飛鳥井千砂『見つけたいのは、光。』が今年のベスト1だ!

文=北上次郎

 出たぞ今年のベスト1。すごいすごい。飛鳥井千砂『見つけたいのは、光。』(幻冬舎)だ。

 なんと全体の約半分がディスカッションドラマという異色の構成である。ディスカッションするのは、亜希三五歳、茗子三七歳、そして三津子四〇歳の三人だ。一歳四カ月の息子を持つ亜希は、保育所が見つからず、夫は理解あるものの仕事があまりにも忙しいので結局はワンオペ育児に疲労困憊。職場で権利ばかり主張する「若い女子」にいつも苛立っている茗子は、一度流産してからは妊娠の気配がなく、わがままな威張りんぼうの夫と二人暮らし。ここに、二人の子を持つシングルマザーの三津子が加わって、ディスカッションが始まっていく。

 この三人、なんとその日に初めて会うのだ。にもかかわらず、熱い議論が始まるのである。その背景には少し事情があるのだが、ここでは触れないことにする。議論のテーマは、私たちが見つけたいのは何か、だ。

 言葉に出してしまえば、たった一言で終わってしまうことを延々とディスカッションすることで、そうやって遠回りすることで、結語にどんどん力がみなぎっていく。これが小説だ。

 もう一つ、急いで書いておかなければならないのは、焼き物の工房でちらりと登場する女性スタッフ、ラストに現れる三津子の息子など、点景にすぎない人物が印象深く描かれているのもいい。こういう細部の巧さも飛鳥井千砂の成熟といっていい。著者、五年ぶりの新作だが、まったく素晴らしい。

 尾崎英子『たこせんと蜻蛉玉』(光文社)もいい。こちらは、不登校の息子と二人暮らしの早織の日々を描く長編で、その静かな世界に引きつけられてどんどん読み進む。うまいなあ。

 高校時代の友人、雨谷と再会して、淡路島で過ごした青春の日々が蘇る。同級生との初恋、友人との不和。もっと遡って、母が再婚して新しい家に馴染めなかった幼き日のこと──そういうさまざまな感情のドラマが手際よく描かれていくので目が離せない。

 癌で早死にした夫が病歴を隠していたことを彼女はまだ許していないことも急いで書いておく。最後近くの台詞を紹介するのはマナー違反だが、あまりにいいので早織の息子、柊の台詞を引く。

「でもさ、よくわかんないけど、許せないままだってことは、早織は俺のお父さんのことを忘れちゃってたわけじゃないんだね。それは、ちょっと嬉しい」

 柊は学校に行かず、いつもベランダにいる子だ。母親のことを早織と呼んでいる。その柊ととうろう流しの灯を見送るラストシーンの余韻もいい。

 次は、椰月美智子『きときと夫婦旅』(双葉社)。タイトルになっている「きときと」とは、富山弁で「新鮮な」という意味のようだ。本書は、その富山に向かって夫婦が旅する話である。とはいっても、熟年夫婦の静かな旅ではない。主役は、倦怠期の中年夫婦。家出した中学生の息子を迎えにいく旅であるから楽しい旅ではない。ところが夫は、鉄道に乗っていればそれだけで満足という鉄道ファンなので、この人は鉄道に乗りたいだけで息子のことなんて心配していないのではないか、と妻は疑っている。だから、しょっちゅう意見が対立する喧嘩旅だ。

 東京から富山までは新幹線で三時間弱だというのに、それが二泊三日旅になるのは事情があるからだが、それはここに書かないでおく。夫婦のすれ違いを軽妙に描いて読ませる長編だが、問題は着地。帰京したあとの後日譚(なんと五〇ページに及ぶ)は不要だったのではないか。

 他にも、ニコラス・クレーン『緯度を測った男たち』(上京恵訳/原書房)、横田順彌/日下三蔵編『日露戦争秘話 西郷隆盛を救出せよ』(竹書房文庫)、篠田節子『セカンドチャンス』(講談社)などがあるが、もう紙数がないので別の機会に。

 興味深く読んだのが、倉本聰『破れ星、流れた』(幻冬舎)。自伝エッセイである。代々木駅前の、いまは代々木ゼミの建っているあたりのかなり大きな邸宅に住んでいた一九三九年から、ニッポン放送を辞める一九六三年までの日々を描く長編エッセイで、どうして自伝というのはこんなにも面白いのかと思う。

 たとえば杉並の善福寺に住んでいたころ、倉本聰の父親太郎は、日本野鳥の会を創設した中西悟堂と親しくしていた。毎晩のように互いの家を行き来していて、夜が更けてそろそろお開きの時間が来ると「別れがたい」と一方が言い、相手の家まで送っていく。相手の家の玄関まで来ると今度は送られたほうが「別れがたい」とふたたび来た道を下駄を鳴らして送ってくる。ひどいときには三往復したともいう。こういう話がてんこもりなのだ。おお、もっと読みたい。

 今月のラストは、越谷オサム『たんぽぽ球場の決戦』(幻冬舎)。

 かつては天才児と言われながら、野球を断念した青年が、再度球場に足を踏み入れる話だ。これまで何度も読んできたような話であることは書いておく。集まってきた草野球チームのメンバーも、野球の素人やスポーツに不向きの人間ばかりというのもこの手の小説の定番といっていい。

 それでもこの長編が面白いのは、ディテールがいいからにほかならない。たとえば、高校野球の地区大会の決勝戦を、不運なイレギュラーバウンドで負けたとエースの鉄舟はいまでも考えているが、本当にそうなのか。詳しく検証すると、鉄舟がそれまで見てこなかったものが見えてくるのが圧巻。草野球小説の傑作として読まれたい。

(本の雑誌 2022年9月号)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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