町田康『男の愛』の清水次郎長にLOVE!

文=高頭佐和子

 江國香織『ひとりでカラカサさしてゆく』(新潮社)は、八十代の男女三名が、バーラウンジに集い和やかに思い出を語り合う場面から始まる。かつて同じ出版社で働き、一緒にコンサートや映画に出かけ、転職したり遠方に引っ越した後も、定期的に顔を合わせてきた友人同士だ。その会話から、彼らが自立した精神とユーモアと美意識を持った大人であり、尊重し合っていることがわかる。そんな三人だが、直後に驚くべき行動をする。ホテルの一室で猟銃自殺を遂げるのである。

 自分の親しい人がそのような最期を遂げたら、どんなに苦しい気持ちになるだろう。そう思うのだが、読み進めるうちになぜか穏やかな気持ちになっていく。三人の遺族や身近な人物たちの中には、親族ではあるが長く会っていない者もいれば、家族ではないが死後を託された者もいる。困惑する者もいれば、静かに受け止める者も、人騒がせなやり方に怒りを感じる者もいれば、涙と嗚咽が止まらない者もいる。皆それぞれのやり方で死者と過ごした時間を思い出し、自ら命を絶った理由を考える。遺された者たちの間には静かな交流が生まれ、故人の知らなかった側面に触れていく。著者は、彼らの日常や回想の細部を丁寧に描き、亡くなった三人を含めた登場人物たちの人生観を鮮やかに浮かび上がらせていく。どの人物の中にも悲しみや後悔があり、喜びや輝きがある。その全てが愛おしいという気持ちがこみ上げてくる。

 人は生きている限りたくさんの他者と関わりを持ち、近づいたり離れたりしながら、いつの日か人生から退場していく。いなくなった後も、遺された人々の中にその記憶と形跡が残る。そして、どんなに親しい関係であっても、知ることができるのはその人生の一部でしかない。そんなことを、静かに考えさせられる一冊だった。

 窪美澄『朱より赤く 高岡智照尼の生涯』(小学館)は、著者の小説としては珍しく実在の人物が主人公である。明治大正から昭和を生き抜いた女の人生を描いた小説はいろいろあるが、ここまで激動の展開もあまりないのではないか。心臓をバクバクさせながら一気に読んだ。

 主人公の少女・おみつは、生まれてすぐに母を亡くし、茶店を営む伯母を手伝いながら慎ましく暮らしていた。ある日離れて暮らす父親から「毎日綺麗な着物が着られる」と言われ、待ち受ける運命を想像することのないままに、十二歳で舞妓に売られてしまう。その美しさで早くから注目を集め、贅沢な品々も手に入れるが、父親が受け取った金に縛られ、恋をしても結ばれる自由もない身の上である。金物問屋の旦那に求婚され、ようやく幸せを手に入れられると思ったら、あることから他の男に心を寄せていた過去を追及されてしまう。信じてほしかったという思いをこじらせ、おみつはなんと自分の小指を切り落として旦那に差し出すのである。

 その後、小指を切った美貌の芸妓として話題の人物となり、社長夫人となってアメリカに渡り、そこで出会ったある人物と恋仲になり、その後は女優に......と聞けば、なんと気性が激しい欲深な魔性の女かと思ってしまうが、おみつの内面はひたすらピュアだ。金の力や男たちの身勝手と欲望に振り回される人生から逃れ、自分の力で生きたいと願っているだけだ。自由に生きることが難しい環境の中で、諦めない強さを持ち続け、過去を断ち切るために普通とは違う道を選んで生きてきたおみつ。その波瀾万丈の人生には、抑圧から逃れられずに苦しむ現代の人々も励ます力がある。

 町田康『男の愛 たびだちの詩』(左右社)の主人公は、あの清水次郎長である。どんな人物かはなんとなく知っていたが、興味を持ったことはなかった。しかし、読み終えた今は......、LOVE次郎長だ!

 正月に生まれた子どもは途轍もない賢才か、極悪人になる。そんな言い伝えのせいで、赤ん坊のうちに親戚の米問屋に養子に出された次郎長は、その心配の通り、手のつけられない悪童に成長した。大人たちを困らせ、子供たちには理不尽な暴力を振るう毎日だが、次郎長にも仲良くしたいと思う相手がいる。近所に住む可愛らしい少年・福太郎である。いつも怯えられてしまうが、なんとか言葉を交わしたい。そんな思いで飴を差し出すのだが......。相手の反応に喜んだりふてくされたりする次郎長が愛しい。その凶暴ぶりに眉を顰めていた私だが「ふふふ、かわいい奴。素直になれ」と脳内でつぶやきながらニヤニヤしてしまった。

 滅法強くて大胆で策略にも長けているのに、好意を持った相手のこととなると、うまく振る舞えない不器用な次郎長......。なんとも愛すべき主人公である。軽快でユーモアあふれる文体と、時折現代の言葉も交えながら綴られる豪快な人生を、笑顔全開で楽しませてもらった。

 遠野遥『教育』(河出書房新社)の舞台はある学園だ。超能力成績によって厳しくクラス分けがされている。クラスが下位の者は、部活動でも寮でも肩身の狭い思いをしなければならない。成績を向上させるためには、一日三回以上オーガズムに達することが望ましいとされている。生徒たちは支給されるポルノビデオで自慰行為をし、セックスの相手を探し、人前でも行為に及ぶ。中には順応できない者もいるが、常に監視の目が光り、学園のあり方に疑問を持つことは許されない。

 閉ざされた環境の中で、成績向上のため必死になる主人公は、大切なはずのものを当然のように切り捨てる。その空虚さは、フィクションの中にだけあるものではなく、現実のあちらこちらにも、私の心の中にも巣食っているものだ。その事実から目を逸らすことができなくなり、心が削り取られるように痛い。

(本の雑誌 2022年3月号掲載)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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