七代にわたる島のドラマ『邯鄲の島遥かなり』を一気読み!

文=北上次郎

 面白いなあ。全三巻、三二〇〇枚を一気読みである。貫井徳郎『邯鄲の島遥かなり』(新潮社)だ。前号の締切り一週前に刊行されたので、とても読めないだろうと今号にズラしてしまったのだが、こんなにすらすら読めるのなら、前号で紹介出来たなと反省。たとえば、いきなり終わり間近の「第十五部 野球小僧の詩」を紹介してしまうが、二〇〇ページ弱も続くこの項は野球小説である。静雄が小学生のころから始まって、中学高校と野球に打ち込む姿を描いていく。最後は、夏の高校野球地区予選の決勝戦が、迫力満点に描かれる。素晴らしいのは、勝つか負けるかという勝敗の行方も大切だが、静雄が野球を心の底から愉しんでいること。その躍動感が存分に描かれているのだ。この次の次が最終第十七部で、ここで主役となる高校生育子は、静雄の娘である。ここでは島を活性化させるさまざまな取組が描かれるが、その育子が令和元年に子を生むところで本書は幕を閉じている。

 イチマツが島に帰ってくる幕末から、育子の子が生まれるまで、七代にわたる島の人々のドラマを描くのがこの大河小説だが、このように挿話の一つずつが具体性に富んで面白いので、読み始めたら止まらないのだ。幕末に消えた徳川御用金がこの島の洞窟に隠されていると信じて探す男たちの話。第一回普通選挙に立候補した男の苦労話。若い男女の火口への投身をきっかけに、島が心中の名所になってしまう騒動など、さまざまな話が数珠繋ぎのように折り重なって進んでいくのである。

 舞台となる神生島は東京から船で四時間の火山島だが、どうやら架空の島のようで、人口八千人というからそんなに小さな島でもない。その島を舞台に、戦争があり、復興があり、地震があり、そして初恋があり、争いがあり、さらに夢と挫折と希望がある悠久の時の流れを、ダイナミックに描いていくのだ。時折、ユーモラスな描写が入るのもいい。ある種の感慨が最後にこみ上げてくるのは、この小説の力といっていい。すごいなあ貫井徳郎。

 次は、一月一三日発売の砂原浩太朗『黛家の兄弟』(講談社)。『高瀬庄左衛門御留書』に続く第三作である。

 それにしても不思議だ。砂原浩太朗の小説を読んでいると、何でもない描写であるというのに、体がざわざわしてくる。たとえばこの長編の冒頭を引く。

「空を覆うように咲ききそった桜が、堤の左右に沿ってどこまでも伸びている。その果てには、溶けのこった雪をかぶる峰々が、切り立つ稜線をつらねていた」

「息を吸うと、甘やかな匂いが胸にすべりこむ。黛新三郎は土手の下へまなざしを落とした。杉川の水面が春の光をはじき、まばゆい照り返しが並木のあいだを擦りぬけてくる」

 川の水面が陽の光を弾く─というだけの描写であるのに、もうこれだけで、なんだかざわざわしてくるのだ。陽の光が映し出す人々の営みと、そこに潜む苦しみと哀しみのドラマが、まだなにも語られていないというのに、匂い立つような気がしてくるのである。冒頭を読むだけで落ちつかない気分になるのは、そういうドラマが始まっていく予感が、ゆらゆらと立ち上がってくるからである。『高瀬庄左衛門御留書』シンドロームというやつだ。

 内容は紹介しない。前半では新三郎が一七歳の日々を描き、後半は三〇歳の日々を描くこと。筆頭家老の家に生まれた三兄弟が苦難の人生を歩むこと。そう書くにとどめておく。あとは黙って読まれたい。すごいぞ。

『高瀬庄左衛門御留書』に続く「神山藩シリーズ」の第二作なので、前作と繋がっている箇所もあり、そうか、藩校「日修館」はこうして出来たのか。

 青山文平『底惚れ』(徳間書店)もいい。なんと、一人称一視点で描かれる長編だ。「江戸ハードボイルド長篇」と帯にあるのは、「ない小判を見せびらかして、こいつが刺してくれたらなと願いながら。俺たちゃみんな、江戸染まぬ輩だ」という語りが最初から最後まで貫かれているからだろう。リズムよく威勢よく、どこか哀しい一人語りだ。

 男が、密かに思いを寄せていたお手つき女中芳を探す話である。宿下がりの同行を求められ、途中までは男が送っていくが、訳あって男が刺される。男は命をとりとめるが、女中芳は郷里の村に一人で帰ったのかと思うとそうでもなく、行方不明。男を殺したと思っていては可哀相だ。おれは生きていると知らせたい。その一心で探し始めるが、うまくいかず、意外な方法を選ぶ後半の展開こそがこの物語のキモ。

 路地番の銀次と、芳の同輩信。この二人のキャラが圧巻だ。

 今月の最後は、一月一九日発売の岩井圭也『竜血の山』(中央公論新社)。まさか、岩井圭也がこういう話を書くとは思ってもいなかった。岩井圭也は第九回の野性時代フロンティア文学賞を受賞した『永遠についての証明』で二〇一八年にデビューした作家で、これまで『夏の陰』『文身』『プリズン・ドクター』『水よ踊れ』『この夜が明ければ』と書いてきた。本作が六作目である。三年間で六作、着実な歩みといっていい。

 その中では『水よ踊れ』をベストと考えているが、今回の『竜血の山』は最大の異色作かもしれない。北海道の山奥で巨大な水銀鉱山が発見される昭和一三年の冒頭から閉山する昭和四三年まで、三〇年間の変転の歴史を描く長編なのだ。物語の中心になるのは、〔水銀を呑む一族〕芦弥だ。その波瀾に富む半生が、暗く、リアルに、そして緊密に描かれていく。いやあ、すごい。

(本の雑誌 2022年2月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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