『素数とバレーボール』で青春がぐんぐん立ち上がる!

文=北上次郎

 今月は、平岡陽明『素数とバレーボール』(講談社)から。最初は、不思議なプロローグの意味がよくわからなかった。四一歳の誕生日に、北浜慎介はメールを受け取るのである。送信者は、バレーボール部でチームメイトだったガンプ君だ。そのメールの内容は、当時のチームメイトであるみつる君を探してほしいこと、五万年後に岸高バレーボール部を再結成することになったら入部してほしいこと。この二つが満たされたら一人あたり二億八〇〇〇万円を進呈する──というメールであった。で、岸高バレーボール部の面々の、それぞれの現在と、そこに到るまでの日々が描かれていく。

 たとえば雑誌編集者の新田の項がいい。新田はけっして優秀な編集者ではなく、一年ごとの契約社員だが、なぜか三歳上の編集長のナツミさんに気にいられて再契約を繰り返している。元後輩のしぶ子に麻布十番のイタリアンに呼び出されて説教される場面。「新田さんっていろいろなことを諦めすぎだと思うんですよね」とさんざん愛の笞(しぶ子談)をふるったあと、彼女はこう言う。

「じゃあ、ほんとに一晩かけて考えてきたこと言ってもいいですか?」
「まだ言ってなかったの?」

 この軽妙な感じが素敵だ。

 新田を始め、岸高バレーボール部の面々の、さまざまな中年の日々がこうして描かれていくことになるが、まあそれ自体は珍しいことではない。しかしどんどん引き込まれていくのは、その細部がこのように斬新で魅力的だからである。

 問題は、あのプロローグだ。チームメイトのみつるを探すというのはいい。二億八〇〇〇万円ずつくれるというのもいいだろう。アメリカに渡って成功したガンプ君なら、そういうことをしても不思議ではない。しかし五万年後にバレーボール部を再結成するというのはどうか。そんな冗談みたいな設定がなぜ必要なのか、と思って読み進むと、それまで隠されていたもう一つの真実が明らかになり、その瞬間、ガンプ君たちの青春が、そして私たちの青春が、ぐんぐん立ち上がってくる。

 静かに読み終えたのが、凪良ゆう『汝、星のごとく』(講談社)。偶然ながらこちらも、たった四ページのプロローグにずっと縛られて読み進んだ。そのプロローグの最初の一行は、「月に一度、わたしの夫は恋人に会いにいく」というものだ。その「夫」が北原先生であること、語り手は暁海であること──この二点が明らかになっている。

 で、本文が始まると、その井上暁海が一七歳の時の物語になるのである。瀬戸内の島を舞台に、高校生の恋物語が始まるのだ。北原先生も登場するが、あくまでも脇の人物に過ぎず、井上暁海の相手は、漫画家をめざす青埜櫂だ。この若い二人の恋物語を読みながら、井上暁海が北原先生と結婚するとはどういうことなのか。しかもその北原先生が月に一度恋人に会いに行くとは何なのか。プロローグがずっと頭から離れない。

 読み終えると、この恋物語が精緻に作られた小説であることに気づく。これは、この世の中の誰にも、そしていつの時代にもあった恋物語だが、同時に、彼らだけの、一度きりの恋物語だ。その切実さに胸を打たれる。たぶん凪良ゆうは、この作品を超える作品を将来的には書いていくと思うけれど、これまでの最高傑作だと信じる。

 将棋小説が二作。橋本長道『覇王の譜』(新潮文庫)と、綾崎隼『ぼくらに嘘がひとつだけ』(文藝春秋)。二作ともに語るスペースはないので、ここでは後者に絞りたい。綾崎隼は以前の『盤上に君はもういない』も面白かったが、今回も興味深く読んだ。二人の天才少年は赤子のときに取り違えられたのか、という基本的な設定は、「才能を決めるのは、遺伝子か、それとも環境なのか?」という帯の惹句に通底することで大変に興味深いが、果たして成功しているかどうかは別問題で、ここでは留保をつけておく。それよりも、長瀬厚仁の若き日を描くパート(特に年上の親友国仲遼平との交友がいい)が強く印象に残るところに、この作家の本質を伺うことが出来る。

 急いで、青山文平『やっと訪れた春に』(祥伝社)にも触れておく。近習目付、長沢圭史が藩主のお供のさなかに御城の濠に落ちたのは何故か、という冒頭の謎がある。この謎はすぐに解かれるが、極秘の使命を帯びた三人のうち、「いるかいないかもわからぬ一名」は誰か、という謎はずっと物語を引っ張っていく。

 青山文平は、このように謎を主体にした物語を書くことが少なくないが、本書はその典型といっていい。時代小説の枠組みを借りながら、通常の時代小説とは違うものを書こうとする意欲には敬意を表したい。

 今月の最後は、長浦京『プリンシパル』(新潮社)。凄まじいアクションの連続にしびれまくる長編である。

 終戦直後の東京を舞台に、水嶽本家を継いだ綾女というヒロインの血にまみれた日々を描く長編で、本当は私、こういう作品は好きではない。その理由を書き出すと長くなるので、やくざやギャング、特に組織を描いたものは好きではない、と書くにとどめておく。それが個人ならセーフ、というのが私の許容範囲で、ひらたくいうなら『ゴッドファーザー』はダメで、ジョゼ・ジョバンニはOKということだ。

 個人的には、長浦京作品ではいまでも『アンダードッグス』が好き。しかし本書の迫力はそういう好悪の範疇を超えてくるのだ。こんな悪党たちの話はイヤだなあと思いながら、目を離せないのだ。戦後日本の闇がぐんぐん立ち上がってくる。

(本の雑誌 2022年10月号)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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