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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