船上でゴシックが炸裂する『名探偵と海の悪魔』にまいった!

文=吉野仁

  • 名探偵と海の悪魔
  • 『名探偵と海の悪魔』
    スチュアート・タートン,三角 和代
    文藝春秋
    2,750円(税込)
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  • 阿片窟の死 (ハヤカワ・ミステリ) (ハヤカワ・ミステリ 1976)
  • 『阿片窟の死 (ハヤカワ・ミステリ) (ハヤカワ・ミステリ 1976)』
    アビール・ムカジー,田村 義進
    早川書房
    2,750円(税込)
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  • 災厄の馬 (ハヤカワ・ミステリ 1977)
  • 『災厄の馬 (ハヤカワ・ミステリ 1977)』
    グレッグ・ブキャナン,不二 淑子
    早川書房
    2,420円(税込)
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  • 完璧な家族 (小学館文庫 カ 3-3)
  • 『完璧な家族 (小学館文庫 カ 3-3)』
    リサ・ガードナー,満園 真木
    小学館
    1,320円(税込)
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  • 平凡すぎて殺される (創元推理文庫 M マ 30-1)
  • 『平凡すぎて殺される (創元推理文庫 M マ 30-1)』
    クイーム・マクドネル,青木 悦子
    東京創元社
    1,430円(税込)
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  • 匿名作家は二人もいらない (ハヤカワ・ミステリ文庫 ア 22-1)
  • 『匿名作家は二人もいらない (ハヤカワ・ミステリ文庫 ア 22-1)』
    アレキサンドラ アンドリューズ,unpis,大谷 瑠璃子
    早川書房
    1,496円(税込)
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 終わりの見えないコロナ禍、ふいに起こる大地震の発生、お金のみならず心も貧しくなるばかりの世の中で、いろんな本が読めるのは贅沢な楽しみだ。いまの世界を身に迫るリアルな物語にしたものもいいが、時代も場所も現実から遠く離れた話のほうが楽しめる人もいるだろう。

 スチュアート・タートン『名探偵と海の悪魔』(三角和代訳/文藝春秋)は、十七世紀前半、インドネシアからオランダまでの航海に出た貿易船を主な舞台としたミステリである。バタヴィア(ジャカルタの旧名)から帆船ザーンダム号が出港しようとしていた。東インド会社の関係者、総督とその家族、護衛隊以外にも、囚われの名探偵サミー・ピップスとその助手アレント、牧師サンデルといった者たちが乗り込んでいた。航海まえに起きたのは、血染めの包帯をまとう者が、乗船する者みな破滅する、と不吉な呪いを口にしたのち炎に包まれるという騒動だった。アレントは、総督夫人のサラとともに、次々と船内で起こる怪事件の謎に迫る。前半、帆に浮かびあがる印、謎の言葉、『魔族大全』など数々の怪奇をめぐる思わせぶりな展開がつづくも、後半、極秘の積荷〈愚物〉の消失あたりから怒濤の展開を見せていく。嵐のなかの館でなく、船の上でゴシック趣向が全開し炸裂するのだ。まいりました。

 こちらも現代日本からは遠く離れた一九二一年のインドが舞台。アビール・ムカジー『阿片窟の死』(田村義進訳/ハヤカワ・ミステリ)は、英領カルカッタの英国人警部ウィンダムとインド人刑事バネルジーのコンビによるシリーズ第三弾。阿片窟で快楽にふけっていたウィンダムは、突然の警察によるガサ入れにあわてふためいた。しかも逃走中に入った部屋で、胸をナイフで刺され、両目をえぐられた男を見つけたのだ。その翌日、まったく同じ手口で殺された女性が発見された。彼女は陸軍病院に勤める看護婦だった。やがて第三の殺人が起こる。ガンジーが非暴力不服従の運動を行っていた時代と場所を背景に、連続殺人の犯人探しのみならず、すべての謎の断片がおさまり、派手なクライマックスへと向かう物語は、間然とするところがない。今回もたっぷり楽しませてくれた。

