シリーズ十七年ぶりの新作京極夏彦『鵼の碑』がベスト1だ!

文=酒井貞道

 今月は何を措いてもこれを紹介せずばなるまい、第一作にして京極夏彦のデビュー作『姑獲鳥の夏』から三十年。番外編を除けば前作に当たる第九長篇『邪魅の雫』から十七年。百鬼夜行シリーズの新作『鵼の碑』(講談社ノベルス/講談社)が刊行された。知名度の割には正体不明な妖怪をタイトルに持ってきただけのことはあって、今回は、何かあるのは間違いないながら、謎や事件の姿が解決篇まで正体不明なまま進行する。五つのパート(蛇、虎、貍、猿の題名の妖怪の各部位に、鵺と題されたパートを加えて五つである)が並行して進み、それが一向に交わらないこともこの印象に拍車をかける。蛇のパートを担当するのは作家の久住で、日光のホテル(榎木津の兄が経営者だ)の給仕の娘に、殺人の記憶があることを相談されて対処に思い悩む。なお関口は久住と行動を共にする。

 虎では、御厨富美が視点となる。彼女は雇用主から結婚を申し込まれたが彼が失踪し、調査を薔薇十字探偵社に依頼。不在の榎木津に代わり、調査を担当するのは助手の益田だ。以後、御厨は益田と行動を共にする。

 貍は、刑事の木場が、戦前に起きてうやむやになった死体消失事件の謎を追うパートだ。一方、猿では、日光東照宮で発見された謎の古文書を、学僧の築山と中禅寺秋彦が整理し調査している。そして鵺では、病理学者の緑川─中禅寺や榎木津の旧友─が、亡くなった大叔父が最後に暮らした日光の旧診療所を訪ねている。

 今回の舞台は日光である。シリーズのレギュラー陣を含む主要登場人物は、比較的早い段階で(人によっては最初から)現地に集まっている。ところが彼らは終盤になるまで散発的にしか遭遇せず、物語はバラバラなままだ。随所でキーワードが強調されるため、関連性があることは読者だけは理解できる。旧日本軍、核技術、公安など物騒な要素も、全てのパートで見え隠れする。ということで、読者は、事件の全体像を早めにつかめてもおかしくない。ところがそれでもよくわからないのだ。しかも作者はここに、日光の宗教と歴史を盛り込む。ものの見方や思い込み、執念、信念等に関する衒学的会話も頻繁になされる。この迷宮感、幻惑感。

 そして最後に「鵼」と題される解決篇がやってくる。込み入っているのか否かすらよくわからない事件・事象に見事に統一的な解が示され、ほとんどの登場人物の憑き物が落ちるのだ。

 ある事象を語る物語のプロットを複数に分割、それらの交錯をなかなかさせないことによって、この物語はミステリになっている。しかも、読者にだけはわかる合図を随所で取って、事件の大きさを演出しながら、それでもなお事件の像が正体不明な状態を維持する。上手い。

 最後に現れる真相に対しては、ミステリ的な伏線はもちろん、衒学的な会話によって読者が真相に納得できる心理的補助線を入れている。いつものことながら、やっぱり見事。しかも「衒学は補助線なのでヒントになり得る」とわかっていても真相が全然わからない。素晴らしい。個人的には今年の国内ミステリのベスト・ワンかな。

 方丈貴恵『アミュレット・ホテル』(光文社)は職業的犯罪者に便宜と絶対の安全を保証する、会員制ホテルを舞台にした連作短篇集である。このホテル内で事件を起こした人間は、ホテルに即座に処分される。逆に言えば、ホテルは事件を早期に解決しなければならない。主人公はホテル付の探偵で、この場所ではあってはならないはずの殺人事件の犯人を特定すべく、快刀乱麻を断つ推理を手早く披露する。実に短篇向きの設定ではないか。

 事件は毎回不可能犯罪だ。第一話が密室、第二話が宴会場で人の視線が集中する中での毒殺、第三話は人間消失、第四話は再び密室である。謎の魅力もさることながら、真相特定に至るロジック構成がシンプルながらも堅牢で毎回感心させられる。伏線ももちろん丁寧かつ強固で、推理の説得力は非常に強い。個人的に最も気に入っているのは第一話で、推理はシンプルなのに真相は手が込んでいるのが面白い。シリーズの最初の話ならではの仕掛けもあって楽しめます。第二話は、第一話とは方向性が違う「シリーズならでは」の仕掛けが施される。第三話は変則的な話で、主人公がホテルに個人的事情で潜入してきた若者である。最後の第四話では、ホテルに危機が迫る。出し惜しみが一切ないのは嬉しい。

 米澤穂信『可燃物』(文藝春秋)は、群馬県警捜査一課の葛警部の活躍を描く連作短篇集である。葛は冷徹な切れ者で、部下にも上司にも良くは思われていないが、捜査能力を疑っている者は一人もいない。本書は、警察小説の形で本格推理を達成することに挑んだ連作と評価できる。ただし、終盤になるまで本格ミステリとしての焦点がはっきりせず、「推理の課題が何か」自体を綿密な捜査描写で燻り出すタイプの小説で揃えられている。粗筋紹介だけでも勘のいい読者には重大なヒントになりかねず、レビュー時には注意を要する。

 一番紹介しやすいのは「ねむけ」だ。強盗の容疑者が交通事故を起こした。別件逮捕できる、と捜査陣は喜ぶが、葛はなぜか慎重な対応を指示する。その理由がテーマに直結しており見事。

 スキー中に行方不明になったグループのうち一名が刺殺体で発見される「崖の下」、登山道近くでバラバラ死体が発見され死体の主を恩人と仰ぐ人物が殺人を自供する「命の恩」、不審火が続く表題作、ファミレスで動機不明の立てこもり事件が生じる「本物か」、いずれ劣らぬ出来だ。個人的には事態の構図転換が見事な「ねむけ」と「本物か」がお気に入りです。

(本の雑誌 2023年10月号)

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●書評担当者● 酒井貞道

書評家。共著に『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』。翻訳ミステリー大賞シンジケートの書評七福神の一人として翻訳ミステリ新刊の、Real Sound ブックの道玄坂上ミステリ監視塔で国内ミステリ新刊の、それぞれ月次ベストを定期的に公表。

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