「かわりばんこ」に気づかせてくれるグラフィック・メディスン

文=すずきたけし

  • テイキング・ターンズ HIV/エイズケア371病棟の物語
  • 『テイキング・ターンズ HIV/エイズケア371病棟の物語』
    MK・サーウィック,島田 恵,生島 嗣,中垣 恒太郎,濱田 真紀
    サウザンブックス社
    3,410円(税込)
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  • だれでもデザイン 未来をつくる教室
  • 『だれでもデザイン 未来をつくる教室』
    山中俊治
    朝日出版社
    1,870円(税込)
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  • ヤマケイ文庫 極北の動物誌
  • 『ヤマケイ文庫 極北の動物誌』
    ウィリアム・プルーイット,岩本 正恵
    山と渓谷社
    990円(税込)
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  • 世界は縮まれり 西村天囚『欧米遊覧記』を読む
  • 『世界は縮まれり 西村天囚『欧米遊覧記』を読む』
    湯浅 邦弘
    KADOKAWA
    2,970円(税込)
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 クラウドファンディングで支援した本が届いた。一月に書店でも発売されたMK・サーウィック『テイキング・ターンズ』(中垣恒太郎・濱田真紀訳/サウザンブックス社)は、エイズパニック下のアメリカで一九九四年から二〇〇〇年にかけてエイズケア病棟の看護師を務めた著者によるグラフィックノベル・メモワール(回想録)。エイズケアの病棟で患者に寄り添い、命の終わりを見つめてきた著者の悲しみと葛藤、そして患者への尊敬と畏怖といった感情を柔らかなタッチのイラストで描いている。エイズは一九八一年に原因不明の病気として報告され、翌年にAIDS(後天性免疫不全症候群)と名付けられ、一九八三年にHIV(ヒト免疫不全ウイルス)というウイルスに特定された。本書で描かれている九〇年代はまだ現在のように抗HIV薬もなく、感染すると免疫システムが破壊され、様々な感染症に対して脆弱になり多くの患者が亡くなっていた。またゲイの男性たちから症例が報告されたため、同性愛者など性的マイノリティへの差別がさらに強まっていた時代のなかで、医療機関がエイズ病棟で患者へのメンタルなケアを行っていたことが、医療の歴史のなかで重要な出来事だったと本書は教えてくれる。患者と医療従事者との、時に友人関係のような「あいまいな境界」は、当初は問題だとされながらもそれがとても効果的なケアであると認識される。本書の中でアート療法士はエイズの流行は「医療界の常識を覆した」と言い、患者を治すのは注射と手術だけでなく、治すも癒すも様々な異なる方法があると言う。本書はグラフィックノベルと呼ばれるマンガ表現で描かれており、著者自らが何気なく描いていた「絵」によって自身の内面に気付くくだりはグラフィックノベルならではの感動がある。医療を漫画やイラストによって表現し伝えることは近年"グラフィック・メディスン"と呼ばれ、医療機関や教育現場などで注目されている。"いつか自分もなにかしらの病気にかかり患者になる"、病気を「かわりばんこ(テイキング・ターンズ)」するという当たり前のことに気づかせてくれる本書は、グラフィック・メディスンの入り口を知るには最良の一冊となった。

「絵」といえば、山中俊治『だれでもデザイン』(朝日出版社)はSuicaの改札機をデザインしたことでも知られる著者が二〇一七年に高校生に行ったデザインの授業を書籍化したもの。デザインの理念や思想だけでなく、機械の部品や「手」といった観察対象の絵を生徒に描かせることで構造とその役割を理解させるなど実習面も面白い。とくにSuicaの改札機の実験の話は"デザイン"がデザイナーの思い込みや押し付けでなく、あくまで利用者の行動や思考によって形態がデザインされていくことがわかり、ものづくりだけでなく、伝えたり説明したりする仕事が多い人には学びしかない本だろう。

 ウィリアム・プルーイット『極北の動物誌』(岩本正恵訳/ヤマケイ文庫)もまたたくさんの学びを得られる一冊だ。一九六七年にアメリカで出版され、二〇〇二年に新潮社から刊行された本書は、アラスカの地でたくましく生きるアカリスやハタネズミ、集団で狩りをするアラスカの頂点捕食者であるオオカミの家族、そして巨大なムース(ヘラジカ)など、まるでナショナルジオグラフィックの映像を脳内で見るかのごとく詳細でミクロな描写に満ち、土や植物の匂いまで伝わって来るようだ。なかでも「旅をする木」は圧巻だ。鳥についばまれた種子が地面に落ち、芽吹いて木になったトウヒが様々な自然の力によって移動を続け、クジラに出会い、そして猟場となり最後は木材となるまでの話は、アラスカの雄大な時間と空間の流れを感じさせてくれる。この話は、星野道夫のエッセイ『旅をする木』(文春文庫)のタイトルにもなった。星野は同書のなかでプルーイット『極北の動物誌』について「宝物のように大切にしていた」本と書いている。なぜ自然を守らなければならないのか、その答えは本書にある。

 明治の"学び"の面白さを堪能したのは湯浅邦弘『世界は縮まれり』(KADOKAWA)。一九一〇年(明治四三年)に「世界一周会」の特派員として世界一周旅行に参加した西村天囚の『欧米遊覧記』を解説した本書は、当時の日本人の価値観、興味を向けられる事柄などから明治後期の世界各国と日本の関係を知る事ができる。まだ航空機が実用化されていなかった時代、その交通手段はもちろん海路と陸路によるもので、世界一周に参加した総勢五十七人は横浜港を出港すると太平洋を渡りサンフランシスコから鉄道でアメリカを横断。そして大西洋を渡ってイギリス、フランス、ドイツをめぐり、さらにロシアからシベリア鉄道でウラジオストック、旅順を経て日本の敦賀に帰ってくる。その旅程は一〇四日間! 一行はアメリカでナイアガラの滝に驚き、ヨーロッパの文化の成熟に感嘆する。なかでも興味深いのは都市のインフラに向けられる日本人の視線だ。欧米の各都市の上下水道や道路の整備、都市景観などを日本と比較しながら、各国の優れたインフラに素直に感心している。この世界一周が行われたのは日露戦争の五年後ということで、世界列強の仲間入りのためにも欧米に対する日本の遅れを当たり前とした「学ぶ」姿勢は、現在の日本が大切にしなければならないものかもしれない。また第一次世界大戦が始まる四年前という、戦間期で比較的情勢が安定していたことにより、戦中は反日だったロシアの新聞社の社主が友好的に一団を迎えるなど、紀行文全体から穏やかな時代の雰囲気を感じ取れる。

(本の雑誌 2022年4月号)

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●書評担当者● すずきたけし

フリーライターとかフォトグラファー。ダ・ヴィンチニュース、文春オンラインなどに寄稿。あと動画制作も。「本そばポッドキャスト休憩室」配信中。本・映画・釣り・キャンプ・バイク・温泉・写真・灯台など。元書店員・燈光会会員・ひなびた温泉研究所研究員

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