年度ベスト級のミステリ『木挽町のあだ討ち』を読むべし!

文=酒井貞道

  • 異分子の彼女 腕貫探偵オンライン
  • 『異分子の彼女 腕貫探偵オンライン』
    西澤 保彦
    実業之日本社
    1,760円(税込)
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  • 答えは市役所3階に 2020心の相談室
  • 『答えは市役所3階に 2020心の相談室』
    辻堂 ゆめ
    光文社
    1,760円(税込)
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 あらゆる要素が最終章で美しく収斂する、年度ベスト級のミステリが現れた。その永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』(新潮社)は、江戸時代を舞台とする時代小説だ。木挽町にある芝居小屋の裏手で、若侍・菊之助が博徒を仇討ちする。その二年後、顛末を別の若侍が芝居関係者に訊きに来る。六名の人物が順繰りに語り手を務め、各自の人生と、自分が交流した菊之助の様子を語る。それらの話は語り手の性格が強く反映され、全て一々面白い。やがて話が進むにつれ、仇討ちに裏があることが徐々に匂ってくる。菊之助はどうやらその事情に苦悩していたらしい。彼は仇討ちの実行前に木挽町の芝居の世界に一時身を置いていた。そこで菊之助は何を得たか。今どうしているか。そして隠された事情とは何なのか?

 舞台人の生き様と武士の矜持が交錯し、物語のあちこちで、人間関係と情感とが美しい模様、麗しいグラデーションを描く。ミステリとしては、真相および終盤に物語が湛える情感に繋がる材料が各所に丁寧に配置されている。もちろん本書は名探偵が登場する本格謎解き小説ではなく、論理的な推理は出現しないが、物語が真相に向かうその帰結と軌跡はたいへんしっかり構成されている。しかも人物の言動に心理的整合性があるので鬼に金棒だ。ミステリ愛好家であれば、最終章を待たずして、本書の真相を予見するのはそう難しくない。しかしわかっていても魅入られる物語はある。本当に強靭な物語は、真相が読めた程度ではびくともしないものだ。『木挽町のあだ討ち』は疑いなく、そのような強い小説である。断言し保証します。この蠱惑的なまでの見事な誂えに、抗う術のあるべきか。

 木上恭『鬼の話を聞かせてください』(双葉社)は、探偵役の不気味な存在感が光る。探偵役は、都市伝説の鬼の話を取材する記者(の代理)である。彼を相手に、収録四作の語り手はそれぞれ謎に満ちた出来事を語る。探偵役は「机上のロジック」と前置きした上で、あり得る真相を推理するのだ。この推理が実に底意地が悪い。人間の嫌なところを凝縮したような真相を、ねちねちと嫌らしく、明らかに楽しそうに披露する。語り手たちは真相の炸裂に盛大に巻き込まれる。不快な思いをするだけならまだマシだ。人によっては破滅に向けて驀進してしまう。人の心に住まう鬼を燻り出す。えぐみの効いた物語を満喫してほしい。最後の「ことろことろ」では、作品にやっと光が差す──と思っていたのに! いやあ良い。

 鬼を心の闇と捉えた場合、西澤保彦は鬼を一貫して直視してきた作家といえよう。明るく溌剌とした会話や独白で進んでいた物語が、唐突に闇に沈み、気持ち悪い軋みや不協和音を上げて終わってしまう。それは『異分子の彼女 腕貫探偵オンライン』(実業之日本社)でも変わらない。所収三作いずれも、櫃洗市(架空)の市民が、自分の近くで起きた殺人事件の謎を市職員の相談員に相談する流れとなる。市民たちは相談員との問答という体の推理のトライアル&エラーを通し、真相に肉薄する。この真相が悉く、闇が深い。饒舌に機嫌よく調子よく相談していた市民たちは、まろび出た強烈な真相を前に凍り付く。ああでもないこうでもないと推理をこねくり回す愉悦が、真相の闇深さに呑み込まれる。まさに西澤保彦だ。

 腕貫探偵は今回、コロナ禍のためリモートで相談に乗っている。お役所のコロナ対応を扱った連作として、今月は辻堂ゆめ『答えは市役所3階に』(光文社)も紹介したい。

 市役所の相談室で、市民がコロナ禍に起因するトラブルを相談する。収録五篇全て、ページの九割が視点を相談者に据えており彼らの悩みが切実丁寧に描かれ、相談の結果、事態は心温まる前向きな落着を迎える。これだけを読めば完全に普通小説であり、ミステリではないように見える。ところが相談者パートの終了後、市職員同士の会話にて、市職員が、相談者がおくびにも出さなかった秘密の事情を推理で導き出す。つまり最後で唐突にミステリになるのだ。

 これは高度な技巧だ。相談者のパートは淀みなく進み、小説的な潤いも十分。綺麗な余韻すらあり、ここだけで終わっても違和感などない。しかも語り手たちは概ね、善良な市民だ。にもかかわらず、彼らは所謂《信頼できない語り手》を兼務しており、探偵役は、語り手の何気ない言及、言い回しなどをヒントに、真実を嗅ぎ当てる。さすが辻堂ゆめ、ウェルメイドな作品に見せかけて、実にスリリングな綱渡りを実現したのだ。

 上田未来『ボス/ベイカー』(双葉社)では、泥棒である主人公の人生が、親友であるボスを射殺して犯罪者を続ける世界と、その親友の射殺に失敗して、頭を冷やして友人と一緒にパン屋を営む世界とに分岐する。一度枝分かれした物語は終盤で合流し、同じ結末を迎える、というコンセプト自体がなかなか乙だ。その過程では両世界線でのシンクロニシティも頻出し、宿命がこだまする。なお主人公は親友に強い執着を抱き続ける。ちょっと怖い。

 西村健『バスに集う人々』(実業之日本社)は路線バスの旅を楽しむ人が遭遇した謎を、元刑事の妻が解くシリーズの第三作にしてどうやら最終作だ。所収八篇からは旅情が感じられる。都内をうろうろするだけでも路線バスだと結構な旅情が出るのだ。電車や自家用車の効率的な移動とは違うどこか長閑な空気感が魅力的である。加えて、登場人物の言動は基本的に穏やかであり、謎解きも若干緩めに設定と、肩の力を抜いて楽しめる要素が揃う。出て来る料理が旨そうなのも良い感じです。私も老後はこうありたい。いや今からでも良いか。

(本の雑誌 2023年4月号)

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●書評担当者● 酒井貞道

書評家。共著に『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』。翻訳ミステリー大賞シンジケートの書評七福神の一人として翻訳ミステリ新刊の、Real Sound ブックの道玄坂上ミステリ監視塔で国内ミステリ新刊の、それぞれ月次ベストを定期的に公表。

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