『檜垣澤家の炎上』は永嶋恵美の最高傑作だ!
文=酒井貞道
『檜垣澤家の炎上』(新潮文庫)は、現時点における永嶋恵美の最高傑作と言って良いだろう。大正年間を貫く骨太の一族小説であると共に、その一族に加えられた主人公が、自らの地位をいかに築くかというクールな成長譚でもある。
横濱を代表する富豪一族、檜垣澤家は、初代の要吉に見初められた妻スヱの手腕で隆盛を極めていた。要吉が中風で寝たきりとなった上に、子や孫が女性に偏ったこともあって、一族は完全に女系一族となり、その支配権はスヱの手にあった。主人公の高木かな子は、要吉の妾の娘であり、登場時弱冠七歳である。生母を亡くした彼女は檜垣澤家に引き取られたものの、待遇は使用人同然だった。しかも一族の女性たちや、部下、使用人の思惑が交錯している。そんな中で、かな子は各人の特徴や人間関係を冷静に観察し、以後十数年にわたり、居場所を作るための行動を取り続ける。
かな子の言動は原則として計算ずくである。初期の段階から、真っ当な大人に育つのか不安になるほど大人びている。ただし彼女が常に正解を引くとは限らず、自分に加害してきた人物を陥れることもあれば、大人の掌の上で転がされることもある。そして、成長と共に知識や経験が増え、彼女から見た世界が広がっていくに連れて、かな子の言動は洗練される。と同時に、思春期の疾風怒濤に似た、自分でもどうしようもない自分の心にも向き合っている。それは友情や愛情、恋愛感情であるかもしれない。血縁上は姉に当たる中年女性陣、姪に当たる若い女性陣(それでもかな子よりは年上)と対等に扱われないことへの悔しさかもしれない。実父・要吉の手柄などなかったかのように振舞う、支配者スヱへの反発かもしれない。一見クールなかな子には、しかし確かに熱い血が通う。そして彼女から見た世界は、成長と共に徐々に、明らかに広がっていくのだ。
ストーリーは概ね大正年間を通して進行し、その過程で様々な出来事が起きる。ミステリらしく人が死ぬこともあるし、昔の素封家にありがちな、他家との婚姻政策が表面化することもある。軍部との怪しげなやり取りや、横濱中華街の華僑との謎の交流が登場したりもする。かな子の前にも、乗り越えるべき障害、どうしようもない蹉跌などが大小様々に表れる。それら全ては、巨視的には「成長による物語の広がり」に回収されていく。これこそ、本書が傑作たる所以だ。激推しいたします。
今月は、白井智之のノンシリーズ短篇集『ぼくは化け物きみは怪物』(光文社)も落とせない。ここ二年ほどで完全に一皮剥けた感のある本格謎解きミステリの旗手(ただし高頻度でグロテスク又は絶望的な物語になる)が、SF的な発想すら駆使して、五つの短篇に力を振るいきっているのだ。
巻頭の「最初の事件」からして発想がおかしい。児童連続殺人事件と、リビアを思わせる北アフリカ某国での独裁体制崩壊を紹介した後に、ぬけぬけと、学校の日常の謎に挑まんとする小学生の物語を、やや情けなく始める。ところがですね......。
次の「大きな手の悪魔」は、異星人による侵略SFに、とある犯罪類型──フィクションでもよく見かけるし、現実にも鬼畜の所業としか言いようがない事件が発生している類型──を組み合わせた物語である。よくこんなこと考えつくな。
「奈々子の中で死んだ男」では、荒くれ男と遊女がそれぞれ酷いことに巻き込まれて邂逅する。その後に物語は驚愕の展開を迎え、ミステリ的にもしっかりまとめてくる。ショッキングな内容には、確かな悲哀と諸行無常が随伴する。つくづく上手い。
「モーティリアンの手首」では、タイトルにある生物の化石が奇妙な状態で発掘され、その個体の死んだ状況が推測される。SF仕立ての考古学的なミステリになるのかと思いきや......。
最後の「天使と怪物」は、過去のアメリカを舞台に、フリークス/見世物小屋の一座で起きた殺人事件を扱う。主人公の姉が予知能力を持つとされた一種の神童であり、宗教施設から逃げてきた、という設定が、主人公視点の物語の雰囲気を決定する。普遍的な美しさすらある、切ない悲哀が印象的な一篇。
というわけで収録五篇全て素晴らしい。そして読み終えた後に、ぜひ『ぼくは化け物きみは怪物』というタイトルを反芻していただきたい。あなたの胸には何かが刺さっているはずだ。
新名智『雷龍楼の殺人』(KADOKAWA)は、開始二〇ページそこそこで出現する読者への挑戦が、真犯人を名指しすると同時に、「こんな真相などどうでもいい」と嘯く。そして最後まで読むと、本当に、真犯人などどうでも良いのがわかる。過去にも殺人が起きた孤島の屋敷に一族が集まるという、古風な枠組を、作者は果敢に解体し再構築したのだ。
西式豊『鬼神の檻』(ハヤカワ文庫NV)は、五十年ごとに姿を現すという神を祀る村の、百年にわたる物語だ。大正十二年、昭和四十八年、令和五年がそれぞれ舞台になる。昭和のパートは横溝正史型のミステリに見える......のだが、大正のパートを読み終えているなら、昭和パートを額面通り受け取るはずがない。全てが解消されるのは令和を待つほかない。不透明な先行きにワクワクしながら読んでいただきたい。力作です。
降田天『少女マクベス』(双葉社)は、演劇専門の女子高を舞台に、昨年の公演で命を落とした、天才的劇作家だった生徒の死の謎を追う。誇り、羨望、嫉妬、矜持が渦巻く物語で、次々に明かされる真実にはその度に痺れる。だがよく考えると、登場人物は学校という狭い世界で天才だの人生お先真っ暗だの決め付けており、痛々しいほど未熟だ。この切実な狭窄こそ物語の肝である。
(本の雑誌 2024年11月号)
- ●書評担当者● 酒井貞道
書評家。共著に『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』。翻訳ミステリー大賞シンジケートの書評七福神の一人として翻訳ミステリ新刊の、Real Sound ブックの道玄坂上ミステリ監視塔で国内ミステリ新刊の、それぞれ月次ベストを定期的に公表。
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