現代的な職人世界に迫る『師弟百景』が面白い!

文=すずきたけし

  • 師弟百景 “技”をつないでいく職人という生き方
  • 『師弟百景 “技”をつないでいく職人という生き方』
    井上 理津子
    辰巳出版
    1,760円(税込)
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  • アメリカ映画に明日はあるか
  • 『アメリカ映画に明日はあるか』
    大高宏雄
    ハモニカブックス
    1,980円(税込)
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  • 地獄遊覧 地獄と天国の想像図・地図・宗教画
  • 『地獄遊覧 地獄と天国の想像図・地図・宗教画』
    エドワード・ブルック=ヒッチング,藤井 留美,ナショナル ジオグラフィック
    日経ナショナル ジオグラフィック
    3,300円(税込)
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 伝統工芸など様々な職人の師弟関係を取材した、井上理津子『師弟百景』(辰巳出版)が面白い。後継者不足と長年聞かれる「職人」は、「師匠の背中を見て覚えろ」といった近寄りがたい世界だとイメージしていたが、本書に登場する師弟関係はとても現代的で進歩的だ。例えば、伝統技術の粋を集めた工芸品の「刀」を作り出す刀匠の吉原義人さんは、門外不出とされる作刀技術を中国、フランス、ドイツなどで本として惜しげもなく公開している。刀匠に弟子入り十二年の羽岡さんが刀匠の世界に足を踏み入れたきっかけは、『アド街ック天国』で吉原さんの鍛錬所が登場したからというから今時である。職人として興味深かったのが文化財修理装潢師の半田昌規さんと弟子の下田純平さんのふたりである。文化財修理装潢師とは古くから伝わる美術品や貴重な古文書を修理する職人。"修理"と聞くと元通りの初期状態に修復、回復させることかと思いきや、"九十歳のおばあさんを二十歳に戻すのでなくて、九十歳のままの姿を保ってもらうこと"(半田さん)だという。弟子の下田さんの最初の仕事は糊づくりや染色などの材料づくりといった下仕事だった。しかし糊づくりひとつとっても、小麦でん粉で作った糊を使用するのは、黴が生じてやがて腐るものの、ゆっくりと劣化するからこそ百年後の修理の際に作品を傷めないという先人の知恵だという。また文化財修理という技術は、勘と経験で伝える「職人」ではなく、化学のエビデンスの理解が必要な「技術者」の世界へと変わっているという。本書にはそのほか庭師や左官、宮大工や仏師など様々な職人の師弟が登場するが、弟子たちの師匠への眼差しは一様に知見と技術への尊敬があり、師は弟子に対して距離感をとても大切にしているのが印象的であった。

 大高宏雄『アメリカ映画に明日はあるか』(ハモニカブックス)は、『キネマ旬報』での著者による連載『ファイト・シネクラブ』からアメリカ映画についての文章を抜粋した映画論集。二三年という長い期間の記事を定点で眺めることで国内における「アメリカ映画」の受容の変遷が見て取れる。本書は二〇〇〇年の『ミッション:インポッシブル2(M:I2)』で始まり、二〇二二年の『トップガン マーヴェリック』で閉じる(書き下ろしで追記あり)が、本書の始まりと終わりがトム・クルーズ主演作というのが象徴的である。二〇〇一年のアメリカ同時多発テロ以降のハリウッド映画の変容では、『デアデビル』(二〇〇三)のように絶対的な正義や悪といった二元論が通用しなくなるヒーロー像に注目しているが、同じマーベルコミックが元となる現在のMCUなどはまさに「それぞれの正義の対立」が色濃く引き継がれている(もちろん時代性にセンシティブなコミックが原作というのも理由だが)。二〇一〇年代後半に入ると、映画そのものの変化も見逃せない。第九一回のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した『ROMA/ローマ』(二〇一八)は劇場公開ではなく、ネットフリックスの配信(映画興行を意図せず製作された)作品であり、ロバート・デ・ニーロ主演、アル・パチーノやジョー・ペシなど豪華キャストによるマーティン・スコセッシ監督の『アイリッシュマン』(二〇一九)もネットフリックスによる配信作品である。コロナ禍の二〇二一年にはディズニー映画『ラーヤと龍の王国』が劇場公開と同時に配信が行われたことから問題となった。劇場公開作品のソフト化、配信は公開から一定の期間を設けるという慣習があり、これをウィンドウという。コロナ禍によってこうした映画興行の慣習が破られるなど、今後の映画と配信を考える意味でもコロナ禍は重要な出来事だったのかもしれない。そして日本においてアメリカ映画への関心が薄れてきたのは、本書でも記されているようにハリウッド映画への憧れの感情が消え去ったからだというのも頷ける。そのほか、字幕と吹き替え作品の上映実態や、ネットによって映画情報の受け取り方が様変わりし、SNSでのネタバレ不可避な話など興味深いテーマが盛りだくさんだ。SNSによって、実は作品の質がヒットの要因となっているというのもある意味良い時代になっているのかもしれない。

 エドワード・ブルック=ヒッチング『地獄遊覧 地獄と天国の想像図・地図・宗教画』(藤井留美訳/日経ナショナルジオグラフィック)は地図偏愛家の著者が地獄と天国の図版にまで手を伸ばした一冊。キリスト教やイスラム教、道教や仏教、ゾロアスター教といった様々な宗教の死生観に基づいた死後の世界の図版が面白い。西洋の地獄観の形成に重要な役割を果たしたのがダンテの『神曲』の第一巻『地獄篇』だという。ダンテと言えば地獄、地獄と言えばダンテなのである。『神曲』における地獄の構造は独創的で、芸術家や科学者はこぞって地獄地図づくりに熱中。ガリレオ・ガリレイはダンテの地獄の地形について講義をし、建築家のアントニオ・マネッティは地獄の断面図と平面図、そして寸法などを図解にしている。グロテスクでおぞましい地獄とは対照的に天国・楽園の描写はどこかユーモラスである。中世ヨーロッパが夢見た桃源郷「コケイン」は現実世界の逆張りである。日常生活は怠惰でOK。労働は禁止で家は食べものでできていて、お腹が減ると焼けたガチョウが口に飛び込んでくるという。コケインはキリスト教の天国の強力なライバルだったというから、中世ヨーロッパ人にとって日常はそれほどまでに辛かったのだろう。本書には、人類が長い間考え続け、現在もたぶん考え続けているであろう「死後の世界」の歴史がつまっている。

(本の雑誌 2023年6月号)

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●書評担当者● すずきたけし

フリーライターとかフォトグラファー。ダ・ヴィンチニュース、文春オンラインなどに寄稿。あと動画制作も。「本そばポッドキャスト休憩室」配信中。本・映画・釣り・キャンプ・バイク・温泉・写真・灯台など。元書店員・燈光会会員・ひなびた温泉研究所研究員

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