自宅から真実を暴くベリングキャットの新しい手法

文=すずきたけし

  • ベリングキャット ――デジタルハンター、国家の嘘を暴く (単行本)
  • 『ベリングキャット ――デジタルハンター、国家の嘘を暴く (単行本)』
    エリオット・ヒギンズ,安原 和見
    筑摩書房
    2,090円(税込)
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  • 長距離漫画家の孤独
  • 『長距離漫画家の孤独』
    エイドリアン・トミネ,エイドリアン・トミネ,長澤あかね
    国書刊行会
    4,620円(税込)
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  • ワイン知らず、マンガ知らず
  • 『ワイン知らず、マンガ知らず』
    エティエンヌ・ダヴォドー,京藤好男,大西愛子
    サウザンブックス社
    3,300円(税込)
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 衝撃的なのがエリオット・ヒギンズ『ベリングキャット デジタルハンター、国家の嘘を暴く』(安原和見訳/筑摩書房)だった。シリアのアサド政府が自国民に化学兵器を使用した疑惑や、二〇一四年ウクライナ東部上空で撃墜された〈マレーシア航空17便〉の悲劇など、大国の情報機関や大手マスコミやジャーナリストでも辿り着けなかった事件の真相や国家の嘘を暴いてきた民間の調査組織「ベリングキャット」の創設者による一冊。これまで真実や真相を知るにはある特定の権限を持つ人物や組織にアクセスすることによって辿り着くものだと思っていたが、もはやそれは時代遅れ。今ではインターネットによって真相にたどり着ける時代になっていることに大きな衝撃を受けた。しかもハッキングなどといった潜入や機密情報への侵入といった特別なスキルは必要ではなく、オープンソース(公開情報)やソーシャルメディアから情報を収集し分析、そして疑惑や嘘を詳らかにしていく。例えばシリアの化学兵器使用疑惑では現地の人々が撮影した着弾したミサイルの動画や写真からミサイルの種類や位置、発射された方角を推測し、シリア政府軍が化学兵器を使用したことを明らかにした。またマレーシア航空17便撃墜事件では、紛争中に親ロシア派兵士がSNSにあげた自撮り写真や、市民たちが撮影した動画などスマホによるソーシャルメディアへの公開情報を収集。果たして旅客機を撃墜した勢力や兵器、ミサイルを発射した車両の特定から時系列に移動した場所までも明らかにする。情報の真偽で混沌としたこの時代、その情報のソースを明示しその透明性によって信頼を勝ち得た「ベリングキャット」の手法は、著者の正義感に担保されているという危うさも感じるものの、新しい手法のジャーナリズムが生まれている驚きが本書にはある。スクープはもはや遠い現場に出向いてモノにするのではなく自宅でモノにする時代になったのだ。

 自宅で仕事をするといえば、漫画家エイドリアン・トミネのグラフィックノヴェル『長距離漫画家の孤独』(長澤あかね訳/国書刊行会)はアンニュイでメランコリックな作風で知られるトミネの自伝漫画。小学生時代に転校の挨拶でコミックオタクぶりを披露してから、ずっとコミュ障で何をやってもネガティブ思考で自己評価はいつも最低。漫画家として仕事をするも有名作家のパクリだといつも言われ、トミネ(日系4世で遠峯から来ている)という苗字は皆発音できない。なかでもトミネのサイン会に人が集まらないまま時が流れていく様は、変な汗が出てくるほどに元書店員の僕にとっては他人事とは思えない(もちろん主催者側として)。何事もうまく回らず、なぜか悪い方悪い方へ転がっていくエイドリアン・トミネの心象風景はどこまでいっても低空飛行だけど、落ちそうで落ちない人生が等身大で心地よいのが本作の魅力でもある。また装幀が作中でも印象的なバンド付きノートブックそのままとなっている凝りよう(装幀はトミネ自身)で、近年稀に見るパーフェクトな一冊。

 グラフィックノヴェルとくればフランスのバンドデシネも。

 エティエンヌ・ダヴォドー『ワイン知らず、マンガ知らず』(大西愛子訳/サウザンブックス社)はバンドデシネ作家である著者と、「ビオ・ディナミ農法」と呼ばれる自然農法でワインを生産するリシャール・ルロワの交流を描いたノンフィクションのバンドデシネ。作家のエティエンヌはワイン造りを手伝い、片やワイン農家のリシャールはバンドデシネを読み続け出版業を学ぶ。印象的なのが「無知」であることが決してネガティブなことで無く、逆に貴重で尊いものであることとして二人が通じ合っているところだろう。バンドデシネ作家のダヴォドーが高級ワインと"知らず"にテイスティングすることや、リシャールがバンドデシネの大家「メビウス(ジャン・ジロー)」を"知らず"に作品に首をかしげるなど、二人の「作家」が"無知"であることから生まれる無垢な思考を大切に思っていることが心に残る。ダヴォドーによる精彩な画力とコミック的技法は日本のマンガに慣れた読者でも違和感無く入り込める作品である。

 異文化に触れる場所として栄華を極めたのが「客船」である。富田昭次『船旅の文化誌』(青弓社)はかつて"洋行"と呼ばれた海外旅行に不可欠だった客船について書かれた一冊。二十世紀初頭から、日本人にとって「船旅」は西欧の文化や作法に初めて触れる最前線だった。見栄を張ってチップを相場以上に多く渡したりと西欧的作法に慣れないなか、西欧式のマナーをパンフレットや注意書きによってなんとか啓蒙していこうという頑張りが微笑ましい。海外だけでなく国内の船旅にも目を向けている。一九八八年に廃止になった青森函館間の青函連絡船、戦中まであった本州と北九州を結ぶ関門連絡船、そして一九九〇年に廃止になった岡山県宇野と四国の高松を結んだ宇高連絡線など、かつての国鉄連絡船に強い郷愁を覚える人もいるだろう。中でも宇高連絡船のデッキで食べられた讃岐うどんは多くの四国の人の思い出になっているという。ちなみに連絡船が廃止されたあとも高松駅構内で「連絡線うどん」として昨年の二〇二一年まで営業していた。そのほか「豪華客船」として世界一有名なタイタニック号は、出航前から火事が発生しながらも完全に鎮火せずに処女航海に出航していたとか、経営が厳しい船会社が燃料の石炭をケチって船の速度を落とすことができなかった(一度速度を落とすと、再度速度を上げるのに石炭をさらに消費するため)など、船旅と人々の関わりを様々な角度から窺い知ることができる。

(本の雑誌 2022年8月号)

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●書評担当者● すずきたけし

フリーライターとかフォトグラファー。ダ・ヴィンチニュース、文春オンラインなどに寄稿。あと動画制作も。「本そばポッドキャスト休憩室」配信中。本・映画・釣り・キャンプ・バイク・温泉・写真・灯台など。元書店員・燈光会会員・ひなびた温泉研究所研究員

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