桂望実の新たな傑作『残された人が編む物語』がいい!

文=北上次郎

  • 夜の少年
  • 『夜の少年』
    ローラン プティマンジャン,松本 百合子
    早川書房
    2,420円(税込)
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 桂望実のベストは、二〇一〇年に上梓された『嫌な女』だと考えているが、それに匹敵する傑作がついに出た。それが、『残された人が編む物語』(祥伝社)だ。

 行方不明者捜索協会という民間会社がある。探偵事務所や興信所よりも低価格で行方不明者を探す会社である。そこにさまざまな人が訪れてきて、さまざまな話が展開する。これはそういう連作集だ。たとえば冒頭の第一話「弟と詩集」は、若いときに実家を出て消息を絶った弟の行方を探す姉の物語で、やがて彼が亡くなっていたことが判明し、晩年の弟を知っているホームレスに会いにいく。行方不明者捜索協会の西山静香と一緒に。この協会はそういうサポートもしているのだ。

 彼が通っていた定食屋やスナックなどをまわり、生前の弟の生活を聞き出していく。ようするに「残された人が編む物語」が、私たちの前に現れるのである。もう彼と会うことは出来ない。しかし多くの人の記憶のなかに彼の姿が残っている。いまはただ、その記憶の風景を見るだけだ。そういう思いがどんどん大きくなっていく。

 実はこれだけで十分だ。中には調べなければよかったというケースもあるけれど、それを含めて「残された物語」なのである(個人的には第四話「社長の背中」が好き)。しかししかし、本書が素晴らしいのは最終章だ。第五話「幼き日の母」が圧巻である。

 ここでは、それまでずっと狂言まわしだった行方不明者捜索協会の西山静香が主役となる。彼女にも探したい人がいるのだ。この先がネタばらしになりかねないので、どう紹介したらいいのか。ええい、行ってみよう。そこまで語られてきたのは、居なくなった者の物語である。それを残された者が編むのだ。哀しみに似た感情がゆっくりと静かに立ち上がってきて、私たちは深い感銘に覆われる。しかし同時に、どうして生きている間に理解しなかったのだという感情が襲ってくる。突然失踪して音信不通になるのだから、理解している暇はない、とも言えるけれど、そのこととこみ上げてくる感情は別だ。だから、いま目の前にいる人を、近くにいる人を、ともに生きている人を、まっすぐ見たいという思いが、ラストで一気に爆発する。この構成が秀逸だ。

 宇野碧『レペゼン母』(講談社)は、第一六回の小説現代長編新人賞の受賞作だが、六四歳のおかんがラップバトルで息子と対決するというアイディアがいい。息子との会話が最近まったくなく、何を考えているのかわからないので、ラップバトルで対決すれば、息子が何を考えているのかがわかると出場を希望するのだ。ともに勝ちあがらなければ母子の対決もないわけで、無事に戦うことが出来るかどうかは読んでのお楽しみ。

 今月の三冊目は、梶よう子『広重ぶるう』(新潮社)。浮世絵の世界に詳しくないので、美人画や役者絵に比べて名所絵が格下に見られていたこと(その理由は、名所絵は動かないものを描けばいい。絵師の工夫も創意も無用、と作中に出てくる。工夫も創意も無用とは思えないが、まあいい)、広重が遅咲きであったこと、舶来の高価な顔料ぷるしあんぶるうと出会って覚醒すること、伯林で作られた藍なので、「ベロ藍」と呼ばれていたことなど、初めて知ることが次々に出てくるから愉しい。

 そういう情報小説の楽しさが時代小説を読む愉しみの一つであるのだが、もちろんそれだけではない。広重の後妻お安を始めとするわき役が活写されているので(特に八歳のときに弟子入りしてくる昌吉の挿話が哀しい)、本を繰る手が止まらないのだ。うまいなあ梶よう子。

 おやっと思ったのが、瀬尾まいこ『掬えば手には』(講談社)。主人公の梨木匠がエスパーのように人の心を読むことが出来る、との設定なのである。その人の心の声まで(しかも別人格の声まで)聞こえちゃうのだから、エスパーよりもすごい。こういう設定の物語は、瀬尾まいこにとって初めてのような気がする。それとも以前にあるんでしょうか。

 もちろん瀬尾まいこの小説だから、この設定から始まる物語はひたすら面白い。

 他にも、林譲治『不可視の網』(光文社文庫)、中山祐次郎『俺たちは神じゃない』(新潮文庫)、平山周吉『満洲国グランドホテル』(芸術新聞社)などを興味深く読んだが、これらは別の機会に。

 今月のラストは、ローラン・プティマンジャン『夜の少年』(松本百合子訳/早川書房)。息子たちが幼いときには父親と三人でよく出かけた家族がいる。母親は若いときに亡くなったので、この家族は三人だ。いつからか長男がズレてゆく。いや、兄弟は最後まで仲がいいから、長男が離れていくのは父親からだ。長男がファシストの若者たちとつるんでいることが、ガチガチの左派の父親には面白くないのだ。だから、父と長男の心が離れていく。帯に書いてあることなのでここにも書いてしまうが、その長男が人を殺してしまうのである。
 ずいぶん以前に読んだ船戸与一『金門島流離譚』を思い出す。父親にとっていちばん辛いかたちは何かと問われたとき、私はいつもこの小説を思い出すのだ。ほとんど交流のなかった息子と会ったら、軽薄で、信用できず、人間的に許せない青年であった─という『金門島流離譚』のかたちがいちばん辛い。

 そうか、急いで書いておく。

『夜の少年』が強く胸に残るのはそういう父親の哀しみを超えて、この長男はこのあとどう生きていくのだろう、と読者をもっと奥に案内していくことだ。その深い余韻が素晴らしい。

(本の雑誌 2022年8月号)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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