ミステリにも甘口と辛口があるのだ!

文=小山正

  • ファミリー・ビジネス (創元推理文庫)
  • 『ファミリー・ビジネス (創元推理文庫)』
    S・J・ローザン,直良 和美
    東京創元社
    1,430円(税込)
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  • 失墜の王国
  • 『失墜の王国』
    ジョー・ネスボ,鈴木 恵
    早川書房
    3,740円(税込)
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  • パトリシア・ハイスミスの華麗なる人生
  • 『パトリシア・ハイスミスの華麗なる人生』
    アンドリュー・ウィルソン,柿沼瑛子
    書肆侃侃房
    7,480円(税込)
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  • エージェント17 (ハヤカワ文庫NV)
  • 『エージェント17 (ハヤカワ文庫NV)』
    ジョン・ブロウンロウ,武藤 陽生
    早川書房
    1,760円(税込)
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 甘党ファン向けのミステリを先月紹介したばかりなのに、またデザートが素敵な小説を読んだ。S・J・ローザンの〈私立探偵リディア&ビル〉シリーズ最新長篇『ファミリー・ビジネス』(直良和美訳/創元推理文庫)である。

 再開発が迫るニューヨークのチャイナタウン。ギャングが拠点とする古いビルも、二十階建てタワーマンション計画の標的となる。そんな矢先、建物所有者でマフィアのボスが死去。ビルを相続した姪メルは、悪の組織と不動産屋の暗躍で一騒動起きることを案じ、私立探偵リディア・チンと相棒ビルのコンビに護衛を依頼する。しかしついに殺人が起きた─。

 マフィアの世代交代ネタに加えて、新築物件の家賃等が高騰し、昔からの住民が追い出される社会問題〈ジェントリフィケーション(gentrification)〉が背景だ。新旧マフィアの対立が深まるにつれ、リディアとビルを襲う暴力沙汰もエスカレート。その疲れを癒そうと、彼らはマンハッタンの最新カフェテリアに赴き、モカパンプキン・チャイラテやマンゴー・チーズケーキを食す。重い要素と楽しいエピソードとが、「陰」と「陽」のごとく混ざり合う展開がすばらしい。シリーズ十四作目だが初めての方も大丈夫。語り口が合えば、旧作もぜひ!

 でも、自分は甘党ではなく辛党! という方には、ノルウェーの作家ジョー・ネスボの長篇『失墜の王国』(鈴木恵訳/早川書房)がオススメだ。五百ページ超、二段組みの長大な作品だが、語りの名人ネスボだけあって、一気に読ませてくれる。

 小さな村でガソリンスタンドを営むロイは、カナダ帰りの弟カールから相談を受ける。親が残した農地を開拓し、リゾート・ホテルを建てたいというのだ。村民の反応は良かった。しかし、彼ら兄弟には秘密があった。児童虐待と性的暴行にまつわる謎の記憶。過去に隠蔽した殺人。忌まわしい過去を持つ彼らをさらに修羅へと誘うのが、癖のある登場人物たち──〈ファム・ファタル〉さながらのカールの妻、行方不明の父を追う保安官、等々。狭いコミュニティで蠢く、欲望と愛憎の闇が半端なく深い。

 J・M・ケインの長篇『郵便配達は二度ベルを鳴らす』や、ジム・トンプスンの長篇『ポップ1280』と似た雰囲気があるが、犯罪者のタイプが違う。特に兄のキャラクターは一見正常だが、実は深い部分で歪んでいる。例えばパトリシア・ハイスミスの小説に登場するアンチ・ヒーロー、トム・リプリーのような怖さがあるのだ。

 ──なんて思っていたら、こんな本が出てビックリした。アンドリュー・ウィルソンの評伝『パトリシア・ハイスミスの華麗なる人生』(柿沼瑛子訳/書肆侃侃房)である。ハイスミスは長篇『太陽がいっぱい(リプリー)』『見知らぬ乗客』等のサスペンスの古典や、レズビアン文学『キャロル』で知られる巨匠だが、彼女の人生はまさに小説よりも奇なり、なのだ。彼女の小説は一般にミステリに分類されるが、評伝を読むと、その作風はミステリ発展史とは一線を画し、人間の複雑さと罪深さを自己流に描き続けていたことがわかる。

 アメリカ人の彼女は、崇拝する女性を求めて欧米を彷徨。パートナーを次々に変え、凄まじい愛憎生活を繰り返した。一方で膨大な本を渉猟し、新旧の思想や芸術に触れて創作に生かした。

 初めて知るエピソードが多い。デビュー前はコミックブックのプロットを書いていたこと。長篇『妻を殺したかった男』を含む多くの小説が、レズビアンの恋人との私生活の余波から生まれたこと。トム・リプリーの造型には、キルケゴールの思想書『死に至る病』が関与していたこと。視覚的想像力が豊かで画家になる夢を抱いたこと等々。ファンにとっては衝撃的な内容ながら、作劇の謎を解くジグソーパズルのピースが、パチパチとはまってゆくような知的読書が味わえるはずだ。

 辛口の本が続いたので、最後は中辛程度の風変わりなスパイ・アクション物で締めよう。英国の新人作家ジョン・ブロウンロウの長篇『エージェント17』(武藤陽生訳/ハヤカワ文庫NV)である。

 各国のスパイ組織が自らの手を汚さないように、謀略業務を外注。非合法な仕事を請け負うのが、フリーランスのスパイ・暗殺者たちだ。主人公の「俺」は通称〈17〉。過去に活躍した1から15がすでに死んだ今、マネジメントを担う〈調整役〉から、行方不明のスパイ16の殺害を依頼される。

 お互いを番号で呼び合うのは、不条理SFスパイ物のTVシリーズ『プリズナーNo.6』(一九六七~八)と同じであるが、印象としては鈴木清順監督の日活映画『殺しの烙印』(一九六七)に近い。軽ハードボイルド風のポップな語り口といい、番号が付いた暗殺者同士が殺し合う設定といい、抽象化された世界観といい、実にソックリだ。

 著者はドラマの脚本家出身だという。主人公17が、映画『殺しの分け前/ポイントブランク』(一九六七)の俳優リー・マーヴィンに憧れていたり、映画・TVのネタを頻繁に口にするのも、映像世界の影響だろう。著者が『殺しの烙印』を観ていても不思議ではない。

『エージェント17』は優れた謀略小説に与えられる〈英国CWAスティール・ダガー賞〉に輝いた。でも、主人公の語り口は饒舌でお下品。二人称「君」を用いて読者に語りかけるあたりはコミカルだし、二転三転する意外性もあるし、アクション・シーンも冴えている。このようなオフビートな怪作を讃える英国ミステリ界の懐は深いなあ、と思う。

(本の雑誌 2025年3月号)

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●書評担当者● 小山正

1963年、東京都生まれ。ミステリ・映画・音楽に関するエッセイ・コラムを執筆。
著書に『ミステリ映画の大海の中で』 (アルファベータブックス)、編著に『バカミスの世界』(美術出版社)、『越境する本格ミステリ』(扶桑社)など。

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