呉勝浩『素敵な圧迫』はとんでもなく不穏な短篇集だ!

文=酒井貞道

  • ラウリ・クースクを探して
  • 『ラウリ・クースクを探して』
    宮内 悠介
    朝日新聞出版
    1,760円(税込)
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 呉勝浩は、重厚な長篇で名を上げる一方、その作風と題材をカメレオンのように変えてきた。六年にわたり書き溜められたノンシリーズ短篇集『素敵な圧迫』(KADOKAWA)は、後者の特性が発揮され、ヴァラエティ豊かな短篇集となった。ただし不穏。とても不穏だ。

 まず表題作では、圧迫されるのが大好きな特殊嗜好を備える主人公が、冒頭でどうやら誘拐されている。なぜ誘拐されたのかが、彼女の性癖の来歴と共に丁寧に語られていく。犯罪小説としてのプロットは平明ながら主人公の語りが絶妙に不穏で、これが鮮烈な印象を決定付ける。

「ミリオンダラー・レイン」では、主人公が三億円事件に触発されて強盗を計画する。教育程度が低く収入も低く、明日への希望を感じていない若者の、濁った日常意識の奥底からの反発精神が見物。だが物語は実に皮肉な結末を迎える。この皮肉の味は長篇より短篇向きである。読者は苦くも充実した読後感を味わうことになるだろう。

「論リー・チャップリン」は、息子から十万円を強請られた父親・与太郎の話だ。カネの要否、行動の正当性などについて相手を説得するため、登場人物間で屁理屈による論戦が行われるのが特徴だ。主人公与太郎が素っ頓狂かつロジック勝負に弱く、出る人出る人に言い負かされて納得させられてしまう。コメディ色が強いとはいえ、与太郎が頓痴気過ぎるのが逆に少々不気味で、論理優先の非倫理的な方向に物語が逸れるのではと不安になってくる。その結末は?

「パノラマ・マシン」はSF。ただし《小説現代》誌の江戸川乱歩特集に寄せられた作品なだけあって、科学要素は薄く幻想味が強い。平行世界に行けるマシンを拾った男Fと、それに気づいた男Dが、こちらの世界での不満の捌け口として平行世界で好き勝手なことをする。DはFを恐らく馬鹿にしている。こういう話でこの関係性は、悲惨な結末を迎えると相場が決まっている。具体的にどのようなものを持って来るか、そこに至る道程で何が起きるか。作者はいずれの問いにも万全の回答を用意している。最初から差している不穏の影が素敵な一篇だ。

「ダニエル・《ハングマン》・ジャービスの処刑について」はボクシングのチャンピオンにまつわる物語だ。サプライズ要素のある作品で、粗筋等は何も知らないまま読んだ方が良く、ここではこれ以上は何も言わない。読み終わってタイトルを見返すと、誰しも感じるものがあろう。

「Vに捧げる行進」はコロナ禍で人通りのない商店街に落書きが施される事件を扱った警察小説である。個人的にはこれが最も印象的に感じた。この話の構成要素は、作家によっては温かい人情話にしそうなものだからである。コロナ禍に負けるなという前向きのメッセージすら込められそうだ。しかしこの作品はとんでもなく不穏。始まりが不穏なのはさておいても、結末ではゾワゾワするものを大量に残して終わる。そこに至る展開も一貫して不穏で、フィクションでの商店街にありがちな人情味はほぼない。むしろ共同体の不気味さ、得体の知れなさすら感じられる。材料が似ていても、調理法によって物語はこうも変わるという好例だ。

 昨年、江戸川乱歩賞でデビューした荒木あかねの第二作『ちぎれた鎖と光の切れ端』(講談社)は、まず孤島ものとして始まる。主人公は、孤島のコテージでやって来た客全員を殺すつもりである。予想外の事態が起きていく。これが第一部。本書の特徴は、第一部が生き残った人物にとっては完全に決着した後に、第二部が続くことである。主役は変更され、大阪市内の、第一発見者が殺されていく連続殺人事件を扱う。こちらは『ABC殺人事件』型の事件だ。第一部が『そして誰もいなくなった』型の事件であることを踏まえると、本書はアガサ・クリスティの鋳型の意欲的合体&変奏とみなせる。二つの事件の関連性は意外なところで見出される。人間関係(恋愛ではない)が物語の主要主題に据えられており、その心理の綾が実に丁寧に掬い取られていく。極端な思考・感情による突飛な行動に説得力が生じているのが素晴らしい。これ難しいのよ。

 今月は孤島ものとしてもう一作、夕木春央『十戒』(講談社)を挙げておきたい。伯父が遺した島に父や開発業者らと共に向かった主人公は、現地で連続殺人に巻き込まれる。しかも犯人は、島内での行動を律する十の戒律をメモで指示した。十戒という行動制限と、犯人がそれを設定した理由、爆弾という道具、叙述上の仕掛けなど、様々な手練手管を駆使して、夕木春央は真相を丁寧に隠蔽し、読者を最後まで翻弄する。芸大受験に失敗して浪人中の主人公の、委縮した心理状態が、作品に奥行きをもたらしているのも◎。楽しみました。

 宮内悠介『ラウリ・クースクを探して』(朝日新聞出版)は、プログラミングの天才だった、一九七七年生まれのエストニア人、ラウリの物語である。ラウリは何もなさなかった無名の人物だと冒頭で明示され、本書は彼の伝記としてその足跡を追う話として構成されている。ソ連がエストニアを併呑した歴史を背景に、エストニア人とロシア人との微妙な関係がラウリの幼少期に影を落とす。そしてエストニア独立とソ連崩壊が、ラウリたちを翻弄する。

 本書はラウリの人生を語ると共に、その友と、壊れやすかった友情を語る。断ち切れやすい絆を語る。剥落しやすい幼き栄光を語る。社会とその変動がどうしようもない壁となることを語る。それでもなお前向きの姿勢を爽やかに残すのが、とても宮内悠介らしい。良い小説です。え、なぜミステリ欄で紹介するのかって? それはプロットが(書評はここで途切れている)

(本の雑誌 2023年11月号)

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●書評担当者● 酒井貞道

書評家。共著に『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』。翻訳ミステリー大賞シンジケートの書評七福神の一人として翻訳ミステリ新刊の、Real Sound ブックの道玄坂上ミステリ監視塔で国内ミステリ新刊の、それぞれ月次ベストを定期的に公表。

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