オカルト+ミステリの達成『僕の目に映るきみと謎は』

文=千街晶之

  • 僕の目に映るきみと謎は (角川文庫)
  • 『僕の目に映るきみと謎は (角川文庫)』
    井上 悠宇
    KADOKAWA
    704円(税込)
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  • ジョン・ディクスン・カーの最終定理 (創元推理文庫)
  • 『ジョン・ディクスン・カーの最終定理 (創元推理文庫)』
    柄刀 一
    東京創元社
    858円(税込)
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 超常的な現象を解明する探偵役が登場するホラーミステリをゴーストハンターものと呼ぶ。代表例としては小野不由美の「ゴーストハント」シリーズなどがあるが、井上悠宇『僕の目に映るきみと謎は』(角川文庫)には画期的なゴーストハンターが登場する。

 ある高校で二人の生徒が続けて自殺した。「トモビキ人形を受け取った者は、次の友引の日までに親友に渡さないと死ぬ」という呪いが原因らしい。異界への感覚が日常的に全開状態なためオカルト現象に弱い霊能探偵・祀奇恋子と、そんな彼女のために事件の調査役を引き受ける幼馴染みの少年・千夜真守が事態の解決に乗り出した。

 恋子のやり方は、When,Where,Who,Why,What,Howの5W1Hを手掛かりとして怪異の正体に迫る「除霊推理」。ここから想像がつくように、彼女の除霊は極めてロジカルなのである。しかし、そんな恋子の推理をもってしても予想できなかったような事態も発生し、呪いの連鎖はとどまるところを知らない。恋子と真守はこの未曾有の難事件をどう解決するか? オカルト・ホラーと本格ミステリの融合の系譜上、極めて高度な達成に至った一作だ。

 深町秋生の現時点での最高傑作は『地獄の犬たち』(文庫化の際に『ヘルドッグス 地獄の犬たち』と改題)だと思うが、この作品と同じ世界観で繰り広げられる犯罪小説が『煉獄の獅子たち』(KADOKAWA)だ。

 関東最大の暴力団・東鞘会が分裂し、血で血を洗う覇権争いが始まった。マル暴の刑事・我妻邦彦と、東鞘会前会長の息子・氏家勝一の秘書兼護衛を務める織内鉄という二人の人物の視点でこの抗争の経緯が描かれるが、鍵を握るのは前作で存在感を発揮した"あの男"だ。抗争が決定的な破局に至らぬよう当事者の一方が自重しようとしても、他方の動きはそれを嘲笑うようにエスカレートし、そこに警察の思惑も絡んで、敵も味方も呆気なく死んでゆく。当初はそれなりに理に適った目的のために動いていた筈の登場人物たちが、陰謀に次ぐ陰謀、裏切りに次ぐ裏切り、報復に次ぐ報復の無限連鎖の果て、狂気と暴力衝動に駆り立てられてゆく後半の異常な熱気は深町作品の真骨頂である。なお、本書だけ読んでも独立した小説として楽しめるけれども、前作を先に読んでおくと「なるほど、裏ではそういうことがあったのか」と納得する部分がある筈だ。

 同じ名前の人物が登場するミステリというと、鮎川哲也『王を探せ』(四人の容疑者が同姓同名)や佐野洋『同名異人の四人が死んだ』あたりが思い浮かぶけれども、下村敦史『同姓同名』(幻冬舎)はそれどころの騒ぎではなく、主要キャラクター全員が「大山正紀」なのだ(登場人物紹介欄だけで十人もいる)。

 少年犯罪者の名前が大山正紀だったせいで全国の大山正紀がバッシングされ、七年後、大山正紀が出所することを知った大山正紀たちが「"大山正紀"同姓同名被害者の会」を結成する......と紹介しても何が何だかわからないかも知れないが、大勢出てくる大山正紀をきっちり描き分けた上でトリッキーな仕掛けを幾重にも張りめぐらせており、アクロバットの極みと言える。また、表現規制派フェミニストによるオタク叩きなどの実際の時事トピックを取り入れ(萌え絵を広告に使った献血キャンペーンに対しフェミニストのTwitterアカウントが献血ボイコットを呼びかけた件をモデルにしたエピソードもある)、「正義の暴走」をテーマにした社会派ミステリでもあり、自分だけは思い込みから無縁だという人間の驕りをミステリの形式で指弾する試みでもある。

 柄刀一『ジョン・ディクスン・カーの最終定理』(創元推理文庫)は、二○○六年にカー生誕百周年を記念して東京創元社から刊行された競作集『密室と奇蹟』に収録の短篇「ジョン・D・カーの最終定理」の長篇化。カーが謎を解いたものの真相が失われているイギリスの実録犯罪本について、日本の学生たちが推理合戦を行っていたところ、そのひとりが奇妙な状況で殺害される。

 近年これほど無駄のない、推理の面白さだけが凝縮されたミステリも珍しい。遊び心とカーへの敬意が詰まった快作である......と絶賛できればどんなに良かったかと思うが、作中の書物に「サー・フランドル」とあるなど(サーの称号はファーストネームまたはフルネームに冠せられるので「サー・ジョンストン」か「サー・ジョンストン・フランドル」でなければならない)、イギリスの人間が間違えるとは思えないような記述が小骨のように引っかかって作中世界への没入が妨げられた。こういうところは編集者がチェックすべきだろう。

 市川憂人『揺籠のアディポクル』(講談社)は、ある無菌病棟内の少年、タケルの視点で展開される。その病棟には他にコノハという少女しかおらず、二人と接触の機会があるのは医師の柳と看護師の若林のみ。ウイルスすら出入り不能のこの完全密室で、タケルはコノハの無残な死体を発見する。

 密室内に男女が二人きりというと著者の前作『神とさざなみの密室』を想起するが、物語の印象は全く異なっている。一章の時点で登場人物がたった四人というソリッドなシチュエーションなので、このパターンか、それともこのパターンか......と年季の入ったミステリファンは幾つかの解決パターンを予想する筈だが、それらをあらかじめ織り込んだ上で、後半はとんでもない豪腕で読者を翻弄してみせるのだ。曖昧模糊とした世界観が明らかになるにつれて読者を包む悲哀が印象的で、ある意味、今の時代だからこそ着想されたミステリとも言える。

(本の雑誌 2020年12月号掲載)

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●書評担当者● 千街晶之

1970年生まれ。ミステリ評論家。編著書に『幻視者のリアル』『読み出し
たら止まらない! 国内ミステリー マストリード100』『原作と映像の交叉光線』
『21世紀本格ミステリ映像大全』など。

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