ますますパワーアップの成瀬あかりが帰ってきた!

文=松井ゆかり

  • シャーロック・ホームズの凱旋 (単行本)
  • 『シャーロック・ホームズの凱旋 (単行本)』
    森見 登美彦
    中央公論新社
    1,980円(税込)
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  • まぼろしを織る (一般書)
  • 『まぼろしを織る (一般書)』
    ほしお さなえ
    ポプラ社
    1,870円(税込)
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 シリーズ第一作『成瀬は天下を取りにいく』刊行以来、読書好きの心を魅了し続けてきた成瀬が帰ってきた! 宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』(新潮社)も連作短編集。引き続き地元愛を炸裂させ、四編目の「コンビーフはうまい」ではびわ湖大津観光大使にまで上り詰めている。

 成瀬は自分の信じるところに従って行動し、そのことで多少周囲から距離を置かれているようなところはあるものの、彼女に理解を示す者もたくさん存在するという稀有なキャラクターだ。理解者の筆頭で、成瀬の幼なじみで「ゼゼカラ」というお笑いコンビを組んでいる島崎は本書でも大活躍。さらにゼゼカラファンの小学生・みらいや同時に観光大使に就任した篠原なども、成瀬の存在によって大きな影響を受け、その心情に変化がもたらされた人々である。

 そして、他者と接することによって成瀬もまた成長していることが描写されているのが素晴らしい。ある意味完璧で自己完結しているような成瀬でも、ひとりでパワーアップすることはあり得ない。成瀬あかり史が二百歳まで続くならばエピソードには事欠かないはずで、成瀬シリーズは宮島さんのライフワークとして書き続けていただけたらと切に願う。

 シャーロック・ホームズと京都。この取り合わせはどうしたことか?と首をひねる人は多いと思うが、すんなりと受け入れさせてしまう説得力は森見登美彦という作家ならでは。『シャーロック・ホームズの凱旋』(中央公論新社)は、森見ファンもホームズファンも、両方好きならなおのこと読むべき一冊。

 ヴィクトリア朝京都の寺町通221Bに住むシャーロック・ホームズは、深刻なスランプに悩んでいた。赤毛連盟事件の解決に大失敗してから一年。かつて数々の事件を解決してきたように、ホームズはこの窮状を脱することができるのか?

 コナン・ドイルによる正典ファンにとっては、初めのうち「え、この人とこの人がなかよくしてる!」「このキャラがこんな役割を担っている!」と驚くことも多いと思うが、読み進めていくとさらなる驚きが待っている。京都とロンドン、いずれが夢か幻か。

 久々の新作長編ということで高まっていた期待も、裏切られることはない。ファンタジーであり、バディ(シスターフッド含む)ものであり、成長小説でもある。シャーロック・ホームズの凱旋は、ジョン・H・ワトソンの凱旋であり、森見登美彦の凱旋でもあったのだ。

 ほしおさなえ『まぼろしを織る』(ポプラ社)では、何者かになれという亡き母の言葉に縛られている槐が主人公。彼女はコロナ禍でリストラの憂き目に遭い、現在は染織の仕事をしている叔母・伊予子のもとに居候中。もともと染織家だったのは槐の祖母。だが、その長女や槐の母である次女は自分の母親を疎んじ、後を継いだのは三女の伊予子だけだった。

 実はもうひとり、染織に関心を示していたのが槐のいとこの綸。一流企業に入ることにばかり重きを置くような家族の中で居場所のなかった彼は、幼い頃から布を織ることには才能を見せていた。その綸は人気女性画家の転落死の現場に居合わせたことで心にも体にも傷を負い、槐同様伊予子の家に身を寄せることに。綸の才能を目の当たりにし、自分には誇れるようなものが何もないと気落ちする槐だったが、三人で暮らす中で心境に変化が現れ...。

 人間はどうしても生きる意味というものを探してしまいがちだ。しかし、その考え方そのものが心を疲弊させているともいえる。生きる意味がなければ、生きる価値もないと結論づけてしまうことは往々にしてあるものだ。でも、登場人物たちが伝えてくれるようにただ生きているだけでいいのだと思えれば、救われる読者は多いはず。

 坪田侑也『八秒で跳べ』(文藝春秋)では、タイトルの「八秒」が意味するものにぐっときた。

 明鹿高校バレー部員の宮下景は、二年生にしてすでにレギュラーとしてプレーしている。しかし、春高バレー予選を控えたある日、部活後忘れ物を取りに学校に戻った景は、ひとりの女子がフェンスを乗り越えようとしている場面に出くわす。その際に右足を傷め、試合には欠場を余儀なくされる。代わりに出場したのは、中学時代からずっと補欠で、近々退部するつもりの北村だった。

 その後、フェンスの上にいたのは同じ学年の真島綾だと判明。景の故障に責任を感じた彼女は、罪滅ぼしを申し出る。真島は文化祭のポスターを手がけるほどの才能の持ち主だが、彼女もまた悩みを抱えていて...。

 高校生の部活小説ではありながら、主人公が「熱血」や「スポ根」といったワードとは距離がありそうなのが新鮮。とはいえ、青春は冷静に見えても熱い。自分が何を求めているのかわからずにもがく若者たちの未来が明るいものであるように。

 一月はいわゆる黒荒野と白荒野、あわせて二冊の短編集が同月に刊行されるという、井上荒野ファンにとってうれしい年始となった。黒荒野の方は、『錠剤F』(集英社)。

 表題作の主人公は、ハウスクリーニングの会社で働くみちる。同僚の安奈が、怪しい人物から怪しい代物を買うための待ち合わせについてきた。安奈はどう考えてもだまされているに違いないと考えたみちるは、危機を回避させることには成功するが...。みちるも安奈も、詐欺まがいの行為を行おうとしたドクターFたちも日常に倦んでいる。いったん話が終わったかと思わせてからのこの切れ味! 白荒野である『ホットプレートと震度四』(淡交社)もあわせてどうぞ。

(本の雑誌 2024年4月号)

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●書評担当者● 松井ゆかり

1967年、東京都生まれ。法政大学文学部卒。主婦で三児の母ときどきライター。現在、『かつくら』(新紀元社)で「ブックレビュー」「趣味の本箱」欄を担当。

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