『持続可能な魂の利用』は現状認識の"実用書"である!

文=大塚真祐子

  • 持続可能な魂の利用 (単行本)
  • 『持続可能な魂の利用 (単行本)』
    松田 青子
    中央公論新社
    1,650円(税込)
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  • 多和田葉子ノート
  • 『多和田葉子ノート』
    室井光広,多和田葉子
    双子のライオン堂
    2,750円(税込)
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 たとえば、雑誌の巻末やネット記事の合間に現れる、「Before」と「After」の写真を並べた美容商品の広告を、どれだけ目にしても何も感じないくらいに女性たちは慣れている。老化を害悪のように刷りこまれながら、いざとなると「派手な身なりのあなたがいけない」と責められることなどわかっていて、素早く巧みに感情をONOFFするスイッチを、いつでも操作できるよう握りしめている。

 でも本当にこのままでいいのか、間違っているのは無自覚に引き継がれたシステムの方ではないか、というのをひとつひとつ可視化したのが、近年のフェミニズムをめぐる言論であり、松田青子『持続可能な魂の利用』(中央公論新社)のような作品だろう。

 物語の中心となる敬子は、悪質なハラスメントを契機に無職となる。同性婚をした妹の美穂子が暮らすカナダで過ごしたり、ピンクのスタンガンを持つ元同僚の香川歩と会うなかで、ある〈アイドルグループの女の子たち〉と、その中心にいる「××」に強く惹かれる。

 ライブに参加した敬子は、女性の姿も目立つのに、聞こえる歓声は男性のものばかりであると気づく。物語の冒頭近く、カナダから帰国した敬子が目にした日本の女の子たちの頼りなさを、読者は想起する。彼女たちの声の小ささは、自分たちの世界を守るための防御壁なのかもしれない、と敬子は思う。

〈もし日本がもっと違ったら、もっと対策がちゃんと取られていたら、今のように耐えたり、ストレスを感じたり、声を上げたり上げなかったり、戦っている時間を、日本の女性たちはどう過ごしていただろう。ストレスや悲しみや怒りや諦めのかわりに何を感じていただろう。それが本当に想像できない。/魂は減る。/敬子がそう気づいたのはいつの頃だったか。〉

 敬子は自分の魂が死なないよう、ある場所へと預けたのではないかと考えている。ある場所とは敬子や日本の女性たちの魂が〈少女となって、自由に生きることのできる緑の楽園〉であり、想像の少女たちは××の姿と重なっていく。物語の終盤で敬子と少女、××は一体となり、この国が直面しているらしい驚くべき背景を語り出す。

 彼女たちの声を届けなければ、という著者の強い意志を感じる。今作が連載された二〇一七年から二〇年にかけて、さまざまな女性たちが自分のおかれた歪んだ状況を主張し、抵抗することを選んだ。現実が変化するなかで、女性たちの"生きづらさ"を物語る言葉はより具体的に、率直になったはずだ。あまりにイデオロギー的だとみる向きもあるかもしれない。特定のアイドルを連想させる書き方が、この物語において本当に効果的だったかどうかも留保がある。ただ、抑圧という前提に慣れてしまった女性たちに、必要な言葉の数々がここには鮮やかに示されている。まずは女性たちのおかれた現状を認識するための、有益な「実用書」として本書を薦めたい。

 日本という国が消えるというモチーフにおいて、先行する多和田葉子の新刊『星に仄めかされて』(講談社)は、三部作といわれるシリーズの第二部であり、二年前に当欄で紹介した『地球にちりばめられて』の続編にあたる。

 留学中に故郷の島国が消滅したHirukoは、言語学を学ぶデンマークの学生クヌートと共に、同じ母語を話す人間を探す旅に出る。「性の引っ越し」をしたインド人のアカッシュ、ドイツ人の女性ノラ、グリーンランド生まれのエスキモーであるナヌークに出会い、Susanooという青年の情報を得てフランスのアルルに向かうが、Susanooは「失語症」を患っている様子で、話をすることができなかった。

 第二部で新たに登場するのは、クヌートの知人で、失語症の専門医であるベルマー、ベルマーの勤務するコペンハーゲンの病院の半地下で、皿洗いをするムンンとヴィタ。この三人が第一部でちりばめられた物語をひとつの場所に集め、次の場所へ運んで行く仲介者のような役割を果たす。

 第一部でうっすら透けてみえた神話の存在を、今作ではより近くに感じる。口をひらいたSusanooに誘導され、Hirukoは自分の〈捨てられた記憶〉に接触する。その場にいたクヌートやノラも過去の痛みを暴かれ、物語は不穏な展開を見せるが、歪んだ星座を正しい位置にそっと戻すのがムンンの存在だ。Susanooはムンンを「ツクヨミ」と呼び、ムンンはSusanooを「兄さん」と呼ぶ。神話を司るさまざまなアイテムが、物語のあちこちにひそむ。ムンンが自家製のプラネタリウムで、「旅のお守り」としてそれぞれに星をプレゼントする終盤の一連は、別れの静けさと祝祭的な明るさにあふれている。

 文中での言葉遊びも健在で、彼らの楽しいやりとりにただ耳をかたむけていたいとも思う。第三部で彼らに再会することを、首を長くして待ちたい。

 この多和田葉子の言葉と物語について、あらゆる角度から光を照射するプリズムのように、その全体像を書きつくした室井光広『多和田葉子ノート』は、同著者の随想集『詩記列伝序説』と同時刊行という形で、選書専門の書店「双子のライオン堂」出版部より発売された。二〇一九年に急逝する前に編まれ遺著となった二冊は、ともに世界的な古典から詩歌、思想哲学などのさまざまな端緒から、言語や文学を余すことなく語っており、その緻密さに息をのむ。個人的に著者の作品については、九四年の芥川賞受賞作『おどるでく』を読んだのみだったので、こんなにも大きな眼差しを持った方だったのかと圧倒された。身体がたとえ消えても、本の言葉はこうして読む者たちに新しい扉をひらかせる。

(本の雑誌 2020年8月号掲載)

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●書評担当者● 大塚真祐子

東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。

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