『魚と人の知恵比べ』が描くフライフィッシングの奥深い世界

文=すずきたけし

  • 魚と人の知恵比べ: フライフィッシングの世界
  • 『魚と人の知恵比べ: フライフィッシングの世界』
    マーク・カーランスキー,片岡夏実
    築地書館
    2,970円(税込)
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  • 地球グルメ大図鑑 世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味
  • 『地球グルメ大図鑑 世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味』
    セシリー・ウォン,ディラン・スラス,ナショナル ジオグラフィック
    日経ナショナル ジオグラフィック
    4,290円(税込)
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  • ツーリングマップル 関東甲信越 2023
  • 『ツーリングマップル 関東甲信越 2023』
    昭文社 地図 編集部
    昭文社
    2,200円(税込)
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 つくづくフライフィッシングとはめんどくさくて捉えどころがなく、そして魅力的な釣りだと、マーク・カーランスキー『魚と人の知恵比べ』(片岡夏実訳/築地書館)を読んで思う。フライフィッシングは英国発祥の毛鉤釣りだが、釣りのなかでも独特の哲学を纏っている。重要な元素を発見した一九世紀の偉大な科学者であり、自らサケのフライフィッシングを嗜んでいたサー・ハンフリー・デービーは、フライフィッシングをするものに高い能力を求めた。優れたフライフィッシャーは非常に聡明でなければならず、科学的基礎、魚が餌とする生物の理解、気象パターンと川の生物の知識、そして忍耐、自制、感情の制御といった道徳的訓練の追求といった人格が要求されると記している。そして(わたしを含め)現在のフライフィッシャーはこれらの要求を嬉々として受け入れ、また自らをデービーの求める人格に添うように川に立ちながら襟を正すのである(もちろんフライフィッシャーはしっかりと川でも襟付きのシャツを着ている)。フライフィッシングで狙う魚は主にマスだが、"マス"とはどんな魚なのか? じつはしっかりとした定義はなく、主に淡水に棲むサケ科の魚を指す通称だという。そしてフライフィッシャーがマスを狙う理由はもちろん食べるためではなく、マスという魚に「美しさ」を見出しているからなのである。またフライフィッシングの重要な要素であるフライ(毛鉤)の多くは釣り人自らがタイイング(「毛鉤を巻くこと」フライフィッシングでは横文字で呼ばなければならない)する。この釣りをしていない時でも釣りについて考える機会を生み出すフライタイイングは、ある意味で祈りの時間と同じである。そして釣りよりもフライタイイングに夢中になってしまい、果ては絶滅した羽毛を大英自然史博物館に忍び込み盗んでしまう人間もいた(この事件はカーク・ウォレス・ジョンソン著『大英自然史博物館 珍鳥標本盗難事件 なぜ美しい羽は狙われたのか』に詳しい)。本書はそんなフライフィッシャーの知られざる生態から、この釣りの歴史と文化への広がり、ロッド(釣り竿だが、もちろん横文字で呼ばなければならない)やリールといった道具、そして「なぜ釣りをするのか?」といった哲学まで(あと魚のことも)、フライフィッシングというめんどくさくて捉えどころのない釣りについて様々な角度から思いを巡らしている、フライフィッシャーのための一冊である。

 意外にも魚料理が日本にしか登場しない『地球グルメ大図鑑』(セシリー・ウォン、ディラン・スラス他編著、日経ナショナル ジオグラフィック)は、ヨーロッパからアジア、アフリカ、アメリカ、南米そして南極までの世界中の「グルメ」......というか個性的な郷土料理をカラービジュアルで紹介している。美味しそうなものから、なかにはさすがにそれはちょっとキモイ......といった料理が目白押しな本書は、まさに辺見庸の『もの食う人びと』のように、食べることは人間の生きる根源であることを実感させてくれる。グリーンランドでは小さなウミスズメをアザラシの腹に詰め込むだけ詰め込み、最長で一八カ月間発酵させたキビヤックという料理がご馳走としてふるまわれる。こうした動物の中に動物を詰める調理法はエンガストレーションと呼ばれ、ヨーロッパでも数世紀前から伝わるという。一八〇七年に紹介されたフランスのロティ・サン・パレイユ(比類なきロースト)という料理は、ニワムシクイという鳥をズアオホオジロに詰め、ヒバリに入れ、ツグミに詰め、タゲリに押し入れ、そのあとも鳥を鳥に詰め込み続け、最後はノガンにすっぽりと収める。その数なんと16羽。そして鍋でじっくり煮込むという、なにもそこまでしなくても、という料理である。またあまり評判のよろしくないイメージの英国料理だが、そんななかでもインドカレーは英国に根付き「チキン・ティッカ・マサラ」は英国発祥のインド料理の代表とされている。もちろんそこにはインドを支配していた大英帝国による植民地の歴史がある。本書はそうした食と異文化の関わりもしっかりとカバーしている。ほかにも中東のイランでは古代ペルシャの氷室によりはやければ紀元前四〇〇年からなんとアイスクリームを食べることができていたという。食はそのまま人類の叡智へと繋がっているのである。日本編ではちゃんこ鍋のほか、ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンドすべて日本生まれの西洋料理であることなど、食についての様々なトリビアも面白い。

 最後に昭文社の「ツーリングマップル」(昭文社地図編集部 編)を紹介したい。バイクで旅をする人向けに作られているこの「ツーリングマップル」は、三〇年以上ものあいだ多くのライダーに支持されてきた道路地図である。北は北海道から南は九州・沖縄まで七つの地域別に刊行されているが、それぞれの地域を担当するライダーが実走し情報を更新しているため、"走る道"に特化した情報量は圧巻である。すずきは二〇一七年に長野でこのツーリングマップルをペラペラとめくっていたところ、静岡県との県境のページで「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」という物騒な言葉が目に飛び込んできた。興味をそそられて向かってみると、日本のトンネル技術は敗退どころか前進を続けていて工事は続けられていた。そして先ごろ(二〇二三年五月二六日)、この時に訪れた青崩峠トンネルが遂に貫通したという。この時ツーリングマップルを見ていなければ、土木技術が実を結んだトンネル貫通になにも思うことはなかっただろう。眺めているだけでも行きたい場所が次々と見つかる「面白い」地図、それがツーリングマップルなのである。

(本の雑誌 2023年8月号)

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●書評担当者● すずきたけし

フリーライターとかフォトグラファー。ダ・ヴィンチニュース、文春オンラインなどに寄稿。あと動画制作も。「本そばポッドキャスト休憩室」配信中。本・映画・釣り・キャンプ・バイク・温泉・写真・灯台など。元書店員・燈光会会員・ひなびた温泉研究所研究員

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