鈴木るりか『落花流水』の迷走する恋心が愛おしい!

文=高頭佐和子

 鈴木るりか『落花流水』(小学館)の刊行が嬉しい。中学生でデビューした天才少女も、この春高校を卒業だそうだ。今回はおなじみの花実親子シリーズではなく、題名も装丁も渋めだ。ほろ苦い初恋?悩める青春?そんな枠に収まらない鈴木るりか世界が眩しい!

 水咲は、田舎町に住む高校生だ。ある朝、向かいの教育者一家・落合家の前にパトカーが止まっている。なんと、水咲の通う高校の教師である息子が、下着泥棒で逮捕されたと言うのだ。

 八〇〇枚以上のパンツを盗んだ教師は、水咲が幼稚園の頃から恋心を抱き、おにいちゃんと呼んで慕ってきた人物だ。優秀でさわやかな自然を愛する少年で、六歳年下の水咲をかわいがってくれた。高校教師を目指している彼が母校に教育実習に来るかもしれないという期待から、必死で勉強して地元一の進学校に入った。教え子となった今は、地元の女子大に進学して教師となり、距離を縮めて落合家の一員となるという超具体的な目標も持っている。そんなふうに想い続けた人が大量のパンツを......。これは悪い夢。そう信じて早々と床に就くが、一晩寝ても事態は変わらない。

 容赦ない報道、暴走するネット情報、学校を包む異様な雰囲気......。現実を受け止めきれない水咲は、おにいちゃんは一時的な「仮性変態」に違いないと思おうとしたり、もうパンツは穿かないとか、一生落合家の鯉の餌やり係として暮らすなどの妄言を吐いて友人を呆れさせる。一方で、被害者の受けた衝撃や、ストレスが溜まっていたというおにいちゃんの身の上、その両親の苦悩を思って心を痛める。

 健やかでいじらしい良い子だ。が、思い込みが激しく隙だらけなので、とんでもない事件にも巻き込まれてしまう。真剣になるほど迷走する恋心が、悶え苦しむほど面白い。ツッコミを入れてくる友人たち(特に文学少年の聖二)も個性が際立っており、それぞれが底知れぬものを内側に秘めている予感がする。ぜひシリーズ化して、彼らのことももっと書いてほしい。

 佐藤愛子氏の少女小説や、さくらももこ氏のエッセイで描かれた乙女心の滑稽さが思い出される読み心地だ。令和らしいアイテムも登場するがなぜか昭和感も漂い、幅広い世代にアピールする力がある。素晴らしいのは独特のユーモアセンスだけではない。現実のシビアさ、人の苦しみ、自然の美しさまでも真っ直ぐに描くバランス感覚がある。これはもう達人の域ではないか。今後は尊敬を込めてるりか師匠と呼びつつ、さらなる進化にも期待したい。

 藤谷治『ニコデモ』(小学館)は、戦前の東北から始まり、戦中のパリ、戦場、現代の東京まで描かれる物語だ。

 主人公は、裕福な家庭に生まれ知性と美貌と音楽の才に恵まれた青年・瀬名ニコデモ。ひょんなことから、旅先で小樽の実家に行くという筆屋の小僧と知り合う。小僧が口ずさんだ美しい旋律の歌に強く惹かれるのだが、この歌こそがニコデモの生涯を激しく翻弄するおおもとである。その後ニコデモはパリに留学するが、父母の期待に背いて音楽の道に進む決意をし、底知れない知識と怪しい力を持つ女性音楽家の弟子になる。一方、小樽へ行った小僧・鈴木正太郎は、苦境に陥っていた一家のために必死に働く。そして、それぞれに戦争の時代が訪れる。

 数十年の時を経て、数奇な運命を一人で生きてきたニコデモと、鈴木家の人々の辿ってきた道は、あの歌に導かれるようにして再び重なり合う。スケールの大きさやいくつもの不思議な出来事に心揺さぶられる一方で、登場人物ひとりひとりを身近に感じた。愛おしい物語である。

 桐野夏生『燕は戻ってこない』(集英社)のテーマは、生殖医療だ。主人公のリキは、北海道にある実家近くの介護施設で働いていたが、今は上京して病院事務の仕事をしている。非正規雇用のため生活はギリギリで、貯金も底を尽きた。ある日、同じく困窮している同僚から誘われ、卵子提供の面接に出かける。そこでリキは、代理母にならないかという誘いを受ける。相手の夫婦は、元バレエダンサーで、資産家の母親とスタジオを経営する基と、イラストレーターの悠子である。

 金と安心のために引き受ける事にしたリキは、人工授精を受けるための一時的な入籍や、私生活の拘束などの条件も受け入れる。が、次第に割り切っていたはずの契約に疑問や憤りを持ち始める。一方、自分の遺伝子を継いだ子が欲しい一心で突き進む基と、貧しい女性にお金で子を生んでもらうという行為に抵抗があり、自分の卵子を使わないことに疎外感も感じている悠子の間には溝が生まれる。それぞれの思いがずれたまま、リキの中に新しい命が育っていく。

 子どもが欲しいという願望はごく自然なものだろう。生殖医療の発展が、それを望む人々の役に立っていることに間違いはない。だが、女性の生殖能力を売買するという行為を、ビジネスとして簡単に割り切ることはできるのだろうか。システムや技術の発展に、人間の感情は追いつかない。リキがある決断をするラストは、その後の波乱や登場人物たちの感情が激しくぶつかり合うことを予感させる。近い未来に起きるかも知れない混乱を象徴しているようだ。

 川上未映子『春のこわいもの』(新潮社)は、感染拡大しはじめた頃のコロナの影が見える短編集だ。街中ですれ違ったことがありそうな普通の人々が主人公である。港区女子に憧れて、ギャラ飲みの面接に行った平凡な容姿の女子と、元同居人の親友から久々に電話があり、自分がかつて彼女に対してやってしまったことを思い出す小説家に動揺させられた。見ないようにしていた心の中の爛れた部分が、拡大鏡に映しだされたようなうすらこわさである。

(本の雑誌 2022年5月号)

« 前のページ | 次のページ »

●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

高頭佐和子 記事一覧 »