 ポケミスをもう一冊。グレッグ・ブキャナン『災厄の馬』(不二淑子訳/ハヤカワ・ミステリ)は、現代英国における架空の町が舞台ながら、驚愕の事件で幕を開ける。海辺の町の農場で、早朝、円を描いて埋められた十六頭の馬の死体が発見されたのだ。地元警察の刑事アレックは、獣医学の専門家クーパーの協力のもと捜査をはじめた。グロテスクな動物殺し、詩情ただよう独特の文体など、どこか奇妙な小説だ。ラストの展開も意表をつくもの。潔癖症の主人公はあまり警官らしくない男で、殺された馬のみならず、放牧地の鹿をはじめ動物が多く登場するなど、もしかすると作者は徹底した人間嫌いなのかもしれない。そんな独特の感覚がひたひたと読み手に戦慄を抱かせる異色ミステリだ。

 リサ・ガードナー『完璧な家族』(満園真木訳/小学館文庫)は、ボストン市警の女刑事D・D・ウォレンが活躍するシリーズであり、『棺の女』における監禁事件の生還者フローラも登場するスリラーだ。ある一家が何者かに襲撃され、母親と恋人、そして次女と長男が殺された。だが、十六歳の長女ロクシーの行方がわからなかった。はたして事件は彼女のしわざなのか。やがて子供たちは里親に預けられていた過去をもつなど、家族の事情が明らかになっていく。親のネグレクト、里親制度の悪用といった壊れた家族をテーマにもつ本作は、ダメな大人たちだけでなく子供たちのイジメをはじめとする描き方も容赦しない。人物も物語もねじれていくことで生まれる迫力や驚きがある作品である。

 一転して、クイーム・マクドネル『平凡すぎて殺される』(青木悦子訳/創元推理文庫)は、おかしさにあふれたドタバタ模様が展開するミステリ。ダブリンに暮らす青年ポールは、平凡すぎる容姿の持ち主だった。ボランティアで病院を訪れ、自分を息子や甥だと思い込む老人患者たちの相手をしていた。だが、ある日、末期ガンの老人が錯乱し、ナイフで襲いかかってきた。ポールをだれかと勘違いしたようだ。老人は亡くなったが、その後ポールは命を狙われる羽目になる。看護師ブリジットや中年刑事バニーらと、言葉遊びから映画や音楽のネタまで、丁々発止でギャグが繰りひろげられ、楽しませてくれる。インド系の医師シンハがいい味を出していた。コメディ好きな方にお薦めする。

 最後に紹介するのは、今月いちばんサスペンスを感じた、アレキサンドラ・アンドリューズ『匿名作家は二人もいらない』(大谷瑠璃子訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)だ。作家志望の若い女性をヒロインにしており、題名からこちらもユーモアものだと思っていたら、途中から意外なひねりを見せるので油断ならない。出版社で働いていたフローレンスは、あるとき、その正体が謎に包まれた匿名のベストセラー作家モード・ディクソンの助手として雇われることになった。彼女の家に住みこみ、手書き原稿のタイプ、メールの代行をはじめ、本人にかわり雑用をこなしていたフローレンスは、やがてモードの取材旅行につきそうことになるが、そこで思いもよらない事件が起こった。勘のいい方は、ハイスミスの代表作を連想するかもしれないが、その斜め上をいくどんでん返しが待ち受けている。野心家の若い女性をヒロインにしながら嫌味がなく、自然な感じの語りがいい。伏線の仕込みも巧みで、女性ふたりの皮肉な運命を見事に描き、はらはらどきどきと読ませるのだ。

(本の雑誌 2022年5月号)

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●書評担当者● 吉野仁

1958年東京生まれ。書評家。おもにミステリを中心とした小説や本の書評、文庫解説などを執筆。

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