J・ルブリ『魔王の島』は最高のサイコ・ミステリである!
文=吉野仁
わたしは、十代後半、小林信彦『怪人オヨヨ大統領』に夢中となり、やがて著者の新刊を読み漁っていった。なかでも海外ミステリの新刊を鬼のごとく俎上にあげた『地獄の読書録』からは多大な影響を受けた。それから約半世紀、ひさしぶりに当時の興奮を思いだした。『阿津川辰海 読書日記 かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』(光文社)を手にしたからだ。第一部では、約七割ほど海外ものを取り上げているほか、著者が担当した解説やエッセイなどを含め、最前線の国内外ミステリを熱く語り尽くしている。この気鋭の若手作家の読書日記をまずは薦めたい。
さて、わたし個人は、紹介にかける熱量にこだわると無理な力がはいったり自己陶酔がまじりやすくなったりするためそれを避けているが、取りあげる小説の質と趣味性だけは負けず劣らず優れたものを選びたい。
まずは、今年最大の衝撃を放つ問題作だ。ジェローム・ルブリ『魔王の島』(坂田雪子監訳・青木智美訳/文春文庫)は、罠や企みにあふれた最高のサイコ・ミステリで、できれば予備知識を一切いれずに読んでほしい。なので冒頭付近のストーリーのごく一部だけを紹介しよう。ある女性新聞記者が、祖母の訃報を知り、ノルマンディー沖の孤島へと遺品整理をするために向かったところ、十人の子供たちの死と魔王をめぐる幾重もの謎をはじめ、数々の不可解な出来事に遭遇した......。フランス・ミステリならではの独特な雰囲気が横溢しているにとどまらず、読み終えた人は、しばらく頭の痺れがとまらないだろう。さぁ、みんな出かけよう、いざ魔王の島へ。
エリー・グリフィス『窓辺の愛書家』(上條ひろみ訳/創元推理文庫)は、MWA賞最優秀長編賞受賞の『見知らぬ人』で活躍したハービンダー部長刑事がふたたび登場するシリーズ第二弾だ。ペギー・スミスが亡くなった。高齢者向け共同住宅に住む九〇歳の女性で、死因は心臓麻痺だった。だが、読書家のペギーにはもうひとつの顔があった。介護人のナタルカは彼女の死に不審を抱き、真相を調べはじめた。シリーズ前作にあったゴシックな雰囲気は一変し、こちらはコージーな愉しさにあふれている。殺されたペギーがプロ作家の執筆に協力する殺人コンサルタントだったり、文学フェスティバルへの旅があったり、ナタルカがウクライナ出身の女性だったりするなど読みどころは多い。イギリス・ミステリがお好きならば、幸福をもたらす物質の分泌が脳内でとまらないだろう。
次はスペイン・ミステリ。カルロス・ルイス・サフォン『精霊たちの迷宮』(木村裕美訳/集英社文庫)は、『風の影』からはじまる〈忘れられた本の墓場〉シリーズの最終巻だ。捜査員アリシアは、大臣バルスの失踪の謎を追いかけていく。一九三八年のバルセロナ、一九五九年のマドリード、そしてバルセロナと時代と場所を移しつつ展開する本作は、地下迷路が幾重にも層になってつながっているような物語で、いささかこみいっているが、スペイン内戦やフランコ政権下の悲劇、一冊の本をめぐる秘密、手探りですすめる孤独な戦いなど、この作者でしか味わえない壮大な世界がここにある。できれば一作目からまた読みかえしたいものだ。
次は、スウェーデン・ミステリの女王と人気メンタリストがコンビを組んだ新シリーズの第一弾、カミラ・レックバリ&ヘンリック・フェキセウス『魔術師の匣』(富山クラーソン陽子訳/文春文庫)。拉致された女性が残酷な方法で殺害された。奇術で使用する剣刺し箱に押しこまれ、剣で串刺しにされたのだ。ストックホルム警察の刑事ミーナは、メンタリストのヴィンセントに捜査協力を願い出る。奇術に詳しいこの男は、数字に強迫的なこだわりをもっていた。一方のミーナは極度の潔癖症。そんなふたりは、奇術に見立てた連続殺人の解決に挑む。クセが強く問題を抱えた男女ふたりが探偵役をつとめるのに加え、さまざまな奇術の趣向が絡んでいるあたりの新味が効いている。
次は、〈ベル・エポック怪人叢書〉の第一弾、レオン・サジ『ジゴマ』(安川孝訳/国書刊行会)。冒頭で『怪人オヨヨ大統領』に触れたとおり、わたしはルパンや二十面相など怪人の出てくる小説を愛してやまない。この『ジゴマ』は一九〇九年から一九一〇年にかけて新聞連載されたもので、首領ジゴマが率いる国際的犯罪組織Z団の暗躍と彼らと対決するポーラン・ブロケ刑事の活躍を追った長編である。血痕にZのサイン、変装の名人、地下坑道といった趣向や舞台の数々は、怪人ものの原点を感じさせられ、大いに愉しんだ。
最後は、ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』(田口俊樹訳/新潮文庫)。私立探偵マックスのもとに訪れたのは、かつて大リーガーで活躍した選手チャップマンだった。彼は、あらゆるタイトルを総なめにする活躍を見せながら、交通事故で片脚を失い、野球人生を終えたが、その名声を生かし、いまは政界をめざし選挙に出ようとしていた。そんなとき、彼のもとに脅迫状が届いた。マックスは調査を進めていく。事務所を構える探偵に大物の依頼人という筋書きをはじめ、軽口や比喩表現の数々、運命の女の登場など、どこをとっても私立探偵小説の王道をいくものだ。しかし本作が、かのポール・オースターの幻のデビュー作だと知ると、それだけでは終わらない。とくに〈ニューヨーク三部作〉が好きなわたしは、本作中にも〈分身〉があることを見つけ興奮がとまらなかった。もっとも、そうした知識がなくとも愉しめる第一級の小説ゆえ、ぜひお読みあれ。
(本の雑誌 2022年11月号)
- ●書評担当者● 吉野仁
1958年東京生まれ。書評家。おもにミステリを中心とした小説や本の書評、文庫解説などを執筆。
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