家族を破壊し再構築する『だまされ屋さん』に震える!

文=大塚真祐子

  • だまされ屋さん (単行本)
  • 『だまされ屋さん (単行本)』
    星野 智幸
    中央公論新社
    1,980円(税込)
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  • 今も未来も変わらない (単行本)
  • 『今も未来も変わらない (単行本)』
    長嶋 有
    中央公論新社
    1,650円(税込)
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 家族、と検索すると「同じ家に住み生活を共にする配偶者および血縁の人々」、「近親者によって構成される人間の最小の居住集団」などの説明がつづく。配偶者と血縁者の隔たり、事実婚や別居婚と呼ばれる関係性などをこの定義から窺い知ることはできず、一律に解釈するほど、そこから抉り出されるはずの個人は放置される。

 星野智幸『だまされ屋さん』(中央公論新社)では、公団住宅にひとりで暮らす夏川秋代のもとへ、娘の巴の交際相手らしき青年、中村未彩人がいきなり現れこう言い放つ。

〈いやあもう、まずはおかあさんから家族になっちゃいましょうよ。〉

 強引な物言いには不信感しかなく、ここから騒動が巻き起こるのだろうと読み手は身構えるはずだが、予想ははずれ、物語は秋代の家族たちの語りにうつる。長男の優志、そのパートナーで在日韓国人の梨花、次男の春好と再婚相手の月美、未婚のままアメリカで娘を産んだ長女の巴。それぞれの生活に触れながら、そこに生じる齟齬が少しずつ露わになるとき、そのどれもが自分の苦悩であり、糾弾であるかのように突き刺さる。

 当事者が語るより先に当事者になりきろうとする優志のふるまいを、巴は「理解という名の支配」と呼び、社会と自分の意思を切り分けられないまま、梨花は子どもを持たないことをひとりで決めた。月美が生活の不満を「春好の製造責任者」である秋代に当たることで晴らす一方、「月並みな子育て」をしてきたはずの自分がなぜ疎外されるのか、秋代は理解できない。

 各々の道行きを経て彼らは一堂に会するが、そこでもまた彼らの過去が明らかになり、本質的な焦燥が皮をはぐように剥き出しになる。そこにはやはり家族という問題が横たわる。

 そしてこの家族の前に現れた未彩人と山下夕海が、驚くべき方法で家族を寛解しはじめるのだ。トイレを貸してほしいと巴の家にあがりこんだ夕海は、そのまま部屋に通いつめ、ヒスパニックのルーツを持つ娘の紗良も夕海になつく。家族になっちゃいましょうよ、という冒頭の台詞がまったく別の響きをもつのはこのあたりからだ。

〈みんなが楽になってうまく回るようになるんじゃないかってことです。ぼくたちが闖入しても、うまく回らなくなったら共倒れじゃないですか。それじゃ意味ないんで。入り込んだことによってうまく行くようになることが肝心なんです。〉

 題名の意味が終盤で語られたとき、衝撃で震えが走った。今作をとおして著者は、家族という既存の枠組みをいったん破壊し、新しく構築し直そうとしている。そしてその新たな枠をつうじて、性別や国籍にまつわる問題へもアプローチする。家族という集合体が抱える危うさも曖昧さもひき受けながら、そのすべてに希望を描こうとしているのだ。波乱の二〇二〇年が終わろうとするいま、とんでもない傑作に出会ってしまった。

 長嶋有『今も未来も変わらない』(中央公論新社)も、星野作品とはまた別の地平の佳品である。

 小説を書いて生計を立てる星子は40代のシングルマザー。娘の拠の大学受験と恋愛、二十四歳の称君との逢瀬、十年来の友人である志保や、拠の副担任である千場先生との関係、元夫の基雄の再々婚など、にぎやかに描かれた日常の合間に、「街はきらめくパッションフルーツ」をはじめとする歌謡曲の歌詞や映画の台詞、芸能人にまつわる時事ネタなど、長嶋作品にはなじみのあるトピックが随所にちりばめられ、物語全体がまるで、久しぶりの友人に会うような近しさに満ちている。それでいて〈「我々にはレジャーが必要だ」〉という志保の高らかな宣言や、カラオケやスーパー銭湯などの何気ない描写からは、パンデミックを経て、これまでとは違うほのかな重みを感じる。

 長嶋作品の系譜の中でも起伏に富んだ物語だが、今作ではじめて感じたのは、登場人物たちが物語のこれまでとこれからをとおして、着々と歳を重ねているように見えることだ。単に年齢が上になるということではなく、加齢による人間の揺らぎのようなものを繊細に描き出す。

〈志保も私の前でだけ「飄々とした女」を嘘なく(もしくは反射で)みせられるが、しんどい志保という存在も本当で、両者はSNSも用いて使い分けられる〉という一文や、〈そういう「つもり」で沈黙していたら、相手がいなくなってしまうこともある。死んでしまうのだ〉のくだりは恐ろしいほど核心をついている。だからこそ、長嶋有は登場人物にこう言わせるのだ。〈大人は楽しくなければ〉と。

〈「『幸せにならなければ』じゃなくて『楽しく』ないと」千場先生はにっこりと笑った。〉

 老いも若きもひとしく歳をとるということに、こんなにも誠実に、軽やかに向き合った物語は他にない。何歳になっても折にふれてひらきたい一冊。

 上間陽子『海をあげる』(筑摩書房)は、沖縄の女性たちの聞き取りを記録した『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』の著者の、初めてのエッセイ集である。

 沖縄が抱えるさまざまな問題に毅然と立ち向かう著者と、葛藤と逡巡を抱えながら生きる一人の女性としての著者とが隣り合う。母として娘を見つめるまっすぐな眼差しが基地や軍用機の姿を映すとき、これらはあなたの問題でもあるよ、と静かに諭されている。

 あらゆる対象に真摯に向き合う言葉は、どれもがはじまりの澄んだ一滴のように見える。ここから海につながっていくのだ。流され汚されながら、それでもかつては青かった海に。とくに「美味しいごはん」は、人が人として生きていくことのすべてがつまった強い章だと思う。多くの人に届いてほしい。

(本の雑誌 2020年12月号掲載)

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●書評担当者● 大塚真祐子

東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。

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