衝撃度も情念もピカイチの『レモンと殺人鬼』をオススメ!

文=酒井貞道

  • レモンと殺人鬼 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
  • 『レモンと殺人鬼 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)』
    くわがき あゆ
    宝島社
    780円(税込)
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  • 私雨邸の殺人に関する各人の視点
  • 『私雨邸の殺人に関する各人の視点』
    渡辺 優
    双葉社
    1,925円(税込)
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 くわがきあゆ『レモンと殺人鬼』(宝島社文庫)は『このミステリーがすごい!』大賞の文庫グランプリ受賞作である。小林姉妹は、十年前に、洋食屋を営んでいた父親が何者かに殺され、母親も失踪し、それ以後は貧しく不遇な人生を送ってきた。そして今、妹の妃奈が遺体で発見され、生前に保険金殺人を行っていたとの疑惑が持ち上がる。マスコミもそう報じて妃奈を叩いた。姉の美桜は妹の無実を信じ、彼女の疑いを晴らそうと動き始める。

 ということでヒロインが戦う話になるのかと思いきや、雲行きは最初からやや怪しい。まずこの主役の美桜がどうもシャキッとしない。容貌にも頭にも自信がなく、態度がほとんど常におどおどしているし、独白の中身もどんよりしていて、気持ちのいい性格をしていない。屈折しているのは明らかなのだ。それでも流石にこのまま引き下がるのは悔しいのか、頑張りはする。だが次第に読者は勘づくはずだ。この美桜、何かを隠していそうだぞと。この語り手は信用できるのかと。

 やがて協力してくれる人物も得た美桜は、一歩一歩、亡くなる前の妹の生活がどのようなものであったかに近づいていく。その過程で、諸々の意外な事情判明(人間像や人間関係の反転と言い得る)があって、次第に事情がわかってくる。解決の糸口も見えてきたし、このまま事態は収束に向かうのだろうな良かった良かった、これで安心だ──とはならない。違和感、不穏な感覚がなお消えずに付きまとうのである。それが牙を剥く終盤こそ本書の白眉である。なるほどこういうことだったのか。伏線を随所にしっかり張りつつ、違和感を常に読者に覚えさせ、何かあることを仄めかし続けながらも、なお驚きの真相を用意するのは容易なことではない。実力者でないと書けない作品である。

 なお作者は既に二〇二一年に他賞でデビューしており複数作品を商業出版済だが、この『レモンと殺人鬼』が現時点での最高傑作だと思います。完成度も衝撃度も、込められた情念もピカ一。オススメです。

 渡辺優『私雨邸の殺人に関する各人の視点』(双葉社)は、山奥の大豪邸で当主の老人が殺され、推理小説研究会所属の推理好きの大学生(クローズドサークルで密室殺人が起きたので喜び浮かれ、場を仕切る。どうかと思う)、地元雑誌の編集者(当主の孫娘の旧友だが体形が変わり整形もしたので気付かれていない)、当主の無職の孫(経済的援助が近日中に打ち切られる予定)の三視点から顛末が語られる。彼らに限らず登場人物はそれぞれ事情を抱えており、途中で「全員が一つずつ嘘をついている」と明かされるなど、全員どうも信用できない。多重推理も結構な迷走を見せ、これ本当に解決するのかなどと思っていると、意外な伏線が拾われて一気に解決。その後の展開もなかなか面白い。

『魔女の原罪』(文藝春秋)は、リーガルミステリの旗手ではあるものの従来のそれらのイメージとは微妙に違った所を突く五十嵐律人が、その方向性を更に推し進めた作品である。法廷が出て来るのは後半を待たねばならない。前半では、校則がない代わりに法律がそのまま校内ルールとして適用され、違法でさえなければ何をしても許される妙な高校が活写される。透析を受けている主人公の高校生・宏哉は、法律で禁じられていない悪事の存在を放っておけず、これを止めようとする。彼の行動を追う過程で、読者は、高校にとどまらず街全体も奇妙であるのに気付くだろう。旧住民と新住民は対立し、そこには何かの事情が隠されているらしい。そして中盤で事件が発生し、物語は一気に動く。

 全ての謎と疑問に答えが出る終盤は、予想外のところから伏線が飛んできたりして、あれはそういうことだったのか、この物語はこういう話だったのかと、膝打ち連発間違いなしだ。前向きながらも議論がありそうな結末も味わい深い。

 竹本健治『話を戻そう』(光文社)は、幕末の佐賀で起きる怪事件を、からくり師の少年・田中岩次郎(実在の人物であり、東芝の創業者・田中久重の孫)が解く連作短篇集──なのだが、話がこれでもかとばかり脱線する。登場した佐賀の事物を事細かに延々と解説し始めるのだ。佐賀県在住の作者が、地元愛に目覚めて歯止めが効かなくなったのか? もちろん違う。脱線の質と量は地元愛の歪み程度のことでは説明できないほど圧倒的で、極めて独特な読み味を醸し出す。『匣の中の失楽』や『闇に用いる力学』などでも明らかだった衒学趣味が、また違った現れ方をしたのだと評価したい。それらに比べると遥かに読みやすいのもポイント。物語自体を空中に放り出すような幕切れも、実にこの作家らしい。

 古処誠二『敵前の森で』(双葉社)は、悪名高いインパール作戦の後方部隊を題材とした、ホワイダニット・ミステリである。敗軍収容任務に就いていた北原少尉は、終戦後に捕虜処刑と民間人虐待の容疑をかけられ、連合軍士官の尋問を受ける。北原は当時を思い返しつつ、尋問時に明かされた当時はわからなかった事情──敵軍の事情や、友軍兵士の考えを踏まえて、真実に到達する。

 実は本書、これ以上の紹介がやりづらい。なぜなら、何が謎や問題なのかが、徐々に明らかになっていくタイプの作品だからである。熱帯の混乱した戦場のリアルで硬質な描写の向こうから、ミステリがふわりと薫り出す瞬間は、ミステリ好きにとって明らかに垂涎のひと時であり、それを妨害したくないのである。とはいえ、戦場それも外地のそれでしか成立し得ない心理が反映されているとは言っておきます。良い作品です。

(本の雑誌 2023年7月号)

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●書評担当者● 酒井貞道

書評家。共著に『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』。翻訳ミステリー大賞シンジケートの書評七福神の一人として翻訳ミステリ新刊の、Real Sound ブックの道玄坂上ミステリ監視塔で国内ミステリ新刊の、それぞれ月次ベストを定期的に公表。

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