オーウェル『1984』をイメージぴったりの漫画で読む

文=すずきたけし

  • オーウェル『1984』を漫画で読む
  • 『オーウェル『1984』を漫画で読む』
    ジョージ・オーウェル,フィド・ネスティ,フィド・ネスティ,田内志文
    いそっぷ社
    1,760円(税込)
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  • 世界鉄道文化史 (講談社学術文庫)
  • 『世界鉄道文化史 (講談社学術文庫)』
    小島 英俊
    講談社
    1,353円(税込)
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  • リセットを押せ: ゲーム業界における破滅と再生の物語
  • 『リセットを押せ: ゲーム業界における破滅と再生の物語』
    ジェイソン・シュライアー,西野 竜太郎
    合同会社グローバリゼーションデザイン研究
    2,420円(税込)
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  • 日本人とエベレスト―植村直己から栗城史多まで
  • 『日本人とエベレスト―植村直己から栗城史多まで』
    山と溪谷社
    山と渓谷社
    2,200円(税込)
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 オーウェルの名作「1984」をグラフィックノベル化した『オーウェル『1984』を漫画で読む』(ジョージ・オーウェル文/フィド・ネスティ編・絵/田内志文訳/いそっぷ社)はまずはそのビジュアルに驚いた。原作を読んでいたときに自分の頭に思い描いていた作品世界の情景がそのまま漫画になっていたのだ。灰色のくすんだ色彩、スミスやオブライエンといった登場人物たちの精気を欠いた表情など原作小説の読書体験をそのまま具現化したような一冊である。本作の世界を改めて読み返してみると「二分間ヘイト(憎悪)」「二重思考」など作品に登場する言葉たちが、SNSを中心とした現在のリアルな社会の中に同じような出来事や習慣を重ねることができてしまうことにため息が出てしまう。ちなみに「1984」はオーウェルの母国イギリスでは「読んだふり」する小説として有名だとか。原作が未読なら本書からオーウェルの作品世界に入るのもいいだろう。

 イギリスと言えば一八三〇年に世界初の商業鉄道が生まれた国である。小島英俊『世界鉄道文化史』(講談社学術文庫)は鉄道の歴史や人々と鉄道の関わり、そして鉄道開発などを一望できて興味深く読んだ。日本での鉄道開業は一八七二年の新橋と横浜駅間で、今年で鉄道開業一五〇周年となる。鉄道が登場するまでの日本人のスピード感は人力車などでせいぜい時速八キロから一〇キロほどだったというから、時速三〇キロほどで走っていた蒸気機関車は未知の衝撃だっただろう。イギリスではライバルの鉄道会社間でスピード競争をするほど(しかも営業中に)までになり、鉄道の登場が人々の移動の指数に距離ではなく「時間」を持ち込んだものとして興味深い。また鉄道をデザインという視点で捉えている点も面白い。工芸芸術から工業デザインという次元に進化した成果として行き着いた「流線形」は、高速化していった鉄道にも用いられた。ちなみに原克『流線形の考古学』(講談社学術文庫)によると一九三〇年当時の流線形は空力学的な計算の結果ではなく、「なんとなく流線形がカッチョよくて良さそう」という感じだったらしい。日本では一九六四年に開業した初の新幹線0系の形状を決める際、技師であった田中眞一は旅客機のDC8を基本に図面にし粘土で造形を試行錯誤したが、上司の三木忠直に「もっと美しい形にしろ」と言われたという。最後はクリエイティブな感性が正義なのである。

 そんなクリエイティブについて考えさせてくれるのがジェイソン・シュライアー『リセットを押せ』(西野竜太郎訳/グローバリゼーションデザイン研究所)である。前著『血と汗とピクセル』(同)でアメリカのビデオゲーム制作スタジオの労働環境のカオスっぷりを取材し続けた著者によるルポ第二弾。「ファミコン」の時代と違って現在のビデオゲームは巨大なビジネスに成長したために制作は大規模化、制作費は高騰している。例えば二〇二〇年にリリースされた大作ゲーム『サイバーパンク2077』は制作費が三四一億円以上、プロジェクトに参加した人数は五二〇〇人以上、製作期間も約七年と長期間にわたった。これだけ大規模なビジネスになると失敗は許されず(それでも失敗しちゃうのだけれど)、大手スタジオで働くクリエイターたちはクリエイティブな冒険ができなくなってしまう。一本のゲームが完成しリリースされると乱れ飛ぶレイオフ(再雇用前提の一時解雇)だが、再雇用される前にスタジオが閉鎖されてそのまま路頭に迷うクリエイターたちなど、あまりに刹那的な職種であることに同情を禁じえない。なかでもゲームオタクとして知られる元メジャーリーガーのカート・シリングが私財を投じて設立したゲームスタジオは、一流選手を集めることで優勝できるという彼ならではの思想で、有能なクリエイターをプロスポーツのように好待遇で集め(引っ越し費用から新天地の住宅ローンまで負担)、彼が目指す世界一のゲームを作り出そうとした。で、作れなかったんだけど。結局彼は無一文になってしまったのだが、本書は一寸先は闇な話ばかりなので、クリエイターにとって天国のようなスタジオのエピソードが地獄への前フリにしか感じられなくなり、ゾクゾクしながらページをめくっていた。組織の論理かクリエイターの個性か、といったビジネスの永遠の課題を突き付けてくる興奮の一冊である。

 組織と個の対比が浮き彫りになるのが登山である。『日本人とエベレスト』(山と溪谷社)は、今年二月に刊行されたので新刊ではないが、本号の発売日に近い八月一一日は山の日ということで最後に紹介したい。

 一九七〇年に植村直己、松浦輝夫の二人が日本人初登頂を成し遂げてから五〇年あまり、世界最高峰エベレストに"取り憑かれた"といっても過言ではないほど、日本の登山はエベレストに引き込まれていったことがわかる。一九七〇年の初登頂には隊員三〇名、シェルパ、高所ポーター約五〇名、荷物総量三〇トン、キャラバン・ポーター約一〇〇〇人、費用は一億円と大規模なものであった。しかもこれだけの隊員数の中から最終的にはたった二名だけが頂への挑戦権を手にする。この大規模かつ組織的な登山により登頂できた一握りの登山者には、壮挙というよりも悲壮感を覚えるのは私だけではないだろう。女性として初登頂した田部井淳子さんに目頭が熱くなり、公募登山の課題や現状、そして二〇一八年にエベレストで遭難した故栗城史多について、それまで距離を置いていた雑誌「山と溪谷」が正面から論じている部分など興味深く読んだ。

(本の雑誌 2022年9月号)

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●書評担当者● すずきたけし

フリーライターとかフォトグラファー。ダ・ヴィンチニュース、文春オンラインなどに寄稿。あと動画制作も。「本そばポッドキャスト休憩室」配信中。本・映画・釣り・キャンプ・バイク・温泉・写真・灯台など。元書店員・燈光会会員・ひなびた温泉研究所研究員

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