恩田陸の新たな代表作をセットで読むべし!

文=酒井貞道

  • エフェクトラ――紅門福助最厄の事件 (本格ミステリー・ワールド・スペシャル)
  • 『エフェクトラ――紅門福助最厄の事件 (本格ミステリー・ワールド・スペシャル)』
    霞 流一
    南雲堂
    2,530円(税込)
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  • マザー/コンプレックス (小学館文庫 み 23-1)
  • 『マザー/コンプレックス (小学館文庫 み 23-1)』
    水生 大海
    小学館
    803円(税込)
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 今回は何よりもまず、恩田陸の野心作から評を始めねばなるまい。集英社から連月で刊行された恩田陸の『鈍色幻視行』と『夜果つるところ』は対を成す物語で、『夜果つるところ』は『鈍色幻視行』の核心となる作中作に該当する。セットで読むとたまらない興趣がある。

 まず『鈍色幻視行』の方だ。一九七五年に刊行された飯合梓著『夜果つるところ』は、映像化が三回も頓挫した曰くつきの小説だった。しかも飯合梓には他に著作がなく、経歴等も謎に包まれている。主人公の小説家・蕗谷梢は、関係者が複数参加した豪華クルーズ旅行に同行し、夫・雅春と共に、船内で彼らの体験を取材する。なお乗船前の開始二十ページで、「雅春の死別した前妻が、三回目の映像化頓挫の原因となった自殺した脚本家だった」こと、それを妻の梢に告げていなかったことが判明する。雅春は梢に後ろ暗いことがあるのか?

 小説、作家、映像化の因縁を探る行為は、旅情も相俟ってえもいわれぬ情緒を醸し出す。作中では客船内のシーンがほとんどを占め、船旅特有のゆったりした空気の下、登場人物たちは丁寧に情報を交換し、意見を述べ合う。梢と雅春はそれを背景にそれぞれに思索を深めていく。《一緒に》深めるとは限らないのが味噌で、仲の良い夫婦でも違いが多々あることをはじめ、夫婦・家族の機微が恐ろしいほどの精度で描き込まれる。会話が頻繁に脱線して、その脱線先で人生に関し示唆に富む内容になるのもいい。もちろん、安寧安楽な要素のみならず、先述のような不穏なすれ違いも交えて、船旅と交流は進む。

 その核にある小説『夜果つるところ』の舞台は、昭和初期の山間部にある遊廓《墜月荘》だ。幼い「私」は、生みの母、育ての母、戸籍上の母、そして遊廓で働く人たちと暮らしている。主役に隠された複雑な事情が伺われる中、「私」は母親を求め、初恋を求め、畢竟自己像を求める。「私」の感傷の微細な描写が美しい。情念の萌芽も垣間見られ、物語の色調は鮮やかながらも暗い。やがて墜月荘は歴史のうねりに呑まれ破滅を迎える。読者はその終盤で、ミステリ的な驚きと共に、哀しく切ないものを見ることになる。

 この物語に『鈍色幻視行』の登場人物たちが魅入られるのもよくわかる。皆さん自己にかかわる何かを探っており、それを『夜果つるところ』に仮託している面があるからだ。つまり、二つの長篇は、筋立てが明らかに別物だが、アイデンティティというテーマで重なる。そして双方の登場人物間には、何かが共鳴している。驚きの事実や予想外の展開、鋭い風刺を効かせつつも、力強い断定や要点を突いた摘示を避けて、余白を作る。恩田陸のこのような作風は、作品の内的関連性を丁寧かつ曖昧に提示するこの二作品において、考え得る最上の効果を発揮している。恩田陸の新たな代表作と断言したい。

『エフェクトラ 紅門福助最厄の事件』(南雲堂)は、霞流一の五年ぶりの新作長篇である。俳優・忍神健一は、役者生活四十周年セレモニーを実家の報龍神社境内で実施しようと準備中だ。しかし神社ではここ最近、奇妙な出来事が頻発していた。紅門福助は、セレモニーを無事に開催できるよう調査を依頼され、セレモニーのリハーサル合宿に参加していた。事件としてはまず、近所の寺の卒塔婆が鳥居にかけられる椿事が生じ、続いて、足跡のない雪密室の殺人が起きる。しかも遺体には「+」と書かれた袋が被せられていた。

 一応不可能興味に満ちた事件ではあるものの、今回の殺人事件のケレンはやや地味である。代わりに過去の強盗事件の影が差し、先行きの不透明感は強くなっている。癖の強い関係者が織り成すドタバタ劇も楽しい。本格ミステリとしても極めて品質が高い。恐らく霞流一史上最長の解決篇と、その長さに見合った綿密な推理は圧巻である。フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットの三要素が、質量ともに十分なクオリティの伏線を丹念に拾いつつ、論理的に詰められていくのだから、謎解き好きは大満足必至である。

 しかし本書最大の特色は、実はそこにはない。一人称で主人公兼探偵役を務める、紅門福助を襲う、「最厄」の事態がもの凄い酷さなのだ。私は絶句したことを告白します。いやほんと、なに考えてるの?(誉め言葉)

 織守きょうや『彼女はそこにいる』(KADOKAWA)は、幽霊が出るらしい一軒家にまつわる連作で、「あの子はついてない」「その家には何もない」「そこにはいない」の三篇を所収する。家は同じだが主人公はそれぞれ違います。いずれもホラーミステリに分類される内容で、推理が十分に可能な、恐ろしくも意表を突く展開が楽しめる。......明かしても良さそうなのはここまでかな。ギリギリを狙って言うと、ホラーが嫌いなミステリ・ファンもこれは読まないと損です。

 水生大海『マザー/コンプレックス』(小学館文庫)は、痴漢事件をトリガーに、三人の母親がその人間的醜さを三者三様に炸裂させる。痴漢と言われて逃げて事故死した息子の冤罪を信じる母。痴漢を捕まえた娘が不測の事態に巻き込まれていく母。夫が痴漢として捕まってしまいお腹にいる子のため焦る母。三つのプロットがどう関連付けられるかがミステリ的には焦点。ただそれ以上に、話が進むにつれて《読者の共感余地》がじわじわ狭くなっていくのが面白い、最初は全員それぞれ十分に同情できる状態なのだが、それぞれやり過ぎたり、愚かな行為に走ったり、独善的な実態が露になったりして、とても擁護できるものではなくなっていく。あなたは誰のどこまでなら許容できますか?

(本の雑誌 2023年9月号)

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●書評担当者● 酒井貞道

書評家。共著に『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』。翻訳ミステリー大賞シンジケートの書評七福神の一人として翻訳ミステリ新刊の、Real Sound ブックの道玄坂上ミステリ監視塔で国内ミステリ新刊の、それぞれ月次ベストを定期的に公表。

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