阿津川辰海『黄土館の殺人』の「外」と「内」の謎解きを堪能!

文=酒井貞道

  • 黄土館の殺人 (講談社タイガ)
  • 『黄土館の殺人 (講談社タイガ)』
    阿津川 辰海
    講談社
    1,320円(税込)
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  • 兎は薄氷に駆ける
  • 『兎は薄氷に駆ける』
    貴志 祐介
    毎日新聞出版
    2,420円(税込)
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  • 観測者の殺人
  • 『観測者の殺人』
    松城 明
    双葉社
    2,035円(税込)
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  • 毒入り火刑法廷
  • 『毒入り火刑法廷』
    榊林 銘
    光文社
    2,200円(税込)
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 名探偵であるとはどういうことか。自らの存在意義をどこに見出すか。阿津川辰海《館四重奏》シリーズは、我が国の本格ミステリ作家が殊更追求するこのテーマに、クローズド・サークルと青春の自己実現を掛け合わせて挑んでいる。その待望の第三作、『黄土館の殺人』(講談社タイガ)は、大晦日の地震(!)により外界と隔絶した芸術家の屋敷に起きる殺人事件を、内と外双方から描く。短いプロローグが終わるや、物語は「外」から始まる。館の主を殺害しようと屋敷に近付いた男が、地震による道路崩壊現場で、向こう側に来た女性(名乗らない)から交換殺人を持ちかけられる。これに男が応じ、自分が殺害することとなった若女将を狙って宿に赴くと、そこにはシリーズの名探偵・葛城輝義がいた。この「外」の物語がひと段落した後、時間が遡って今度は「内」の物語が描かれる。こちらでは、シリーズの助手・田所信哉が語り手を務める。彼は、同行の友人、芸術家一家、元名探偵の飛鳥井光流らと共に、壮麗な屋敷に閉じ込められ、殺人事件に遭遇する。

「外」の事件はほぼ倒叙ミステリとして進み、そこで見聞きされた情報は、「内」の事件の真相に対する重大な伏線として機能する。とはいえ具体的に見破るのは極めて難しく、なおかつ明かされてみれば納得感しかない。謎解きはこうでなくては! また、葛城と飛鳥井の探偵二名が、それぞれに名探偵であることに悩み、怯え、しかし最後は折り合いを付けており、人間ドラマの面からも見所が多い。自己実現や克己の課題に他ならないからだ。悩み多き名探偵・葛城を、身内ではなく同類でもない部外者(交換殺人を持ちかけられた男)からどう見えるかが読めて、興味深かった。

 貴志祐介『兎は薄氷に駆ける』(毎日新聞出版)は、冤罪を巡る物語だ。冤罪テーマの作品には「主人公が被疑者としてずっとストレスに晒され続ける」、読んでいるだけで辛い小説が散見されるが、本書はそこまで行かない。被疑者以外にも別視点を用意して圧力を逃がしつつ、被疑者自身もいずれ逆襲に転じることを早々に予想させるなど、緩急が付けられており、読者に過度のストレスを与えないのである。

 内容は次の通り。資産家が殺されて甥の日高英之が捕まった。彼の亡父は十五年前の別の殺人事件の犯人として獄死していたが、英之は父が冤罪だと思っていた。今また息子の英之も、警察と検察に殺人犯だと決め付けられ、乱暴な取り調べを受け、殺害を認める調書にサインさせられる。だが英之は何か考えがあるようだった。

 英之自身の視点から警察・検察の乱暴な取り調べを描きつつ、合間に、弁護人から依頼されて事件調査を手伝う男・垂水の視点が入る。先述のストレス軽減の効果の他、状況がより多角的に描写され、読者は事件内容や争点を理解しやすくなる。そして中盤で満を持して刑事裁判が始まり、検事と弁護士、証人、判事の活発なやり取りが、物語を法廷ミステリへと導く。

 警察・検察に加えて、裁判の場も実態に即してリアルに描写しているのに、冤罪の主張・立証は意外な方向から劇的におこなって、娯楽性もたっぷり。そして裁判のカタルシス冷めやらぬ内に、英之の真意が明かされて物語はもう一跳びする。圧巻。

 松城明の長篇『観測者の殺人』(双葉社)は、操り殺人を掘り下げたデビュー連作短篇『可制御の殺人』の続篇である。今回も出て来ますよ、あの名犯人・鬼界が。人気Vチューバー姪浜メイノが配信中に斬首された。犯人は「観測者」を名乗り、SNSのフォロワーが百人以上のアカウントを無差別に殺害すると予告。物語は、事件の実行犯らしき男、メイノの同年輩の親友、SNS運営企業の技術者の視点で進む。

 前作に引き続き、事件の「黒幕」は鬼界である。今作も鬼界は様々な人間を操って事件を引き起こすのだが、今回は長篇ということで、物語は主要人物の思考や性格を一層深掘りする。加えて、ネットやSNSを通じて人間の暗黒面を直視する。描写された諸々の要素を、作者は操りの精度と説得力の向上に見事に繋げており、凄みと寒気すら感じさせる。ミステリ面でも、意外な真相をしっかりした伏線付きで演出するなど、隙がない。人間と社会への鋭い批評精神に裏打ちされた傑作である。

『毒入り火刑法廷』(光文社)は、デビュー短篇集『あと十五秒で死ぬ』で特殊設定、推理の面白さ、物語の緊迫感を鼎立させていた榊林銘が、作家として更なる凄みを見せる長篇だ。現代社会に近い国(たぶん外国)で、魔女狩りが行われる。魔女の魔法には一定の法則があるという設定の下、魔女にしかできない犯罪を犯したと疑われた女性が、通常の刑事裁判とは異なる火刑法廷で裁かれる。魔女だと判定された者は、その場で生きながら燃やされるのだ。この火刑法廷において、審問官と弁護士を中心に、ゲーム《逆転裁判》を思わせる勢いで推理合戦が展開される。作中で扱われる複数の事件、そのいずれでも、多重推理が展開され、しかも明らかに捨て推理とわかる低品質なものはない。この論戦は、相手を言い負かしさえすればそれで良しとする傾向が強く、騙し合い・引っ掛け合いの駆け引きも展開され、手に汗握らされる。ロジカルな推理小説が好きな人は必読である。おまけに思春期の少女を中心とした登場人物の人間ドラマも読み応え満点だ。当初はコメディ・タッチで始まった物語は、親に見捨てられることさえ普通な、魔女への迫害の現実を背景に、徐々にシリアスの度を増す。ほとんどの登場人物が、悲劇、悲嘆、絶望、そして過酷な運命に翻弄されつつも、なお前を向く。この鋭さ。この痛み。

(本の雑誌 2024年5月号)

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●書評担当者● 酒井貞道

書評家。共著に『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』。翻訳ミステリー大賞シンジケートの書評七福神の一人として翻訳ミステリ新刊の、Real Sound ブックの道玄坂上ミステリ監視塔で国内ミステリ新刊の、それぞれ月次ベストを定期的に公表。

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