美しい光を放つ短篇集『蜜のように甘く』

文=林さかな

  • 蜜のように甘く
  • 『蜜のように甘く』
    イーディス・パールマン,古屋 美登里
    亜紀書房
    2,200円(税込)
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  • ライフ・アフター・ライフ (海外文学セレクション)
  • 『ライフ・アフター・ライフ (海外文学セレクション)』
    ケイト・アトキンソン,青木 純子
    東京創元社
    3,960円(税込)
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  • 敗残者 (東欧の想像力)
  • 『敗残者 (東欧の想像力)』
    Kongoli,Fatos,コンゴリ,ファトス,伊知郎, 井浦
    松籟社
    2,420円(税込)
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  • パトリックと本を読む:絶望から立ち上がるための読書会
  • 『パトリックと本を読む:絶望から立ち上がるための読書会』
    ミシェル・クオ,神田 由布子
    白水社
    2,860円(税込)
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 ページに連なる言葉にとろけるような至福を味わった。『蜜のように甘く』(イーディス・パールマン/古屋美登里訳/亜紀書房)は誰しもにおとずれる日常の美しい輪郭を、言葉で彫刻するように見せてくれる短篇集。いい小説は読後、世界にいまとは違う別の光を当ててくれる。ここにおさめられている十篇はひとつ残らず美しい光を放ち、魅了された。

 日本オリジナル編集の巻頭作品は「初心(テンダーフツト)」。ペイジは四十九歳で、夫を戦争で亡くしている。子どもはなく、足専門のケアサロンを開いていた。聴き上手のペイジの元にはお客が途絶えることはなかった。店の斜め前に引っ越してきた大学教授のベンは、密かにペイジを観察していた。そして、とうとうベンはペイジの店を訪れ、足のケアを受ける。ベンはケアを受けている間、ある事故について心の内を打ち明ける。二人の共通点は身近な「死」。生き残ったものが抱える重さが語られる。「死者たちはその死を生き残った者たちに返し、生者たちは生の終わりが来るまで嘆き悲しむ運命を担わされるのだ」

「お城四号」も人の話に耳を傾ける局所麻酔医のゼフの物語。お城は病院のこと、そこに三組のカップルを登場させ、つながりをもたせて話は進行する。麻酔で鎮静状態になる患者が語る言葉は意識が戻ってから覚えていることは少ない。けれどゼフは覚えている。仕事が終わり、シャワーを浴び、「彼にしがみついていたお喋りの言葉はみな病院の下水へと流れていった」。ああ、そうだ。シャワーを浴びたあとの爽快感は、身体的な汚れのみならず、まとわりついた言葉も流してくれるのだと気づかされた。著者パールマンは人がよく知っていると思われる事象を、密やかな表現で小説にとけこませるのが巧みで、何度も感嘆のため息が出た。

『ライフ・アフター・ライフ』(ケイト・アトキンソン/青木純子訳/東京創元社)は一九一〇年に生を受けたアーシュラが主人公の物語。少し込み入ったつくりの話になっているので、時間軸に振り落とされないよう注意深く読まなくてはいけない。各頁に書かれている日付は、本書の大事な符号だ。

 主人公アーシュラは幾度も死ぬ。何せ生まれてすぐ息をひきとるのだが、次のシーンでは、無事生まれる。以降も人生の分かれ道になりそうなところで死ぬのだが、間際の記憶は少し残り、新しい生がはじまる。

 時代背景は英国の史実を踏まえており、第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして戦後と、ぶ厚い時間の中にある。描かれる暗い時代は、アーシュラの転生によって、重層的に語られ、戦時下においては、ドイツの独裁者とも関わりが出て、物語はいっそう複雑になる。

 転生においては、死ぬ間際に悔いを残していれば、生き直す時にはやりなおせるチャンスもおとずれる。一瞬の時がもたらす壮大さは、まるでジェットコースターを味わうようだ。最後の章で書かれる日付はいつなのか。ラストの五五三頁を楽しみに読んで欲しい。

『敗残者』(ファトス・コンゴリ/井浦伊知郎訳/松籟社)はアルバニア文学作品。作者は数学教師を経てこの小説で作家としてスタートした。

 外務省のサイトにあるアルバニアの基礎データでは、長年、鎖国的な社会主義体制をとってきたが、東西冷戦の終結、東欧諸国の民主化、国内の経済情勢の悪化等の背景から、一九九〇年以降は対外開放政策に転じたとある。

 本書は一九六〇年代後半から七〇年代の鎖国時代とそれが開ける一九九一年の二つの時代に分かれている。冒頭は一九九一年。主人公セサル・ルーミが、アルバニアからフェリーでイタリアかヨーロッパのどこかに渡ろうとするも、土壇場で気持ちが変わるところから始まる。

 セサルは自らを敗残者として留まった。幼児期から、学校や家庭での暴力にさらされ、成長してからも友情や恋愛にも恵まれない。ずっと何かからの敗残者となり、足踏みしている様が延々と語られる。しかし、考えると多くの人が成功し幸せになっているわけではない。敗残者が不幸と同義語でもない。愚直なセサルの人生において、成就しなかった恋はいわゆる幸せのゴールにはたどりつかなかったかもしれないが、心がとろける時もあったのだ。

 留まり続けた人生も決して敗けたというひとことでは片づけられない。そんな起伏が丹念に描かれ、独特の余韻が残った。

『パトリックと本を読む 絶望から立ち上がるための読書会』(ミシェル・クオ/神田由布子訳/白水社)はノンフィクション。

 台湾系アメリカ人の著者が、ハーバード大学四年の時に、教育支援団体に入り、期間限定で落ちこぼれの学校といわれるスターズ校に教師として赴任する。詩を用いたり、作文を書かせたり、読書教育も取り入れ、生徒たちと信頼関係をつくっていく。パトリックは優秀な生徒の一人だった。ミシェルはその後NPOに内定が決まり三週間後には仕事が始まるというタイミングで、パトリックが拘置所にいる知らせを受け取る。再会したパトリックは、学んだことを全て忘れたようだった。ミシェルは就職を七ヶ月待ってもらい、あらためてパトリックと向かい合う。本を差し入れ、文章の練習として手紙を書くことをすすめる。パトリックが変化していく過程は一直線ではない。時にはミシェルに嘘をついて悪事の片棒をかつがせたりもする。それでも、学ぶことが彼を変えていく。詩や俳句がパトリックの感性を開かせ、人の心を動かす手紙を書くまでになる。

 ミシェルのような教師と出会えるのが幸運ではなく、必然にしていかなくてはいけない。

(本の雑誌 2020年8月号掲載)

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●書評担当者● 林さかな

一九六七年北海道生まれ。カナダ、京都、名古屋で生活。いまは東北在住。好きな詩:エミリー・ディキンソン「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」

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