「音楽とは何か」を問う逸木裕『四重奏』を推す!

文=酒井貞道

  • 【2024年・第22回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作】ファラオの密室 (『このミス』大賞シリーズ)
  • 『【2024年・第22回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作】ファラオの密室 (『このミス』大賞シリーズ)』
    白川 尚史
    宝島社
    1,650円(税込)
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  • 機工審査官テオ・アルベールと永久機関の夢 (ハヤカワ文庫JA)
  • 『機工審査官テオ・アルベールと永久機関の夢 (ハヤカワ文庫JA)』
    小塚原 旬
    早川書房
    1,254円(税込)
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  • バイバイ、サンタクロース 麻坂家の双子探偵
  • 『バイバイ、サンタクロース 麻坂家の双子探偵』
    真門浩平
    光文社
    1,980円(税込)
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 このミス大賞受賞作、白川尚史『ファラオの密室』(宝島社)の舞台は古代エジプトである。主人公はなんとミイラ。半年前の王墓崩落で命を落とした上級神官書記セティは、死後、女神マアトの審判を受けようとしていた。ところが女神は、セティの心臓に欠けがあるから審判が難しいと告げる。そしてセティに、現世に三日間だけ戻り、心臓の欠片を探すことを提案する。これに従い、セティはミイラとして現世に舞い戻り、行動を開始するのだった。

 ただし現世では、多神教を廃して唯一神アテンの信仰を強いた先王アクエンアテンが前年に亡くなっており、新王ツタンカーメンがアテン信仰を継続している。史実ではアテン信仰はツタンカーメンにより放棄され旧に復される。つまりこの時代は、宗教的・社会的に結構な混乱期なのだ。ただでさえタイムリミットのあるセティの調査は、この混乱ゆえ更に難航する。

 セティの復活それ自体は、登場人物ほぼ全員が「珍事だがまあそういうこともあるだろ」程度の反応であっさり受け入れる。加えて、神話的な超現実的事象が実際に沢山起きていることが少しずつ明かされていく。つまりこの物語は、古代エジプトの宗教観が現実のものとなった特殊設定下の世界で展開するのだ。しかも人々の価値観は古代エジプトのそれ。この状況で、セティの死は果たして現実的な解を得ることができるのか? 結果はもちろん書かないけれど、舞台設定が謎解きと有機的に結び付いており、いたく感心したことを明記しておきます。

 アガサ・クリスティー賞の正賞を受賞した葉山博子『時の睡蓮を摘みに』(早川書房)は、太平洋戦争下のベトナムを舞台に、現地の日本人が織り成すドラマを描き抜いている。当時のベトナム周辺の史実を、作者は綿密な取材で事細かに押さえた上で、その史実を小説の上で自然に展開できるよう登場人物の性格・職業・立場を絶妙に設定している。歴史知識を披歴したいがために物語を動かした、というわざとらしさは皆無だ。力ある作家であり、今後が楽しみである。なお女性主人公・鞠は、現代の目線ではむしろおとなしい人なのに、作中では面倒なじゃじゃ馬扱いだ。日本の伝統の闇といえよう。

 アガサ・クリスティー賞の優秀賞受賞作、小塚原旬『機工審査官テオ・アルベールと永久機関の夢』(ハヤカワ文庫JA一一四〇円)の舞台は、十八世紀初頭のヨーロッパである。主人公テオは、永久機関だと騙してお金を取る詐欺師の嘘を暴くことを生業としている。彼の父親は、永久機関詐欺の罪で処刑されており、物語は父親と因縁のある相手と対決する要素も帯びる。この因縁は、引っ張ればシリーズ化もできた題材だが、作者は潔く一巻で決着を付ける。テオの兄弟も(詳細は伏せるが)大活躍し、最終盤ではサプライズも用意されており、娯楽小説として完成度は高い。

 光文社の本格ミステリの新人発掘プロジェクト、カッパ・ツーで入選した真門浩平『バイバイ、サンタクロース 麻坂家の双子探偵』(一八〇〇円)は、双子の小学生が探偵役を務める連作短篇集だ。名探偵扱いされているのは兄の方だが、彼よりおとなしめながら弟も推理能力が高い。二人の会話は小学生とは思えないぐらいロジカルかつ大人びており、兄弟間の推理合戦はほぼ多重解決に肉薄するレベルだ。事件内容も日常の謎に終始せず殺人事件も複数発生し、連作全体では衝撃的なラストを迎える。個人的には、表題作の小学生以下でしか為し得ないロジック展開が楽しかった。力のある作家の登場を寿ぎます。

 最後に逸木裕『四重奏』(光文社一八〇〇円)を紹介する。今月のイチオシはこれだ。理由は、日本のフィクション史上最も深く「音楽とは何か」を問いかける物語だからである。

 主人公の男性チェリストは、自分の音楽がなかなか持てず苦悩する中、仄かに慕情を抱いていた女性チェリストの亡くなる直前の考えを探る。彼女は火事で亡くなっており、すぐ逃げられたはずなのに、なぜ煙に巻かれたのかがミステリ的な謎となる。しかし主人公にとって最大の関心事は「自由闊達な演奏が魅力だった彼女が、なぜ個々の演奏者から自由を奪う大物チェリストの元で演奏するようになったか」である。この大物の考えが振るっている。観客を含め人間は音楽を理解できない。人間は、作曲家や演奏家のエピソード、目の前の演奏家の表情や動き、或いは曲の定説(たとえばベートーヴェンの交響曲第五番は運命に抗い、勝利する曲だという通説)で音楽を理解した気になっているだけだ。従って、演奏家に必要なのは完璧な演奏技術と演技力である。本当に本人がそう感じたり信じたりして演奏する必要はない。そしてこの大物は、自分の演奏団体のメンバーには一切の自由を与えず、音はもちろん、一挙手一投足に至るまで制御下に置く。

 この極端な方法論は、主人公が抱く、名演奏への違和感──たとえば、老人がヨボヨボと下手な指揮をしているだけなのに、オーケストラ団員も観客も熱狂する──とシンクロし、物語を懐疑に沈めていく。この種の疑念は、真面目な音楽家であればあるほど実際に抱くだろうし、一部の音楽ファンも「我々は音楽そのものではなく、情報や物語を聴いているのでは」との思いに駆られることはあるはずだ。これらの疑いは、突き詰めると演奏も鑑賞も困難になりかねず危険である。魔境とも呼べるこの問いに、逸木裕は正面から挑み、最後に何かを確かに掴む。全ての問題を一気に解消するような結論ではないものの、知情意いずれの面からも音楽と人間に真摯であり、心打たれた。

 音楽は感動してナンボという感動絶対主義にはうんざり、という人に熱くオススメします。

(本の雑誌 2024年3月号)

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●書評担当者● 酒井貞道

書評家。共著に『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』。翻訳ミステリー大賞シンジケートの書評七福神の一人として翻訳ミステリ新刊の、Real Sound ブックの道玄坂上ミステリ監視塔で国内ミステリ新刊の、それぞれ月次ベストを定期的に公表。

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