姉妹と人々の四十年の物語『水車小屋のネネ』がいい!

文=松井ゆかり

  • あなたはここにいなくとも
  • 『あなたはここにいなくとも』
    町田 そのこ
    新潮社
    1,705円(税込)
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「ニッパチ(二月と八月)は本が売れない。だから出版社も新刊にあまり力を入れないのだ」と教えられた覚えがあるのは、気のせいだろうか。そうでなければ、エース級作家たちの新刊が続々と刊行された今年の二月の活況の説明がつかない。

 新聞小説として連載されていた津村記久子『水車小屋のネネ』(毎日新聞出版)は、「これを毎朝読めるのだったら、毎日新聞をとっていればよかった」と思わずにいられない傑作。一九八一年の春休みから始まって、四十年にわたる物語が綴られる。

 仕事内容に「鳥の世話じゃっかん」と謎の付記がある求人を出していたそば屋で働こうと決意した山下理佐は、小学二年生の妹・律を連れて家を出た。シングルマザーである母親は勤務先で知り合った男性と結婚を約束し、理佐の短大の入学金を彼が新しく始める事業の資金として使ってしまった。また、婚約者が律を暴力的に扱っていることも発覚。

「鳥の世話」とは、そば屋のすぐそば(シャレでなく)にある水車小屋の石臼でそば粉を挽く際に、タイミングを知らせる鳥・ネネの世話をすることだった。ネネはヨウムという種類の鳥で、そば粉を挽く手伝いもするし、歌も歌えるし、オウム返しではない簡単な会話のようなやりとりもできる。とにかくネネが愛おしすぎて、こんな鳥なんて実在しないだろうとわかっていても、まるでほんとうの家族を思うような気持ちで読み進んだ。ほぼいい人だらけな人間関係を含めてファンタジー小説的な趣もあるが、実際には理佐や律は母親やその婚約者から傷つけられて姉妹だけでの生活を余儀なくされているし、他の登場人物たちもそれぞれ苦労を抱えているといったつらい要素も含まれた作品でもある。けれども、各人が出会いに恵まれて、お互いに支え合う様子には救われる思いもする。私たちのほとんどはネネのような不思議な存在とは出会えないものだが、常に優しさをもって生きていくことはできるのだと思わせてくれる一冊だった。

 寺地はるな『白ゆき紅ばら』(光文社)においても、保護者からの虐待が描かれている。主人公である祐希は、父親のいとこの娘である実奈子とその夫・志道のもとで養育されてきた。実奈子たちは「行き場所のない母子の居場所」として『のばらのいえ』を立ち上げたのだが、実質的に子どもたちの面倒をみるのは、自らも同じく子どもである祐希。

 成長した祐希は、『のばらのいえ』を出て行きたいという切なる願いを、協力者の手を借りて実行に移そうとする。しかし、小さい頃から一緒に育ち行動を共にしようとしていた同い年の紘果から、同行することを拒否され...。

 子どもは本来保護されるべき存在である。しかし、子どもの自由や希望を踏みつけることがいかに容易であるか、本書を読んで思い知らされた。それでも、たとえ回り道になろうとも、自分の将来を考えて一歩ずつ進んでいくことは可能なのだと勇気づけられる。祐希たちと同じような状況で、けれど踏み出せずにいる読者に、どうかこの本が届いてほしい。

 町田そのこ『あなたはここにいなくとも』(新潮社)は、五編からなる短編集で、連作ではないが「おばあちゃん」と「北九州」が共通項になっている(各話のおばあちゃんたちがぐっときますよ!)。

 特に印象に残ったのは、「先を生くひと」。語り手は高校一年生の加代。朝自分を待たずに駅まで走って行ってしまうようになった幼馴染の藍生の姿に、彼が恋に落ちたと直感し、さらには自分の恋心に気づいてしまう。加代が苦労してつかんだ手がかりによれば、藍生の相手はなんと『死神ばあさん』と呼ばれる老女だという。動転した加代は、藍生を尾行し、そのうえ死神ばあさんの家に乗り込むという暴挙に出た。しかし、そこにはいろいろと誤解があって...。

 なんというか、登場人物がサイコーなキャラばかり。それぞれの意中の相手は自分の方を向いてはいないという厳しい状況でありながら、こんなにも周囲を思いやることは可能なのだということが胸を打つ。すべてが丸く収まるというのとはちょっと違うのだけれども(いずれの短編についてもいえることだが)、そっと心に寄り添ってくれるような作品である。

 岩井圭也『完全なる白銀』(小学館)の主人公・藤谷緑里は、これまで二冊の写真集(ただし初版止まり)を刊行したフリーのカメラマン。緑里は写真系の専門学校生だった頃、アラスカのサウニケ島を訪れたことがある。そこで出会ったのが、リタとシーラ。サウニケ島は地球温暖化が原因で沈没の危機にあり、リタは自分が有名になることで島の窮状を世界中に知らせたいと考えていた。その後登山家になり、冬山に強いことから〈冬の女王〉とまで呼ばれるようになったリタは、女性初の北米最高峰・デナリの冬季単独登頂をめざす。しかし、無線で登頂成功を報告した後、「完全なる白銀」という言葉を残して彼女は姿を消した。〈詐称の女王〉と中傷されるようになったリタの汚名を返上するため、緑里とシーラは冬のデナリに挑むことに...。

 リタに対して、崇拝に近い気持ちを抱くシーラと、彼女の登頂が真実だったと信じ切れない緑里。かみ合わない思いを抱えた者同士での登山がいかに危険であるかという緊張感、冬の登山の厳しさがリアルに伝わってくる臨場感はもちろん、バディものとしてのおもしろさも抜群の山岳小説。

 いずれの作品でも、登場人物たちがまず自分の足で立とうとする姿勢に心を打たれた。私たちはひとりひとりだからこそ、支え合って生きていける。

(本の雑誌 2023年5月号)

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●書評担当者● 松井ゆかり

1967年、東京都生まれ。法政大学文学部卒。主婦で三児の母ときどきライター。現在、『かつくら』(新紀元社)で「ブックレビュー」「趣味の本箱」欄を担当。

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