この秋必読の海外ミステリ『われら闇より天を見る』

文=吉野仁

  • われら闇より天を見る
  • 『われら闇より天を見る』
    クリス ウィタカー,agoera,鈴木 恵
    早川書房
    2,530円(税込)
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  • ロンドン・アイの謎
  • 『ロンドン・アイの謎』
    シヴォーン・ダウド,越前 敏弥
    東京創元社
    2,090円(税込)
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  • 喪失の冬を刻む (ハヤカワ・ミステリ文庫 HMワ 2-1)
  • 『喪失の冬を刻む (ハヤカワ・ミステリ文庫 HMワ 2-1)』
    デイヴィッド・ヘスカ・ワンブリ・ワイデン,吉野 弘人
    早川書房
    1,430円(税込)
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  • 祖父の祈り (HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS No. 1)
  • 『祖父の祈り (HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS No. 1)』
    マイクル・Z・リューイン,田口 俊樹
    早川書房
    2,200円(税込)
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  • ギャンブラーが多すぎる (新潮文庫)
  • 『ギャンブラーが多すぎる (新潮文庫)』
    ドナルド・E・ウェストレイク
    新潮社
    880円(税込)
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  • 夜のエレベーター (海外文庫)
  • 『夜のエレベーター (海外文庫)』
    フレデリック・ダール,長島 良三
    扶桑社
    968円(税込)
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 はじめは、版元の力がやたら入っているなぁと感じた。クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』(鈴木恵訳/早川書房)の帯には、ずらりと賛辞が並び、「英国推理作家協会賞最優秀長篇賞ゴールド・ダガー受賞」の文字が強調されている。こうも「文句なしの傑作」の圧がすごいと読む前に構えてしまうものだが、頁をめくりだすと、そんなものはどこかへ飛んでいってしまった。

 はじまりは過去に起きた悲劇だった。七歳の少女シシーが行方不明となり、やがて遺体となって発見された事件だ。それから三十年後、そのシシーの姉スターは、ふたりの子どもたち、ダッチェスとロビンと暮らしていたものの、いまだ事件から立ちなおれずアルコールに溺れる日々だった。かつてシシーの遺体を発見し、親友ヴィンセントの逮捕につながる証言をしたウォークは、現在、町の警察署長になっていた。そのヴィンセントが刑期をおえ、町に帰ってくることになった。そしてふたたび悲劇が彼らに襲いかかった。

 物語の主な舞台は、カリフォルニア州にある海辺の町とモンタナ州にある個人農場を中心とした広大な土地だ。小さなコミュニティにおける濃密な人間関係とくすぶったトラブルの数々、そして自然にあふれた豊かな土地の風景がたっぷりと描かれている。登場人物たちの心に映し出される情感とその動きがしっかりと伝わってくるのだ。そのなかでもとくに輝きを放つのが、ヒロインの少女である。ことあるごとに「あたしは無法者のダッチェス・デイ・ラドリー」と名乗り、西部開拓時代のアウトローたちをめぐるエピソードを披露してみせる。そうした態度は、自身のプライドの表れであるとともに、厳しい境遇や世間から身を守るための鎧でもあるのだろう。十年後、二十年後の物語も読みたいと願うほどダッチェスが好きになった。

「ひとりの男が町に戻り、封印された過去がよみがえる」もしくは「銃を手に闘う少女」などおなじみの要素で成り立っている本作だが、やはり小説の良さは「細部に宿る」というお決まりの言葉を持ち出すほかはない。この秋にまず読むべき海外ミステリは、これだ。

 シヴォーン・ダウド『ロンドン・アイの謎』(越前敏弥訳/東京創元社)は、ロンドンで暮らす十二歳の少年の活躍を描いたYAミステリだ。ロンドン・アイとはテムズ川沿いの施設内にある巨大な観覧車の名称で、少年テッドは姉カットやいとこのサリムとともに観覧車に乗りにでかけた。先にサリムがカプセルに乗りこみ一周したものの、いつまでたっても彼は降りてこなかった。姿を完全に消してしまったのだ。その謎にテッドは挑む。先月とりあげた『優等生は探偵に向かない』と同様に、謎とその解明のプロセスをしっかりとごまかさずに展開していく探偵小説の面白さに加えて、悩み苦しみ揺れ動くテッドの心理描写が共感をさそう。幸福な読書体験をもとめる方に薦めたい。

 デイヴィッド・ヘスカ・ワンブリ・ワイデン『喪失の冬を刻む』(吉野弘人訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)は、アメリカの西北部の居留地を舞台に、ラコタ族の男ヴァージルを主人公にした物語だ。ヴァージルは居留地内の"処罰屋"として、警察やFBIが見逃した犯罪者をこらしめてきた。あるときヘロインの売人に関する話をもちかけられたのち、彼の甥がヘロインの過剰摂取で病院に運ばれる一件が起こった。ヴァージルは売人の男を探しに元恋人のマリーとともにデンバーへ向かった。先住民族の男を語り手におき、彼らの社会と目下の現状がたっぷりと描かれており、それだけで充分に興味深いが、主人公が純血のラコタ族ではなく混血であることが、より物事を深めていて、読ませる。

 次は、巨匠マイクル・Z・リューイン『祖父の祈り』(田口俊樹訳/ハヤカワ・ミステリ)。まずは老人が食料雑貨店のまえで通り過ぎる人々を観察し、店に入ろうとする男に声をかける様子が描かれている。いったい老人はなにを目論んでいるのか。と、章の最後でその謎が明かされ驚かされる。近未来の荒廃した町を舞台に、廃屋に暮らす老人と娘と孫の三人に少女マンディが加わり、かれらの奇妙な日常が語られていく本作は、物語が進むにつれ、老人の過去や最愛の妻を失うまでの暮らしぶりなどがわかってくるのだ。コロナ禍後と思われる不安な世界を描いたディストピアものながら、全体にほのぼのとした味わいが漂っていて愉しめる。さすがリューイン。

 次も巨匠。ドナルド・E・ウェストレイク『ギャンブラーが多すぎる』(木村二郎訳/新潮文庫)は、一九六九年に発表された単発作だ。タクシー運転手のチェットは、競馬の配当金を受けとるためにノミ屋のトミーの家を訪ねたところ、家のリヴィングルームで目にしたのは撃ち殺された彼の死体だった。警察から容疑者として疑われたチェットは、二つのギャング組織から狙われる羽目となる。作者らしさが全開となった痛快コメディ・ミステリだ。

 最後はフランスの巨匠だ。フレデリック・ダール『夜のエレベーター』(長島良三訳/扶桑社ミステリー)。クリスマス・イヴの日、「ぼく」はレストランで美しい女性と出会った。彼女は幼い娘を連れており、「ぼく」は彼女らを家まで送っていった。だが、その後に待ち受けていたのは恐ろしい事件だった。わずか二〇〇ページという長さながら、解説で中条省平氏が述べているとおり、これ、まるでウィリアム・アイリッシュではないか。雰囲気や話の運びがそっくりなだけでなく、ロマンスとサスペンスがぎゅっと凝縮されている。甘く危険な夜の匂いが漂う。読み逃してはならない傑作だ。

(本の雑誌 2022年10月号)

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●書評担当者● 吉野仁

1958年東京生まれ。書評家。おもにミステリを中心とした小説や本の書評、文庫解説などを執筆。

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