理不尽の連続に立ち向かう中島京子『やさしい猫』

文=高頭佐和子

 中島京子『やさしい猫』(中央公論新社)は、二人の男女が出会い、家族になろうとする過程を描いた小説だ。大切に思う相手と一緒に人生を送りたい。ただそれだけなのに、恋人たちは大きな力によって引き裂かれそうになる。理由はただ一つ。二人のうちの一人が外国人だったからである。

 保育士のミユキさんは、小学生の娘・マヤちゃんと暮らすシングルマザーだ。東日本大震災の直後、ボランティアに行った被災地で、日本で自動車整備士として働く年下のスリランカ人男性・クマさんと出会う。二人は惹かれ合い、少しずつ距離を縮めていく。マヤちゃんもクマさんを頼りにするようになり、一緒に暮らし始める。ミユキさんの母親には反対されるが、ミユキさんはクマさんのプロポーズを受ける決意をする。ほのぼのとしたムードは、クマさんが失業しオーバーステイになってしまったことで一転する。クマさんは入管に相談に行く途中で警察に逮捕され、不法滞在で収容されてしまう。

 クマさんはずっと日本で働き、数年間一緒に暮らす家族もいる。なのに、結婚に「真実性」がないとされ、自由を奪われてしまう。病気になっても治療すらできない。裁判をすればたくさんのお金と時間がかかる。理不尽の連続技だ。なんとかしようと奮闘する日々の中で高校生になったマヤちゃんは、クルド人の少年・ハヤトと親しくなる。明るく気さくなイケメンのハヤトに惹かれるが、彼が日本で生まれ育ったにもかかわらず自由に移動することも、やりたい仕事を夢見ることも難しいことを知り、衝撃を受ける。読んでいる私もショックだ。ハヤトが何をしたというのか? 普通の青春を過ごさせてあげてっ!

 入管の仕事の大変さも重要性も理解したい。だけど、こんなのはひどいじゃないか、と思わずにいられない。これは小説だけれど、日本にはたくさんのクマさんやハヤトがいて、ハッピーエンドを迎えられない人たちがいる。報道では知っていたのにどこかで他人事のように思っていたが、これは自分が生きる国で起きていることなのだということを、小説によって思い知らされた。「嘘つきに国籍や人種の偏りはありません」というミユキさんの言葉が心に残る。

 桐野夏生『砂に埋もれる犬』(朝日新聞出版)は、ネグレクトされた少年の過酷な青春を描いた小説だ。主人公の優真は、小学六年生のはずだが学校に行っていない。住まいは母の恋人の家だ。男の家を渡り歩くように生きる母親は身勝手で、しょっちゅう家をあけており、帰ってきても弟にだけ優しい。冷蔵庫にはいつも食べるものがなく、事情を察したコンビニ店主・目加田からもらう賞味期限切れの弁当が救いだ。

 ある日、キレた母の恋人から怪我を負わされたことがきっかけとなり、優真は児童相談所に保護される。目加田夫妻は彼を里親として迎えたいと言い、優真もそれを受け入れる。だが、一件落着......とはならない。むしろここから辛さが増してくる。

 愛情を受けずに育った優真は、基本的な生活習慣や対人術が身に付いておらず、人との関係をうまく築くことができない。自分を助けようとしてくれる大人たちの思いに応えたいという気持ちを持てず、同級生にも受け入れてもらえず、好きな女の子には自己中心的なやり方で近づこうとして、恐怖を与えてしまう。母親に対する憎悪をつのらせ、追い詰められ、暴走してしまう優真の心の変化が精密に描写されていく。どうしたらいいのかわからない、という少年の叫びが頭の中に響いてくるようだ。彼の上に射している微かな光を、信じたいと思った。

 山本文緒『ばにらさま』(文藝春秋)は、ひとつひとつが心にほろ苦いものを残す短編集だ。表題作の主人公は社会人になったばかりの青年。心優しいけれどサエないタイプの彼に、どうしたわけか、バニラアイスのように色白できれいな服に身を包んだ恋人ができる。初めての恋人の機嫌を取ろうと青年は試行錯誤するが、その構図は切なく転換する。

 山本氏の書く女性たちは、たいていの場合何かの不安を抱えている。愛情、生活、経済、将来......。彼女たちが置かれた状況や感情はいつもひどくリアルで、自分の中にある不安定なものが共鳴してしまう。これって、初めて山本氏の小説を読んだ30年近く前にも感じたことだなあと思った後に、最後の一篇「子供おばさん」を読んだ。長く会っていなかった友人が突然に亡くなり、飼っていた犬を託されてしまった独身中年女性の物語である。いい歳をして大人になりきれないままの彼女と私はよく似ていて、最後の一文が心にじわじわと沁みた。女の子からおばさんになるまでの間に、私にもそれなりに色々なことがあった。山本文緒氏の小説に寄り添われて、なんとかやってきたのだと思う。そんな小説を書く作家に出会えたことは幸福なことだ。改めてそう感じている。

 リービ英雄『天路』(講談社)は、アメリカ生まれの日本文学者であり、日本語で執筆を続けている著者による紀行小説である。主人公の「かれ」は、祖国であり母の住む「大陸」を出て、「島国」に移住し、新宿に住んでいる。莫言の研究で山東省を訪れた時に親しくなった漢民族の友人に誘われ、彼の運転するブルーバードに乗ってチベット高原を旅する。広大で荘厳な風景、友人との静かなやりとり、路地裏の家で一人チベット語を学ぶ日々、子どもの頃に住んだ亜熱帯の島の情景、亡くなった母への思い......。「かれ」の中でいくつもの言語が行き交い、さまざまな土地の記憶が混ざり合う。

 日本で生まれ育ち、一つの言語しか操ることのできない私には、生涯知ることがないであろう感覚を疑似体験したような、新鮮で味わい深い読後感だ。

(本の雑誌 2021年11月号掲載)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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