ピル解禁運動のリーダーに光をあてる桐野夏生『オパールの炎』
文=松井ゆかり
ある人がどんな人物であったかを複数の証言から浮かび上がらせる。しかも、その証言者の人物像に沿った話し方や口にしそうな発言をさせる。それぞれの証言に説得力を持たせる。人間の多面性を表すのに便利な手法だが、描写力のない作家が試みた場合は平板で読みごたえに欠ける作品になってしまう恐れのあるやり方だ。しかし、桐野夏生が書くなら心配ない。
『オパールの炎』(中央公論新社)の中心に存在するのは、「ピル解禁同盟」という組織のリーダーとして女性解放運動を推進した塙玲衣子。次々と移り変わる語り手たちは、全員が彼女に対して好意的なわけではない。塙はもともと女性たちが自分で自分の身体を守れるようにという目的でピル解禁を訴え始めた。しかし、どんどん過激になっていくパフォーマンスや宗教法人の設立といった行動によって、世間の注目や共感は失われていった。
SNSが発達した現代に塙が存在していたら、どうなっていただろうか。めちゃめちゃ叩かれたのは間違いないにしても、熱狂的な支持者も多数獲得した気がする。塙のような女性たちが提起した問題は、現代においてもまだまだ山積みだ。この本が、女性男性双方にとって我が事として考えるきっかけとなればいい(もちろんもっと穏便なやり方で)。
木内昇という作家がまたしても、時代を超えて人々の胸を打つ人々の姿を描いた。『惣十郎浮世始末』(中央公論新社)の主人公・服部惣十郎は、江戸の同心。見過ごされがちな矛盾や不明点に気づく有能さと、偉ぶらない穏やかな性質を併せ持っている。近親者は少々体の自由がきかなくなってきた母親・多津だけだが、他に多津の身の回りの世話をする下女の雅もおり、敷地内に小者の佐吉も暮らしている。三年前までは妻の郁がいた。自分と同役である悠木史享のひとり娘だった郁と祝言を挙げたものの、彼女は原因不明の症状により亡くなってしまった。
本書は五百ページ超えの、さまざまな読みどころのある大作となっている。複数の謎を解いていくミステリ的パート、蘭方医学と漢方医学が並び立つようになった時代の医学小説としてのおもしろさ、想う人に想われない恋愛小説の趣...。いくつもの要素が絡み合い、ジャンル小説として単純に切り分けられるものではないが、とりわけ心に残るのは家族の物語としての側面だ。特に、別の相手を思い続けてきた惣十郎が夫として郁に向かい合わなかったことへの後悔や、いわゆる毒親的な実の母親に対して温かい気持ちを持てない雅の苦悩が胸に迫る。さらに雅が、血のつながりのない多津を大切にしているという複雑な心情も。物語の結末も苦みを含んではいるが、この後惣十郎が新たな家族の形を作っていくとしたらどのようなものになるのか、ぜひ続編で見届けられたらうれしい。
結婚を考えていた相手に、「愛してると思ったことは、今までで一度もない」と言われたら愕然とするに違いない。君嶋彼方『一番の恋人』(KADOKAWA)は、多くの読者がイメージする恋愛小説とはひと味違っているかも。
道沢一番は、これまで概ね順風満帆な人生を送ってきた。成績優秀でスポーツ万能、周りから好感を持たれる若者だ。両親の期待を一身に受けた理想の息子。しかし一番は、最愛の恋人である千凪が自分に愛情を持っていないことを知ってしまう。
千凪はある秘密を抱えていた。自分に愛情を持たない相手と歩む人生というのがどんなものになるのか。想像しづらい部分もあるし、一番にとっては手放しで幸せといえないところもあるはずだ。それでもどうしても千凪でなければならないという気持ちがあるなら、さまざまな苦難を乗り越えてふたりが納得する家庭を作っていくことも可能なのではないかと希望が感じられた。
本書は優れた家族小説でもあって、個人的には一番の兄・勝利に最も共感を覚える。勝利は一番のようにオールマイティなタイプではなく、父親の期待を裏切り続けてきたという鬱屈を抱えてきた。しかし、実は家族に対する思いやりの心を持ち、偏見や先入観のないフラットな視点から物事を見ている。なかなかできることではない。
阿部暁子『カフネ』(講談社)もまた家族の物語である。薫子には、十二歳離れた弟の春彦がいた。何をやらせても上手、性格もよい...と、非の打ちどころのない彼は、家族の自慢だった(今月は優秀な弟の当たり月だろうか)。しかし春彦は、突然亡くなってしまう。別れた恋人の小野寺せつなを受遺者に指定した遺言書を遺して。が、せつなは権利を放棄すると意思を表明。あらゆる意味で型破りなせつなを、両親は気に入っていなかった。それでも弟の遺志を尊重したいと思い、薫子は説得を試みるが...。
という前フリを経て、いつの間にか読者は家事代行サービス会社が企画したボランティア活動において、二人一組で働く薫子とせつなの物語を読み進むことになる。ふたりともタイプは違えど、確固とした信念を持ち、それに従って行動することを恐れない。春彦とせつな、そして薫子へとつながっていく思いに胸を打たれずにいられなかった。物語の最終盤で明らかになる薫子からせつなへの提案には驚かされたけれども、これもまた人と人とを結びつける方法のひとつなのだろう。
家族が向けてくる刃は往々にして、相手を思う気持ちの表れでもある。それでもそこに愛情が存在する間は、やり直す余地があると信じたい。今月も、家族の難しさとかけがえのなさを考えさせられる作品が多かった。本からも学べるところは大きい。
(本の雑誌 2024年9月号)
- ●書評担当者● 松井ゆかり
1967年、東京都生まれ。法政大学文学部卒。主婦で三児の母ときどきライター。現在、『かつくら』(新紀元社)で「ブックレビュー」「趣味の本箱」欄を担当。
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