物理学者がSF映画をガチで考察する!
文=すずきたけし
書店の新刊コーナーで高水裕一『物理学者、SF映画にハマる』(光文社新書)を見つけペラペラペとページをめくった。タイトルからして「また考証ツッコミ系の本かな」と食傷気味な印象の本だったが、映画『TENET』の項で実在する古代の謎の回文が物語の裏設定にあることや登場人物の名前の隠された意味など、ガチの映画考察が書いてあって思わず本書をレジに運んだ。前半は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ターミネーター』、そして『TENET』といった時間を題材にしたSF映画、後半は宇宙を題材にした『インターステラー』や『オデッセイ』、『ファースト・マン』について。
『インターステラー』はノーベル物理学賞を受賞したキップ・ソーン博士が監修についており、公開当時から最新の宇宙科学が映像化されたことが話題になっていたが、本書では結構ツッコまれている。それでも映画公開後の二〇一九年に実際に視覚化されたブラックホールの映像とくらべてかなり正確だったという。
前半の時間SF映画はかなりのページ数を割いて解説していて、過去にタイムトラベルして未来は改変可能なのか、指定した過去の期日にタイムトラベルするには?などなかなか容赦無く時間SFをツッコんでいる。とはいえ、地味な映画だったデンゼル・ワシントンの『デジャヴ』をかなりのページ数で解説したり、映画だけでなくドラマの『12モンキーズ』や『V』、『フリンジ』などがポンポン参照されるあたり、かなりの手練れとお見受けいたして読後は著者に奇妙な親近感を覚えた。
"SF"といえば、とても似たような感覚を読んでいて感じたのが角幡唯介『狩りの思考法』(アサヒ・エコ・ブックス/発売清水弘文堂書房)。『極夜行』以降、極北に魅せられた著者による思索が中心の本書だが、コロナ禍が世界を覆いつくした時に著者はグリーンランドのシオラパルクという世界最北の村にいた。犬ぞりで凍結した海峡を越えてカナダに向かう計画をしていたところに、カナダへの入国が禁じられ、初めて新型コロナのパンデミックで世界が非常事態に陥っていることに気づく。「あなたは今、世界で一番安全な場所にいる」という著者の妻からの言葉はかなりポストアポカリプス感が強い。また本書のなかで印象的なのは、未来予期がシステム化した文明社会と"今目の前"の出来事こそが真実であるとする極北の特異な時間と空間の概念である。イヌイットの言葉から導かれるそれら著者の思索は、社会システムとラーメン屋が同列に語られる角幡節と相まって予想外に軽快な読書体験となった。それにしても極北の広大な土地を目的を持たず漂泊するという「個人旅行」にこだわるあたり、空白が失われた現代において探検家が見つけた到達点としては興味深い。
九月の新刊だが、個人旅行のつながりで紹介したいのが山本志乃『団体旅行の文化史』(創元社)。日本における「旅行」がどのように大衆化したのか、その歴史をそれぞれの年代の旅行の記録からひもといている。日本古来の旅はそもそも危険で、食料難や病気、怪我など命をかけるようなものであったが、江戸時代になると街道が整備され、物流や食事、宿場などの移動のインフラが整ったことにより旅行が一般化したという。現代の団体旅行文化の嚆矢となる修学旅行の黎明期には「鍛錬」を目的とした軍事教練の意味合いが強く、列車内で車中泊をするなどの強行日程は「負荷をかけることで子供は成長する的」な思想で、おやつで悩むどころではなかった当時の学生に同情せざるをえない。戦後の高度経済成長期では海外渡航の自由化と相まって企業の接待旅行のイケイケぶりに隔世の感ではあるが、旅行会社の添乗員が宴会で「なにか芸をやれ」と言われれば芸を披露する企業戦士ぶりに同情を禁じえない。なんか同情してばっかりである。また江戸時代は諸国間の移動が制限されていたが、伊勢参りという目的だけは関所を手形なしで通過できる「抜け参り」が容認されていたという。で、伊勢参りの旅程はどうだったかというと、幕末の尊攘志士と知られる清河八郎が母とお供の三人で伊勢参りにでかけた旅程では、現在の山形県鶴岡を発ち、新潟から長野に入り善光寺を参り、名古屋から伊勢に到着。伊勢参りを終わらすと、奈良・京都に"立ち寄り"天橋立を見物。その後大阪に"立ち寄"ったあとに岡山から四国に渡って金毘羅参りに"立ち寄り"、さらに西へ向かって厳島まで足を伸ばした後に東海地方を通り箱根を越え、栃木県の日光に"立ち寄って"から鶴岡に帰着。その日程なんと一六九日! 伊勢参りが「ついで」のような大旅行で、しかもこれが極端な例ということでもなく、当時は伊勢参りを口実に関所を手形なしで通過しながら庶民が諸国を漫遊したという実にしたたかな遊びであったことに驚く。
江戸時代の人々の度を越した遊び好きを知るもう一冊は長辻象平『江戸釣百物語』(河出書房新社)。日本の「釣り」は技術や道具などをみても世界屈指のものであるものの、遊びとしての「釣り」が花開くのは意外と浅く天下泰平の世である江戸時代から。仏教思想によってそれまで殺生がタブーとされていたなかで、武士によって釣りの技術や道具が進化していったというのが面白い。東北の庄内藩士は「名竿は名刀より得難し」と言って釣竿を愛でて釣りを武術と等しいものと見ていた。また戦国時代には三河の武将で家康の従弟である松平家忠は魚捕りに魅せられた。武田勝頼が織田信長に敗れ、百日もたたずにその信長も本能寺で散ったとき、家忠は魚捕りに精を出していたというからホンモノの釣りキチである。
(本の雑誌 2022年2月号掲載)
- ●書評担当者● すずきたけし
フリーライターとかフォトグラファー。ダ・ヴィンチニュース、文春オンラインなどに寄稿。あと動画制作も。「本そばポッドキャスト休憩室」配信中。本・映画・釣り・キャンプ・バイク・温泉・写真・灯台など。元書店員・燈光会会員・ひなびた温泉研究所研究員
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