「怖い」のに「見たい」ホラーのパラドックスに迫る!

文=すずきたけし

  • ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス
  • 『ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス』
    ノエル・キャロル,高田敦史
    フィルムアート社
    3,520円(税込)
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  • 港町巡礼――海洋国家日本の近代
  • 『港町巡礼――海洋国家日本の近代』
    稲吉 晃
    吉田書店
    2,860円(税込)
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  • 海と灯台学
  • 『海と灯台学』
    日本財団 海と灯台プロジェクト
    文藝春秋
    1,650円(税込)
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 いま、「怖いもの」が人気である。映画館のプログラムをみれば必ずホラー映画のひとつやふたつは上映されている。また動画サイトでは怖い話を講談する怪談師が数多く活躍し、もちろん書籍では小説や絵本、児童書といった「怖い本」が一大ジャンルとなっている。

 なぜ「怖い」のに「見たい(読みたい)」のか?

 このホラーのパラドックスを真面目な学術論文としてまとめたのがノエル・キャロル『ホラーの哲学』(高田敦史訳/フィルムアート社)だ。

 本書が想定しているホラージャンルは一八世紀から登場し始めた近代的なものである。また取り上げる"ホラー"は、「わたしは将来の環境破壊を恐れている horrified」「核武装の時代の瀬戸際政策は恐ろしい horrifying」「ナチスがしたことは恐るべきことだ horrible」といった用法のホラーではない。メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』やH・P・ラヴクラフトの『ダンウィッチの怪』、リドリー・スコットの『エイリアン』やジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』など、様々な芸術形式を横断するジャンルとしてのホラーを「アートホラー」と定義している。本書の論考のなかで面白いのはやはりホラーのパラドックスについてだろう。なぜ我々は「フィクション」であるのに怖がるのか?というフィクションのパラドックスでは、文学や映画の技巧に圧倒されるあまり、自分のことのように錯覚してしまう「フィクション錯覚説」や、いやいや実は怖いというごっこ遊びである「フィクション反応のフリ説」、はたまたフィクションとわかっていながらも、怖さの思考は分離して機能するんだよ、という「フィクションへの感情反応の思考説」などワクワクする考察が拡がる。そして「人々はなぜ拒否感を与えるものに惹かれることがありえるのか」というホラーのパラドックスでの、ラヴクラフトの宇宙的恐怖と宗教的畏怖との類似を指摘しつつ、それらが人間の原初的な恐怖であり、そこに魅力の一端があるのではないかという流れはとてもエキサイティングである。本書は一九九〇年に出版されたものであるため、現在のホラーを取り巻く状況とは若干温度差はあるものの、ホラー愛好家にとっては自身の愛着への理解を深める一冊になるだろう。

 ホラー小説の古典『ジキル博士とハイド氏』を執筆したロバート・ルイス・スティーヴンソンは、なにを隠そうスコットランドの灯台建設一族であるスティーヴンソン家の出である。彼の祖父ロバート・スティーヴンソンは一八一〇年に岩礁の上に立てたベルロック灯台建設で名を馳せ、同じく灯台技師で息子のトマスはルイスの父である。このスティーヴンソン一族は、日本の近代国家の礎となった西洋灯台建設に遠からず縁があった。日本財団海と灯台プロジェクト『海と灯台学』(文藝春秋)は日本の開国と明治以降に灯台が果たした役割とその歴史をまとめた一冊。古来日本の海は海外から「DARK SEA」と呼ばれ恐れられていた。西洋と比べ日本沿岸には標識となるものが乏しく、日本近海の航海はとても危険であったからだ。しかし西欧列強が各地の開港を迫ると、併せて西洋式の灯台の建設を要求し、果たして日本に近代的な灯台が建設されることになった。そこで活躍したのが英国人土木技師のリチャード・H・ブラントン。ブラントンは一八六八年に来日し一八七六年の帰国までの七年六か月の間に千葉県銚子の犬吠埼灯台をはじめ国内に二六基の灯台を建設。後に「日本灯台の父」と呼ばれることになる彼が、来日前に灯台建設を学んだのがトマスとデイヴィッドのスティーヴンソン兄弟なのである。本書は知っているようで知らなかった灯台の果たしてきた役割や世界情勢と深く関係する国家的に重要な施設であることなどがわかりやすく解説されている。こと灯台に関する一般向けの書物というのは少なく、またいまどき珍しくインターネットでの情報も限られている「灯台」にあって、とても貴重な一冊なのである(灯台ファンにとっては)。

 一八六四年に長州藩と英仏蘭米の四か国連合艦隊との間で馬関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)が起こり、幕府は多額の賠償金を支払うことになった。英仏蘭米の四か国は賠償金の減免と引き換えに一二条からなる江戸条約を幕府と締結し、日本沿岸に西洋式灯台の建設を要求する。理由は開港した港への航海の安全を確保するためであった。飛行機が登場するまで、日本と世界を繋ぐ唯一の場所は港であったのだ。稲吉晃『港町巡礼』(吉田書店)は、箱館(函館)、横浜、博多、神戸など日本各地の港の歴史と背景を探り、政治史をひもとく。島国である日本において港は外国との外交の最前線であると同時に、労働や政治運動の最前線でもあった。列強の北太平洋進出、度重なるロシアとの衝突など幕府が直面する国際問題を背景に重要度が増した箱館港。博多港では「福岡港」と「博多港」の名称を巡る対立や、全国各地で起こった自由民権運動をかの地で支えたのは福岡士族が経営する石炭業がもたらす石炭マネーであったことなど、経済と政治両面に士族が大きく関わっていたことが面白い。また二〇世紀初め、神戸港から出発した多くの人々はブラジルへの移民であった。彼らが働いたコーヒー農園から提供を受けて開業した日本のカフェーなど、コーヒーの普及にブラジル移民が果たした役割なども興味深い。鉄道が大都市を中心にした中央集権的な構造であるのに対し、港にはそれぞれに独立した経済と政治があったことを本書から見て取ることができる。「港町」に感じる一風変わった雰囲気には、こうした地方分権的な風土があるのかもしれない。

(本の雑誌 2023年1月号)

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●書評担当者● すずきたけし

フリーライターとかフォトグラファー。ダ・ヴィンチニュース、文春オンラインなどに寄稿。あと動画制作も。「本そばポッドキャスト休憩室」配信中。本・映画・釣り・キャンプ・バイク・温泉・写真・灯台など。元書店員・燈光会会員・ひなびた温泉研究所研究員

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