現役バリバリ辻真先八十八歳の年間ベスト級ミステリだ!

文=千街晶之

  • たかが殺人じゃないか (昭和24年の推理小説)
  • 『たかが殺人じゃないか (昭和24年の推理小説)』
    辻 真先
    東京創元社
    2,420円(税込)
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  • 探偵は御簾の中 検非違使と奥様の平安事件簿 (講談社タイガ)
  • 『探偵は御簾の中 検非違使と奥様の平安事件簿 (講談社タイガ)』
    汀 こるもの
    講談社
    792円(税込)
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 今年、八十八歳を迎えた辻真先は、アニメ、ドラマ、ミステリといった戦後日本サブカルチャーの生き証人であると同時に、バリバリ現役のクリエイターでもある。その新作長篇『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』(東京創元社)は、二○一八年刊の『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』の姉妹篇。前作で少年だった那珂一兵(後に漫画家となる)が映画館の看板絵描きとして登場し、他にも前作と共通するキャラクターが出てくる。

 昭和二十四年、名古屋の東名学園高校は、GHQの指導による学制改革で男女共学となったが、主人公の風早勝利らの学年は、その過渡期ということでたった一年だけ共学生活を送ることになった。彼が属する推理小説研究会は、映画研究会とともに夏合宿に繰り出したが、そこで遭遇したのは密室殺人事件。そして、夏休み最後の日にはバラバラ殺人事件が......。

 実際に戦後を知る著者だけあって、時代相の描写は後の世代の作家が勉強で身につけたものとは段違いの臨場感に溢れている。そして、この時代背景が、トリックや動機といったミステリとしての骨格と、この上なく緊密に結びついている点が本書の最も秀逸なところだ。最初の一ページから最後の一ページにまで籠められた遊び心も、本格ミステリならではの愉悦を満喫させてくれるし、戦前戦中の残滓も残る抑圧的な時代なればこその青春の瑞々しさも心をうつ。今の著者は一作品にたっぷり時間をかけているぶん、新たな代表作を毎年のように更新していて、その創作意欲には感嘆するしかない。年間ベスト級の傑作ミステリだ。

 平安時代が舞台のミステリというと、岡田鯱彦や森谷明子らの作例が思い浮かぶが、汀こるもの『探偵は御簾の中 検非違使と奥様の平安事件簿』(講談社タイガ七二○円)は、平安貴族らしからぬ恋愛下手な若君・祐高と、頭脳明晰だが当時としては婚期を逸した姫君・忍が主人公。世間体のためと割り切り、二人は契約結婚で夫婦となる。その八年後、祐高は検非違使別当(今で言えば警察庁長官)の任につく。

「夫にかわって謎解きよ!」という帯の惹句の通り、不甲斐ない夫のために妻が安楽椅子探偵パターン(ではない話もあるが)で謎を解く連作である。各篇で使われるトリックは平安時代ならではのもので、特に忍が後宮に潜入する第三話「忍の上、宮中にあやかしを見ること」は、「そうか、絵巻物によく描かれているあれってトリックに使えたのか!」と着眼点に膝を打ったし、第二話「視線の密室見えない犯人」の犯人消失トリックも鮮やかだ。祐高と忍の関係も、それぞれの心の奥に秘められた強さと弱さの交錯が、平安時代特有の事情を押さえながらも現代にも通じる機微で細やかに描かれており、特に最終話「函谷関に鶏が鳴く」における夫婦仲のこじれっぷりの描写は圧巻だ。脇を固めるキャラも魅力的で、特に一見胡散臭いが意外と有能な陰陽師・安倍泰躬が印象に残る。

 警察や検察といった組織を背景に、骨太な社会派エンタテインメントを築き続けている伊兼源太郎の新作『事件持ち』(KADOKAWA)は、入社二年目の新聞記者・永尾と、千葉県警捜査一課の刑事・津崎が主人公。二人の男性が相次いで同じ手口で殺害され、彼らが小中学校の同級生だったことが判明。この事件の進展をめぐり、永尾と津崎は自身の職業倫理を問い直すことになる。

 報道も警察も、犯罪が起これば関係者に接触し、時には私的領域に踏み込まざるを得ない立場であり、それ故に高い倫理観が求められる筈だが、実際にはさまざまな不祥事やトラブルを生んでいるのは周知の通り。そのような現実を踏まえつつ、敢えて高い志を持つ主人公たちを描くことで、著者は今の日本社会における正義とは何かを問おうとしているのだ。著者自身が新聞記者出身ということもあって、記者の世界の描写には特に迫真性が感じられる。

 福田和代『侵略者』(光文社)は、航空自衛隊の訓練の最中、正体不明の航空機が出現し、自衛隊機一機が撃墜されるという前代未聞の事件から始まる。搭乗していた自衛隊員・深浦と安田は、気がつくと何者かによって監禁されていた。監禁者の中には日本人もおり、リーダーはテロリスト指定されているサウジアラビア出身の富豪だった。どうやら彼らの目的は独立国家の樹立らしい。

 根幹のアイディア自体は途轍もない大風呂敷ながら、ディテールのリアリティを疎かにしないことによって、事件の進展を間近で見ているような臨場感と緊迫感を醸成してみせる手腕は著者の独擅場である。監禁者たちの目的と正体が少しずつ判明してゆくサスペンスと、世界を相手にした大博打に挑んだ彼らの計画が果たして成功するのかという興味で、爽快な結末まで一気に読ませる。

 横溝正史ミステリ大賞を受賞したデビュー作『虹を待つ彼女』をはじめ、逸木裕の作品では自殺というモチーフがしばしば描かれてきた。『銀色の国』(東京創元社)は、このモチーフ自体と正面から向き合った作品と言えるだろう。自殺対策NPO法人の代表・田宮晃佑は、ある自殺者が死の直前に見ていたVRについて、それが人を死に導く「自殺ゲーム」ではないかと疑問を抱いて調査を始めるが......。

 あくまでも現実の延長線上にあるリアルなテクノロジー、社会の歪みに潜む悪意、ヒリヒリした心理描写など、著者の作風の特徴が詰め込まれた小説になっている。晃佑の苦悩を描くための点景だと思っていた登場人物が意外な役割を果たすなど、細かいエピソードが終盤に向けて効いてくるのが巧い。

(本の雑誌 2020年8月号掲載)

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●書評担当者● 千街晶之

1970年生まれ。ミステリ評論家。編著書に『幻視者のリアル』『読み出し
たら止まらない! 国内ミステリー マストリード100』『原作と映像の交叉光線』
『21世紀本格ミステリ映像大全』など。

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