主人公のまっすぐさが胸を打つ木内昇『かたばみ』がいい!
文=松井ゆかり
木内昇『かたばみ』(KADOKAWA)は、昭和生まれの自分にとっては涙が出るほど郷愁を誘われる物語だが、あらゆる世代の読者に読んでもらいたい一冊だ。
昭和十八年、主人公の悌子はずっと槍投げでオリンピックを目指していた。しかし、肩の故障により日本新記録の夢をあきらめ(いずれは幼なじみの清一と結婚し家庭に入るのを夢見ていたこともあり)、しばらくは国民学校の代用教員として働くことに。持ち前の明るさや純粋さで、教え子のみならず同僚の教員や下宿先の大家の家族ともすぐに打ち解ける悌子。しかし、生徒たちを引率しての工場見学中に、ある悲しいできごとが起きてしまう。
全編を通して、悌子のまっすぐさが胸を打つ。少々後先を考えずに行動してしまうところはあるが、何事にも一所懸命。そんな彼女は、同志のような相手と結婚した後、思いがけない事情で迎えた子どもとともに家族として生活するようになる。
戦争によって家族が亡くなったり傷を負ったりして、元の状態には戻れなかった家庭もあった(教員として、悌子も忘れられないつらい経験をしている)。一方で、戦争が結びつけた悌子たちのような親子も存在する。悌子と夫と子どもがお互いを思い合う姿は、たとえ血のつながりがなくても、家族以外のものではあり得ない。彼らを見守る周囲の人々の優しさも心に染みる、素晴らしい家族小説だった。子どもとキャッチボールをしたくなる作品でもある。
青山美智子という名前は、読書好きには心温まる小説を書き続けてこられた作家として知られているに違いない。ただ甘い夢のような内容なのではなく、人生にはどうにもならないことがあるという現実をふまえたうえで、自分はどうしていったらいいのかというヒントを与えてくれる作品になっている。『リカバリー・カバヒコ』(光文社)も連作短編集で、各話の主人公には共通点がある。同じマンションの住人であること。「サンライズ・クリーニング」を訪れたことがあること。そして、体の不調を回復させてくれるという、近くの公園の遊具・カバヒコに治してもらいたい部分があること。
人間とは悩みの尽きない生き物だ。語り手たちがここを治してほしいと思う気持ちは、心の辛さと密接に結びついている。彼らはカバヒコを拠り所とすることで、徐々に周囲にも心を開いていけるようになった。遊具はただそこにいてくれるだけではあるけれど、こちらを安心させるようなたたずまいで、責めるようなことを言ったり冷たくはねつけたりはしない。カバヒコが近所の公園にいたらいいのになと思いながら読んだ。
息子たちの就活を目の当たりにして、自分の学生時代以上に働くことの意味を考えるようになった。オンラインでの面接やエントリーシートなるものの存在など、三十年以上も前と異なることは多いが、転職に関する意識の違いもそのひとつといえるだろう。終身雇用はもはや盤石な制度ではなく、機会があれば違う環境に飛び込んでいくのは珍しいケースとはいえない。とはいえ、転職が一大事であることは事実。額賀澪『転職の魔王様2.0』(PHP文芸文庫)を読むと、自分が納得して働くにはどうしたらいいかは、社会人にとって常に現在進行形の関心事であることを思い知らされる。
シリーズ第二作にあたる本書では、キャリアアドバイザーとして頼もしくなりつつある主人公・未谷千晴の成長ぶりと、相変わらず有能で容赦ない「転職の魔王様」=来栖嵐の揺るぎなさを堪能できる。転職を考えていない読者にとっても、仕事というものに、改めて向き合うきっかけとなるのでは。
あなたと私は違う人間。頭ではわかっていても、自分が理解できない相手に対して、傷つけるような言動や態度をとってしまう人は少なくない。畑野智美『ヨルノヒカリ』(中央公論新社)は、当たり前とはほど遠い生活を送ってきた光と、恋愛を自分のこととして考えられない木綿子を中心に物語が進む。ふたりのようにいわゆる一般的とされる家庭環境や恋愛感情とは縁がない者は、しばしば攻撃や批判の的になりがちだ。
正直な気持ちを言わせてもらえば、私は光が母親から受けた仕打ちはやはり虐待にあたると思うし、彼が信じているように「本当に大事にされていたのは、僕だけ」であったのならどうして息子を置いていってしまったのかと残念に感じざるを得ない。それでも、光の気持ちは間違いだとか母親は息子への愛情がなかったとか否定するつもりはない。子育てを担う保護者が孤立しないような制度の充実は必須であるとして、親子に限らず他者に対してみんなが温かい気持ちを持てるようになることも大事だ。自分がつらいときにも他の人の気持ちを考えて行動できる光や木綿子の幸せを、誰もが願えるように。
藤岡陽子『リラの花咲くけものみち』(光文社)は、獣医師を目指したひとりの少女の物語だ。主人公は、母が亡き後に父が再婚したことによって、家庭に居場所がなくなった聡里。彼女を救い出してくれた母方の祖母・チドリの勧めもあり、聡里は北海道にある大学の獣医学部に進学する。中学時代は不登校、高校はチャレンジスクールに通っていた聡里。その聡里が学生寮で暮らし、大学の仲間たちと接し、何よりも大好きな動物たちとふれあうことで少しずつ前を向いて進んでいけるようになる。聡里自身が自分の足でしっかり歩んでいきたいという思いがあったことはもちろん、周囲のサポートがあったからこそ立ち直れたはず。獣医の助けで、動物たちがいきいきと過ごせることにも共通しているようで胸が熱くなる。
(本の雑誌 2023年11月号)
- ●書評担当者● 松井ゆかり
1967年、東京都生まれ。法政大学文学部卒。主婦で三児の母ときどきライター。現在、『かつくら』(新紀元社)で「ブックレビュー」「趣味の本箱」欄を担当。
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