原田ひ香『老人ホテル』に胸がざわざわする!

文=松井ゆかり

  • きみの鐘が鳴る (teens’ best selections 63)
  • 『きみの鐘が鳴る (teens’ best selections 63)』
    尾崎 英子
    ポプラ社
    1,760円(税込)
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「親ガチャ」という言葉がだいぶ浸透してきたと感じるのは、それだけ親子関係に悩む人が多いことの表れではないだろうか。原田ひ香『老人ホテル』(光文社)の主人公・日村天使(読みは「えんじぇる」)は、大宮の「ホテル・フロン」というビジネスホテルで清掃の仕事をしている。どうも天使は何らかの狙いがあってこのホテルで働いている様子。複数人いる長期滞在の高齢者のうち、天使が近づきたかったのは綾小路光子という人物。しかし、向こうから声をかけてきたのは、その隣の部屋に宿泊している阿部幸子だった。どうやら幸子は、幼い頃の天使を知っているようで...。教育の重要性に気づく機会のないまま、天使は大人になった。職業に貴賤はない。ただ、教育を受けることでより条件のよい仕事に就くチャンスが発生するのは事実だし、学歴や知識が不足しているために職業の選択肢が限られたものになることすら把握できない者もいるのだ。家計管理の参考にもなると話題の『三千円の使いかた』なども書かれている著者は、本書においても実践的な知識を盛り込むことで、天使が安定した経済基盤を獲得していく様子に説得力を与えている。グレーな流れではあるが、これでようやく天使も落ち着けるか...と思ったところへ、このラストの意味とは!? 胸がざわざわするような余韻を残す一冊。

 阿部暁子『金環日蝕』(東京創元社)では、大学二年生の森川春風がひったくりの現場を目撃したことから物語が始まる。被害者は、春風の斜向かいの家に住むサヨ子。ひったくり犯を追って走り出した春風は、もうひとり現場に居合わせた少年と挟み撃ちを試みる。すんでの所で犯人には逃げられてしまったが、男が現場に落としていったストラップが写真部で製作したグッズであることに春風は気づく。ストラップを手がかりに、春風と少年(高校二年生の北原錬)は犯人を特定しようと協力することに。錬の文化祭の代休が終わるまでの数日間という約束で始まった犯人探しはしかし、思いも寄らなかった方向へふたりを押し流していく。本書で描かれるのは、家族が引き起こしたことの結果として、想像を絶する苦しみを味わうことになった登場人物たち。それでも、彼らの心に愛情が残されていることは、確かに救いとなり得るのだと思い知らされた。ミステリーとしての趣向はもちろん、家族小説としても読み応え十分。いや十二分だ。

 貧困が家族を、特に子どもを追い詰め、悪影響を及ぼしがちであることに異論はないだろう。ならば、裕福な家庭であるなら問題はないといえるだろうか。尾崎英子『きみの鐘が鳴る』(ポプラ社)は、最近密かなブームとなっている受験小説。本書の特徴は、中学受験に臨む小学六年生たち本人が語り手となっていること。受験生の前向きさや悩みを鮮やかに描き出したヤングアダルト小説にもなっている。受験は孤独な戦いだ。家族の過剰な期待が重圧となることもある。それでも、同じ目標に向かう友だちがいることが、受験生たちの支えになればと願う。

 ここまで女性作家たちの作品をご紹介してきたが、男性作家が描く家族や家庭にも注目したい。白岩玄といえば、『野ブタ。をプロデュース』で人気をさらったことをご記憶の方も多いだろう。その著者が、父と子のふたり暮らし家庭二組の共同生活を題材にしたのが『プリテンド・ファーザー』(集英社)。デビュー当時はいまどきの若者感があふれ出ていたのに、まるで親戚の子どもの成長を見るような思い。そして、母親とくらべると家族小説においてもなかなか語られることの少ない"親としての男性"の内面を細やかに描写した筆力に、再度唸らされた。妻・京香の急逝により、汐屋恭平はシングルファーザーとして四歳になる娘の志乃を育てている。高校の同級生だった恭平と藍沢章吾が偶然再会したのは、一か月ほど前。現在はフリーのベビーシッターをしている章吾の方も、妻のすみれが海外赴任しているため、息子の一歳半の耕太とふたりで暮らしていた。お互い男手ひとつで子どもを育てていることを知った恭平は、再会の翌日章吾に志乃のシッターを依頼し、さらには同居を持ちかける。唐突に始まった新生活は、小さな不満や問題を孕みながらも続いていくが...。高校時代も特別に親しい間柄ではなかったふたりの父親が、相手の持つ異なる価値観を受け入れることで柔軟な考えを持てるようになっていく過程に胸が熱くなる。

 世界で初めて空港におけるテロ事件を起こしたのは日本人だった、という衝撃の事実を読者に突きつけるのは、小手鞠るい『乱れる海よ』(平凡社)。一九七二年にテルアビブ空港乱射事件の実行犯となった奥平剛士という人物は、著者の高校の先輩に当たるという。いつか奥平のことを小説に書きたいと思ったという著者は、あとがきにおいて「主要な登場人物は、私の頭の中で創り上げなくてはならないと思い、そのようにした。フィクションとノンフィクションの境目が曖昧な作品である」と綴っている。奥平の人物像が投影された渡良瀬千尋は、もともとは貧しい子どもたちに勉強を教え、彼らの幸せを願った若者だった。こんなにも心優しい人間が、どうして異国の空港で無抵抗の人々に向けて銃を撃ったのか。過激な方法で世界を変えようとするやり方を決して肯定はできないが、渡良瀬が(そして奥平が)書いた両親への手紙には心を揺さぶられずにいられなかった。息子がテロリストとなった両親、そして社会の底辺で勉強することもままならず虐げられる子どもたちの姿によって、本書もまた家族のあり方というものを読者に意識させる作品となっている。

(本の雑誌 2023年1月号)

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●書評担当者● 松井ゆかり

1967年、東京都生まれ。法政大学文学部卒。主婦で三児の母ときどきライター。現在、『かつくら』(新紀元社)で「ブックレビュー」「趣味の本箱」欄を担当。

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