吟遊詩人から世界の普通飯まで放浪と冒険に憧れる!
文=東えりか
大阪の万博記念公園内にある国立民族学博物館に行ってきた。みんぱく創設50周年記念特別展「吟遊詩人の世界」を見るためだ(2024年9月19日から12月10日まで)。
私は子どものころから放浪の民に興味を持っていた。最初は「ハーメルンの笛吹き男」の童話からだと思う。どこからともなくやってきて、面白い話を聞かせる人はなんて魅力的なんだ。
そんな娯楽を与えてくれる人たちが世界中に同時発生的にいたことは、人類の一つの資質なのかもしれない。日本でも目の見えない女性がチームとなって、村々を渡る「瞽女」が二十世紀半ばまで存在し、奇跡的に多くの記録が残っていた。芸能者として矜持を持ち、綺麗な着物を着て、お客様に楽しんでもらう、という姿を目の当たりにした。
この展覧会の解説書として『吟遊詩人の世界』(川瀬慈編/河出書房新社)が発売されている。古代から現在に至るまで、吟遊詩人の遺伝子は残されている。民族学者とはなんと魅力的な仕事だろう。来世ではこの仕事に就きたい。
自ら好んで漂泊する者もいる。
『地図なき山 日高山脈49日漂泊行』(新潮社)は冒険家、角幡唯介が行った「地図を持たずに登山をする試み」の記録である。
近年は極夜の北極探検や犬橇を使っての長期狩猟行など、まさに「冒険家」という活動で驚かされてきたが、今回の舞台は日本。北海道の日高山脈だ。正確な地図によって安全な登山ができる山で、渓流に魚影が濃く釣り人たちの人気の場所でもある。ダムもあり管理するための施設も充実している。
角幡はその山に「情報を持たずに入る」ことにした。地図を見ない、人に聞かない、長年培ってきた経験と知識、体力を持って日高山脈を攻略する。
もともとは世界に残る人類未踏の地を探検することに憧れていたが、科学技術の力によってそんな地は残されていないことに気づかされた角幡が、その技術を出来るだけ使わない、という選択をしたのは当然の成り行きなのかもしれない。
何十年もかけて先人たちが作ったルートを無視し、自分の勘だけで登り、山や川に自分だけの名前を付け、目に見える一番高い場所を目指す。「そこに山があるから登る」という言葉通りの行動は清々しくもある。
都合六年かけて踏破した日高山脈登山記録で強く印象に残ったのは「食料調達」への欲望だ。後半は釣行記になってしまいそうなくらい、魚影を探している。確かに冒険中に飢え死にするのはたまらないだろう。
冒険する哲学者の角幡唯介が次に向かう標的は何か。楽しみである。
未知の場所を旅したい。ある種の人間が持つ強烈な欲望だ。『世界の果てまで行って喰う 地球三周の自転車旅』(新潮社)は自転車で七年半かけて世界をまわった記録『行かずに死ねるか! 世界9万5000㎞自転車ひとり旅』(幻冬舎文庫)がベストセラーとなった石田ゆうすけが、観光地でない普通の町の普通の人と食べた食事の記録である。
死なないように空腹を満たせばいい、となると怪しく危ないいものも口にする。水、米、パン、麺など最低限に生きるための糧を手に入れる話から、副菜となる野菜や魚、肉の話。季節になるとふんだんに手に入るフルーツは、涎が出そうなくらい美味しそう。
さらに世界三周したなかで、忘れられない絶頂メシはブータン、キューバ、ミャンマー、スリランカと意外な場所で出会っている。
先の角幡と同じく、石田も冒険野郎でありながら、長い年月を放浪した後、妻を娶り、子を持ち、家族とともにある。それは「一人でいたくない」という飢餓感のせいだろうか。生存本能の強さが冒険家としての一番の素質なのかもしれない。
大海原で彷徨い、世界の趨勢に翻弄される日本の捕鯨産業。「まだクジラなんて獲ってるの?」と思っている人も多いかもしれない。『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)はノンフィクションライターの山川徹が二〇〇六年から追いかけている「捕鯨」の現在までの軌跡である。
私は多分、最後の鯨肉世代だ。小学校低学年で「鯨の竜田揚げ」を食べた記憶があるし、関西の人と結婚したらおでんに「コロ」(鯨の皮下脂肪を鯨油で揚げ乾燥させたもの)が欠かせないと聞いて驚いた。いまだに苦手だ。
捕鯨は狩猟だ。日本には独特の商業捕鯨の船団があり、戦後の食糧難の大事な肉資源だった。
だが日本だけでなく捕鯨を行う国が乱獲したことで絶滅が危惧され、日本は商業捕鯨から南極海の調査捕鯨に移行する。鯨類の習性や数がきちんと調べられ、資源として復活すれば、商業捕鯨が戻ると信じたからだ。
だがそこに自然保護団体の猛烈な反発が起こる。シーシェパードの攻撃など記憶に新しい。
二〇一八年、日本は国際捕鯨委員会(IWC)を脱退。200海里内(排他的経済水域内EEZ)での商業捕鯨を再開している。
著者は商業捕鯨の技術継承者とこの経緯を導いてきた学者、そして未来への展望を粘り強い取材によって書き上げた。
タイトルの意味は『義経記』に記されている「九死に一生を得た」ことの慣用句。日本が代々継承し残した技術が世界を救うかもしれないのだ。
谷川俊太郎死去、享年九二。長命な文学者は死なないような気がなぜかしていた。『対談集 ららら星のかなた』(中央公論新社)は同じ詩人の伊藤比呂美が「死に近い人に死について聞く」という豪胆な対談集だ。ズケズケと聞くことに淡々と答え、最後にしたいことは「立ち上がって歩きたい!」ああ、この人ももう居ないのか。
(本の雑誌 2025年1月号)
- ●書評担当者● 東えりか
1958年、千葉県生まれ。 信州大学農学部卒。1985年より北方謙三氏の秘書を務め 2008年に書評家として独立。連載は「週刊新潮」「日本経済新聞」「婦人公論」など。小説をはじめ、 学術書から時事もの、サブカルチャー、タレント本まで何でも読む。現在「エンター テインメント・ノンフィクション(エンタメ・ノンフ)」の面白さを布教中。 新刊ノンフィクション紹介サイト「HONZ」副代表(2024年7月15日クローズ)。
- 東えりか 記事一覧 »