村田沙耶香の短編集『信仰』に心を抉られる!

文=高頭佐和子

 村田沙耶香『信仰』(文藝春秋)は驚愕の短編集だ。卓越した想像力によって構築された物語の中に入ると、目の前にある世界が揺らぐ。当たり前だと思っていた常識も、そこそこ自信のあった理性も、強固だと思っていた願望も、はるか遠くに飛んでいき、私に「現実」の問い直しを迫ってきた。

 表題作の主人公・ミキは、飲み会で再会した同級生の男・石毛から、一緒に新しくカルト商売を始めないかという誘いを受ける。笑いのネタにするつもりで待ち合わせ場所に出かけたところ、そこには真面目で大人しい女の子だった斉川さんがいた。大学時代にカルト詐欺にハマってしまい、浄水器を売っていたという黒歴史を持つ斉川さんだが、「リベンジしたい」という気持ちで石毛の誘いにのったらしい。ミキは、関わるのをやめるように説得を試みるが、生き生きと高額セラピーの企画を提案する斉川さんから拒否され、なぜか見捨てられたような気持ちになってしまう。「現実」こそが幸福だと信じ、幻想やキラキラしたものにお金を費やすことに嫌悪感を持って生きてきたミキの心は激しく揺れる。

 最初から最後まで痛いところを突かれまくり、心が抉られるようだった。想定外の結末が待ち構えるいくつもの短編小説の中で、「多様性」という言葉に真摯に向き合ったエッセイ「気持ちよさという罪」が別の光を放っていることも印象的だ。見ないことにしていた心の闇の部分が照らし出されてしまった。しばらくは、この本のことばかり考えてしまうだろう。

 寺地はるな『カレーの時間』(実業之日本社)は、祖父と孫の物語だ。主人公の桐矢は、きれい好きで心優しい青年である。母親は三姉妹、いとこたちも全員女という環境に生まれ育った。レトルトカレーの会社の営業部員だったひとり暮らしの祖父・義景は、プライドが高く頑固だ。すぐに怒鳴るし、「女は感情的だ」みたいなことを平気で口にする。なかなかハイレベルなクソジジイだが、娘や孫娘たちも負けてはいない。嫌悪感を隠さないし、平然と言い返す。直球の言葉の応酬がリアルで心を掴まれた。

 二人は一緒に暮らすことになったが、ささやかな幸せを大切に生きたい桐矢と、昔ながらの「男らしさ」を押し付けようとする義景の会話は、噛み合わない。しかし、隣家の住人・葉月さんと、義景の古い知人である北野丸さんという二人の女性との交流をきっかけに、孤独な環境で育ち必死で働いてきた祖父の生き方や、家族に伝えていなかった真実に触れることになる。

 誤解が解けても、表現できなかった気持ちがあったことを知っても、長年積み重ねてきた行動や発言を許せるわけではない。凍っていた気持ちが全て溶けるなんてことには、絶対にならない。だけどそんな相手との間にも、かけがえのない思い出や受けとった大切なものがあり、あの時ああしていればという後悔や伝えられなかった感謝が心に残っていく。温かさと痛みの混ざった感情を、さまざまなスパイスをブレンドするように味わい深く、やや辛口に描いた愛すべき小説である。

 戌井昭人『沓が行く。』(左右社)を手にすると、ニヤニヤしてしまう。短い文章と写真の本なので、枕元本にして寝る前にちょいちょい読もうと思ったのだが、そういう本ではなかった。写真が映えない。ときめかない。見ただけで爆笑!という感じでもない。ゆるーく脱力させられる感じの、日常や旅の風景である。それにつけられたエッセイともショートショートともつかない文章は、なぜか読み始めると脳内で色々な俳優の声により朗読再生される。グフッと笑いが込み上げ、時には深夜という時間帯にもかかわらず大声が出てしまう。じわじわクセになり、なかなか本を閉じられない......。妄想が広がり、気分が高揚して眠れない......。だけど、愉快な気分で一日を終えられるのだから、これも枕元本にありかも。戌井氏にしか出せないこのおかしみは、説明するのがとても難しい。ぜひ、本屋でちょこっと立ち読みしてみていただきたい。

 吉本ばなな『私と街たち(ほぼ自伝)』(河出書房新社)は、不思議なエッセイだ。甲州街道、下北沢、土肥、ミコノス島......。著者にとって思い出深い場所、そこで出会ったり一緒に時間を過ごした人々のことが断片的に描かれているのだけれど、読んでいるうちに、行ったことのない場所も会ったことのない人たちも、全て懐かしいような気持ちになってしまう。自伝と言っても、時系列に書かれているわけではない。実在の人物が出てくるが「名前か状況か職業を全く変えて」書いてあり、「自伝っぽいある種のフィクション」なのだそうだ。

 耳ざわりの良いことばかり書かれているわけでもないし、辛辣だなあと思う部分もある。だけど、読んでいると清々しい気持ちになっていくのは、著者の視線に曇りがないことと、大切な人たちへの深い愛情が描かれているからだろう。肩書きや常識ではなく、自分の目で判断して必要と思ったことをあたりまえのように選ぶ。そして、本当にやるべきことからは逃げたりしない。そんなふうに生きている真っ直ぐな人なのだと思う。

 時を経れば、人との関係も街も変わっていく。失われていくものもある。若い頃にいろんな友達と楽しく過ごしたり、意味もなくふらふら歩いた下北沢が、すっかり変わってしまった様子なんかを見ると、私もやりきれない気持ちになってしまうのだけれど、誰かを大切に思った気持ちや何かを経験したことで得られたものは、場所の記憶と共に自分の中に確かに残っている。行くことのなくなった街や、二度と会えなくなってしまった人たちを思い出しながら、そんなことを考えさせられた。

(本の雑誌 2022年8月号)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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