河﨑秋子『介護者D』に不意打ちされる!

文=高頭佐和子

  • ぼくらは、まだ少し期待している (単行本)
  • 『ぼくらは、まだ少し期待している (単行本)』
    木地 雅映子
    中央公論新社
    2,035円(税込)
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 涙腺は固い方なのだけれど、最後に不意打ちのような感情の揺れがきて、見事に崩壊した。河﨑秋子『介護者D』(朝日新聞出版)は、年を重ねて思うように動けなくなった家族がいる人なら、その切実さに平静に読めないと思う。そして、推し活をした経験がある人なら、その悔しさや喜びにシンクロせずにはいられないだろう。

 琴美は東京で働いていたが、脳卒中を患い雪かきができないという父に頼まれて、札幌の実家に帰ってきた。いずれ東京に戻るつもりだったが、父はもはや一人で暮らせる状態にはなく、機会を失っている。琴美が最も大切にしているのは、アイドルグループに所属する少女「ゆな」だ。推し活が生きる原動力だったが、ライブに行けなくなり、ストレスが溜まる日々だ。元教師で塾を経営していた父は相変わらずプライドが高い。時にはその寿命が尽きるまでの年月を計算してしまい、自己嫌悪にも陥る。そんな琴美の気持ちをよそに、父は成績が良かった子育て中の同級生をほめ、海外で働く妹が子連れで帰ってくると高級食材を準備させて歓待する。一方で、介護のために仕事も生きがいもままならない琴美には「いつまでも独り身のまま実家でだらだらと......」という暴言をかましてくるのだ。

 なんだ、このカンチガイジジイは!! 琴美っ、すぐに東京に戻ってライブに行きなよ!

 そう叫びたくなった。琴美もさすがに怒るが、成績が「Aランク」の妹や生徒と悪意なく比較されていた頃の記憶がよみがえり、今も「Dランク」の自分はどこにも抜け出せない、という思いに苛まれる。さらに、コロナウイルスのせいで地元での仕事も続けられず、ゆなの活動は制限され、ファン仲間との距離もでき、介護者の集いも中止され、孤独を深めていく。

 出口の見えない苦しさに逃げ出したいほどだが、この小説は介護の苦労だけを描いてはいない。父は「ええかっこしい」ではあるものの、聞く耳が全くない人ではない。人格者のように振る舞っているが、家族に言えない秘密もある。そんな父にイラつきながらも、思いやる気持ちや尊敬と感謝もあるからこそ、気持ちは揺れ動くのだ。感染拡大が収まりきらない中、琴美はついに父の反対を押し切って東京のライブに行くのだが......。

 どんなに多くの時間や資金を費やして熱心に誰かを応援したり、誰かのために様々なことを諦めても、人は他人のためだけに生きることはできない。それは、応援される側も介護される側も一緒なのだ。思ったり思われたりしながら、歩むのは紛れもなく自分自身の人生である。琴美と父親、そしてゆなの決断を、ぜひ見届けていただきたい。

 鮮烈なデビュー作『氷の海のガレオン』(ポプラ文庫)から約三十年、超寡作だが記憶に深く残る作家の長編が刊行された。木地雅映子『ぼくらは、まだ少し期待している』(中央公論新社)は、大人たちに傷を負わされた子どもたちの物語である。著者が書き続けてきた「生きづらさ」は、今作でも重要なテーマだ。

 主人公の輝明は、明晰な頭脳と孤高の精神を持つ少年だ。ある事情から高校生としては多すぎる資産を持ち、母親と同じ高校に通う異母弟・航と共に暮らしている。同級生の女子生徒・あさひから、生き別れた弟を探しているという相談を受けるのだが、冷たい態度をとってしまう。直後に行方不明になったあさひを探すために、輝明と航は彼女の弟がいる「児童自立援助ホーム」を突き止め、姉弟が育ってきた環境の過酷さを知る。

 輝明と航も、大人たちによって深い傷を受けている。身勝手な欲望や自らのトラウマが原因で、子どもたちの心を損なう大人がいる一方で、辛い経験を乗り越えて彼らの力になろうとする大人もいる。繊細だがしなやかな心を持った子どもたちは、そんな大人たちに見守られながら、自力で未来を切り開こうとする。誰に対しても距離をとり、クールに振る舞うことで自分を守ってきた輝明が、感情を解放させる場面に胸が熱くなった。

 青山七恵『はぐれんぼう』(講談社)は、不思議な魅力のある小説だ。主人公の優子は、クリーニング店で働いている。ある日、持ち主が引き取りに来ない衣服「はぐれんぼちゃん」たちが倉庫から戻ってくる。処分するように言われて、持ち帰った優子だが、朝目覚めるとなぜかそれらを身に纏っている。衣服たちから感じる記憶に導かれて持ち主に辿り着くのだが、嫌な記憶がある物のようで、受け取りを拒否されてしまう。困惑する優子だが、自分と同じように着膨れた店員たちと出会い、はぐれんぼちゃんたちの居場所を求めて、皆で倉庫を目指すことになる。

 ......と説明すると、なんだかよくわからない物語のようなのだが、目的地にたどり着いた後の展開は劇的に予想がつかない。興奮と恐怖に、ページをめくる手が震えた。倉庫を支配する謎のシステム、はぐれんぼちゃんたちの運命、置いてけぼりになりがちな人生を歩んできた優子が見せる意外な行動力と勇気......。驚愕のラストだが、荒唐無稽なのではなく現実という芯が力強く存在する物語だ。子供の頃ファンタジー小説に夢中になって、その世界に入り込んでしまった時の気持ちを思い出した。

 阿部和重『Ultimate Edition』(河出書房新社)は、取扱注意の短編集だ。主人公は、絶対的地位を父から継いだ男だったり、ゾンビの襲来から仲間を救いたい男だったり、高級車泥棒の組織で働き始めた中年だったりとさまざまである。変貌していく社会の中で戸惑い、不安から目を逸らすように日々をやり過ごしがちな私にとっては、切れ味の鋭いナイフのように危険で刺激的だ。いっそ素手で握りしめて手のひらを血だらけにするのも良いかもしれない。そんなことを思いながら読んだ。

(本の雑誌 2022年12月号)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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