麻雀小説『渚のリーチ!』に目頭が熱くなる!

文=北上次郎

  • 「タ」は夜明けの空を飛んだ (集英社文庫)
  • 『「タ」は夜明けの空を飛んだ (集英社文庫)』
    岩井 三四二
    集英社
    990円(税込)
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 黒沢咲『渚のリーチ!』(河出書房新社)は、なんと麻雀小説だ。麻雀小説の新作を読むことが出来るなんて、ホント、嬉しい。しかも作者は現役の麻雀プロ。

 チーム対抗戦の麻雀プロリーグ(Mリーグ。初代チェアマンがサイバーエージェント社長の藤田晋、最高顧問がJリーグ初代チェアマンの川淵三郎)が二〇一八年に発足したことは報道で知っていたが、それがどういうものであるのか、具体的には知らなかった。それを描いたのが本書だ。そうなのである。これは、自分をモデルにして描いた長編小説なのである。黒沢咲が所属しているのは、TEAM雷電だが、小説では雷神となっていて、ヒロインの名前も大地渚となっている。

 麻雀小説ファンには、牌活字がふんだんに登場するのが何よりも嬉しいが、いちばんの特徴はチーム対抗戦であることで、本来孤独な戦いであるはずの麻雀が、そのために別の色彩を帯びて立ち上がってくる。麻雀小説を読んでいるというのに、ラストで目頭が熱くなってくるのも、その特質のためであり、この物語の美質にほかならない。

「放銃」などの専門用語が登場するたびにそれを丁寧に説明することには疑問を覚えるが(物語の流れを分断してしまう。だいたいのニュアンスがわかればいいのだ)、「致命的なミスをするときは、捨て牌が河につく前に違和感を覚える」というくだりには激しく共感。私、馬券を買うたびに「あああ、こんな馬は来ない」と思うことが少なくないが、指先がぴりりとしたときにはもうその馬番を押しているのだ。文章に甘さは残っているが、その伸びしろに大いに期待したい。まだ素材はたくさんあるはずだ。

 今月の二冊目は、錦見映理子『恋愛の発酵と腐敗について』(小学館)。こちらは女たちの友情の風景を、軽やかに、そして鋭く、さらに鮮やかに描きだす長編だ。

 友情とはいっても、かなり捩じれている。というのは、スーパーで働く早苗が惚れる虎之介は、スナックを経営する伊都子の年下夫であるからだ。そこに絡んでくるのが、さくら通り商店街で「紅茶の店マリエ」をオープンしたのに、いつの間にか「サマー食堂」になっている店主万里絵。こちらは、元不倫相手の矢崎が訪ねてきても1ミリも心を乱さないヒロインだが、虎之介のパンを仕入れているうちに、こいつにだけは心を許していく。虎之介は女にだらしがないダメ男だが、パン作りの天才なのである。そういう関係なのに、なぜかこの三人、喧嘩しないし、対立関係にならない。その微妙な関係を、絶妙に描いて強い印象を残している。うまいなあ。なぜか突然、二〇一六年に「姉といもうと」でオール讀物新人賞を受賞した嶋津輝をふと思い出した。

 一穂ミチ『砂嵐に星屑』(幻冬舎)はテレビ局を舞台にした連作集だが、いちばん初めの「資料室の幽霊」に登場する新人アナウンサー笠原雪乃のキャラがいい。この章の語り手は東京から一〇年ぶりに大阪に戻ってきたベテランアナウンサー三木邑子で、彼女の目を通して語られるのだが、歓送迎会の途中で「お先に失礼させていただきます」と立ち上がる笠原雪乃に対し、新人らしからぬ堂々とした途中退席っぷりに目を丸くしていると、
「歓送迎会やねんから、主役としてもうちょいおらなあかんのに......でも昨今、そういうこと言うたらパワハラや何や、ややこしい話になるやろ。おい、斎木、お前同期入社やねんからもうちょっと何とかせえよ」
 という男の声がかぶる。

 そういう付き合いの悪い人物なのかなと読者に印象づけたあとで、資料室に現れた幽霊を探そうと邑子を積極的に誘う姿を描くのである。最後には、雪乃っていいやつじゃん、と思わせるのがうまい。この笠原雪乃の話をもっと読みたかった。

 今月の四冊目は、岩井三四二『「タ」は夜明けの空を飛んだ』(集英社文庫)。帯には「日露戦争の勝利は無線のおかげ!?」という惹句が付いている。これを見て、思わず買ってきてしまった。

 当時、世界一の性能を誇るマルコーニ社の無線機の秘密を探るために、本書の主人公木村駿吉がイギリスの西端、大西洋に向けて突き出したコーンワル半島のポルデューという町に行くくだりがある。当時の日本の無線機は、築地にたてたアンテナが一五〇尺(約四五メートル)で、無線はせいぜい七〇海里しか届かなかった。マルコーニ社はイギリスとカナダの間で無線通信に成功したというが、それが事実なら二千海里ほどの遠距離通信だ。そんなに強力な電波を発するアンテナなどは想像も出来ない。で、イギリスまで探りにいくのだが、そのくだんの場所はイタリア兵が監視していて──と続いていくから、いやあ、面白い。

 原理すら解明されていない無線機の改良に尽力した研究者木村駿吉(咸臨丸で司令官をつとめた木村摂津守の次男)の波瀾の半生を描く長編だが、この手のものがお好きな方ならたっぷりと愉しめるだろう。

 今月のラストは、瀬尾まいこ『夏の体温』(双葉社)。中編二本+短編一本、という構成の本で、寄せ集めの印象を与えかねないが、なあに、瀬尾まいこの新作が読めるならなんでもいい。

 表題作は、県立病院の小児病棟を舞台にした中編で、語り手は小学三年の高倉瑛介。そこに同い年の田波壮太がやってくる。壮太は検査入院なので、検査が終われば退院する。これは、その三日間を描く中編だ。特に何があるというわけではなく、ただ二人で遊ぶだけの日々だが、すごくいい。たった三日だけど濃密な日々を、瀬尾まいこはくっきりと描いている。

(本の雑誌 2022年5月号)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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