池井戸潤『俺たちの箱根駅伝』のチームプレーに喝采!
文=松井ゆかり
年始のテレビにおける看板番組のひとつである箱根駅伝。駅伝という競技そのものの魅力に加えて、組織の一員として動くことの難しさと醍醐味を描き出しているのが、池井戸潤『俺たちの箱根駅伝』(文藝春秋)だ。予選会で次点となったため、本戦出場への夢を絶たれた明誠学院大学。そのキャプテン・青葉隼斗は、学生連合チームへの参加資格を得た。学生連合は、予選会を走ったものの本戦に出られなかった大学の学生の中から上位のタイムの者が選出される。本来ならば学生連合においては、選ばれた選手の中で最も高順位の大学(=明誠学院大)の指導者が監督を務めるのが原則。しかし、現監督の諸矢はこの予選会をもって退任すること、また後任に現役時代には好成績を残したものの指導者としての経験はない甲斐真人を就任させることを決めていた。さらには学生連合も甲斐に指揮を執らせるという。この性急な人事は、明誠でも学生連合でも戸惑いや反発を生むことに。学生連合でもキャプテンを務めることになった隼斗は、果たしてどのようにチームをまとめていけばよいか頭を悩ませる。
駅伝チームと並行して描かれるのが、箱根駅伝を中継するテレビ局の内部。万全の準備をして臨もうとしても起きてしまうのが、ハプニングやトラブルだ。センターで仕切るアナウンサーの緊急入院、編成局からの"もっとバラエティ色を打ち出せ"という無茶振り、注目度の低いチームへの取材不足など、次々に難題が降りかかる。
それでも、各人が思いをめぐらせ必死で頭を働かせて行動することによって、最終的にチームとして目指すものを成し遂げていく様子に心を揺さぶられずにいられない。これぞ駅伝、これぞチームプレー。駅伝に関心のない方々にも楽しめる内容になっているので、ぜひともお手にとってみていただきたい。もちろん駅伝ファンにとっては必読の書、絶対読んでほしい。
"医学部受験において女子(と多浪男子)に不利な採点が行われている"とのニュースが世間を騒がせたことは、記憶に新しいのでは。月村了衛という作家は、この社会問題をフィクションの形で浮き彫りにした。『対決』(光文社)の主人公・檜葉菊乃は、シングルマザーの新聞記者。夫のDVを逃れて離婚したが、職場もまたパワハラやセクハラが根強く残る男社会。冒頭では、菊乃に私立統和医科大学が得点調整を行っているとの情報がもたらされる。娘の麻衣子がまさに医学部受験を目指している菊乃は、不公平に憤りを抑えられない。不正行為についての証言を期待できそうな人材として、菊乃は統和医大理事・神林晴海に目をつけるが...。
菊乃も晴海も、女性だからという理由で差別されてきた人間である。しかし、同じような苦境を乗り越えてきたはずのふたりでさえ、立場の違いから敵対するような構図になってしまうのがもどかしい。
スクープをとるためになんとか団結をみせていた菊乃のチームにおいて、自分の親友の息子が医学部入試で減点対象となっているのではという疑いが出てきたことで、にわかに身近な問題として捉えられるようになったメンバーも現れた。変わり身早いなとは思うが、鈍感なままよりはいいだろう。大きな社会問題に対して、男女で争っている場合ではないのだ。
近藤史恵『山の上の家事学校』(中央公論新社)は、家庭における家事育児の分担をないがしろにしてきた主人公の視点から、ジェンダーに関して深く考えさせる小説になっている。仲上幸彦は離婚を経験した新聞記者(記者キャラが流行りなのか)。娘の理央は、元妻の鈴菜と暮らしている。家族への心配りも細やかな夫を持つ妹にすすめられ、幸彦は男性のみを対象に家事を教えてくれる「山之上家事学校」に通うことになった。初めは懐疑的だった幸彦だったが、校長や他の生徒たちと接するうちに、自分がいかに鈴菜の気持ちを理解できていなかったかに気づく。
一般的な感覚からすると、幸彦は一見したところでは特に珍しいタイプというわけではない。だが、そこにこそ問題の根深さが存在するといえよう。夫たち父親たちや上の世代の人々はもちろんのこと、現在進行形で当事者である妻あるいは母親ですら、女性が犠牲を強いられる状況に対して疑問を持たずにいるケースも多いということの現れだからだ。私自身も無意識の思い込みや先入観があったことを思い知らされた作品だった。うちの息子たち(と、長男のお嫁さん)にもぜひ読むようすすめたいと思う。
表紙絵からして覚悟せざるを得ない状況であることがひしひしと伝わってくる、矢野隆『覚悟せよ』(光文社)。時代小説というと、「水戸黄門」や「大岡越前」のようにスカッとした気分になれる勧善懲悪テイストや明るい結末を期待する人も多いのではないだろうか(と書いたものの、この感覚が若い読者に伝わるかどうか自信がないが)。しかしながら、収録された七編はいずれもビターで(苦みの濃淡はあれど)、突き放されたような心持ちになられる方もいそう。
例えば「秘事」。毎年義父がとる行動に疑問を抱いた主人公。領民から年貢を徴収する立場の郡奉行の家の婿養子である彼は、ある年義父の跡をつけてみることに。明かされた謎の真相は彼の心に安寧をもたらした。そこで終われば心温まる物語だったが...。驚きの結末に加え、最後の一文がさらなる皮肉な味わいを残す。
時代ものにあまりなじみがなくとも読みやすい一冊。時代背景は違っても、ままならない世の中なのは昔も今も共通しているからということもあるかも。
(本の雑誌 2024年7月号)
- ●書評担当者● 松井ゆかり
1967年、東京都生まれ。法政大学文学部卒。主婦で三児の母ときどきライター。現在、『かつくら』(新紀元社)で「ブックレビュー」「趣味の本箱」欄を担当。
- 松井ゆかり 記事一覧 »