南北戦争を描く犯罪文学の超展開にビックリ!
文=小山正
ああ、なんて崇高な戦争犯罪文学なのだろう! ジェイムズ・リー・バークの長篇『破れざる旗の下に』(山中朝晶訳/早川書房)は、凄まじい暴力と殺人を描く壮大な叙事詩だ。
一八六二年、アメリカ南北戦争が激化したルイジアナは、北軍と南軍の略奪・強姦・殺戮がはびこる無法地帯と化した。そんな生き地獄に対峙する登場人物六人の心象が、一人称で交互に語られてゆく。
彼らは皆、戦争という犯罪に肉体と精神が蝕まれている。男たちは正気と狂気をさまよい、女たちも絶望に啼く。だが三人の女性──奴隷制廃止を唱える白人フローレンス、行方不明の息子を探す奴隷ハンナ、解放された奴隷ダーラは、困難に屈することなく、死闘を繰り広げる。
戦争小説ゆえの重々しさは拭えない。が、しかし、次々に起きる事件や残虐行為があまりに凄惨すぎるうえに、笑いを誘うようなブラックな表現がしばしば挿入されるので、随所で苦笑してしまうのだ。もはやギャグの域である。さらに──混沌を空から見下ろす全知全能の〈神〉が、ギリシャ演劇の〈機械仕掛けの神〉よろしく、登場人物たちにミステリアスな奇蹟をしばしば起こす。キリスト教思想を行動原理とする人々の悲喜劇とはいえ、いやあ、ビックリの超展開だ。
とはいえ、この小説で描かれる分断と対立の状況は、二十一世紀の今リアルに起きている世界情勢と、大いに重なる。そう感じさせるのも、きっと著者の狙いなのだろう。
英国作家ジャニス・ハレットの新作長篇『アルパートンの天使たち』(山田蘭訳/集英社文庫)は、前作『ポピーのためにできること』(二〇二一)と同じくデジタル時代のメディア・ミックス小説。
巻頭、この本は金庫に眠る未解決殺人の調査ファイルである旨が示される。ページをめくると、ワッツアップ(ラインのようなメッセージアプリ)のやり取り、電子メール、SNSのテキスト・絵文字が次々に飛び交う。併せて、録音の文字起こし、手書きメモ、映画台本、事件資料、新聞、手紙等々が時系列で列記。事件ファイルから浮かび上がるのは、犯罪ノンフィクション作家アマンダ・ベイリーの取材過程だ。彼女は、自分らを〈救世主〉〈天使〉と信じる少年少女が関わるカルト宗教殺人を追い、その顚末がファイルに集約されている。
アマンダは粘り強い。時には手段を選ばず、強引な面もある。厚顔無恥な取材姿勢は褒められるものではないが、猪突猛進の勇ましさは魅力的だ。
昨今はモキュメンタリー等の隆盛もあって、メディア複合型の話法を用いる小説や映画が増えた。しかし本作はそうした新手法に溺れることなく、ミステリの作劇が巧みな点がすばらしい。二重三重の仕掛けが施され、錯綜する人間関係も意外性たっぷり。ジワジワと明かされる真相はカタルシス満点だ。
また、調査中のアマンダは、怪しい宗教の言説に惑わされ、カルト宗教や陰謀論に洗脳された旧知のジャーナリストと対立する。どこかで聞いたような話だが、こうした盲信の事例を通して著者は、人間の思考回路が陥りやすい罠や、騙されやすさや心の弱さを、改めて認識させてくれる。人間探求のドラマとしても骨太なのだ。
そういえば今月はアジア系のミステリに収穫が多い。
玖月晞の長篇『少年の君』(泉京鹿訳/新潮文庫)は、二〇一九年に作られた中国・香港合作映画(米国アカデミー国際長篇映画賞候補作)の原作。大学受験を控えた十六歳の少女と、職業専門校の不良少年との恋愛を軸に、彼らが関わった不良少女の死の謎を描くサスペンス小説だ。大学受験を控えた少女・陳念は優等生だが内向的。クールなジョークをポツリと囁くような感性も持っている。一方、北野は狂犬風ながら〈守護天使〉のような不思議な人物。犯罪に巻き込まれた二人は、理不尽な苦しみを背負う。
現代中国の社会問題「受験戦争」「いじめ」「貧困」を背景に、前半は水と油のような二人が惹かれる姿が劇的に活写される。後半は陳念を想う刑事も加わり、真犯人の謎と偽装工作を巡って、三者の哀しい愛の真実が濃密に語られる。
ありがちな犯人当て小説ではなく、動機や心情を深掘りして、緊迫の心理サスペンス物に仕上がっているのがうれしい。二人の後日譚を記した別冊付録も涙なくしては読めない。
アジア系ミステリをもう一冊。インド人作家ミッティ・シュローフ=シャーの『テンプルヒルの作家探偵』(国弘喜美代訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)は、アガサ・クリスティー風の楽しいコージー物だ。主人公はインド出身のジャイナ教徒でベストセラー作家ラディカ・サヴェリ。彼女はニューヨークで恋に破れ、作家としてもスランプに陥り、新生活を始めようと、故郷のインド中西部の都市ムンバイに戻ってきた。そんなある日、彼女が住む高級住宅地テンプルヒルで、親友の父親が自宅書斎で謎の死をとげる。早速彼女は聞き込みを始めるが──。
ラディカは心の傷が癒えず、睡眠薬を飲まないと眠れない。事件の調査も大変だ。しかし、美味しいモノを目の前にすると憂いを忘れて爆食。かくして、聞き込み→お菓子→調査→お菓子→推理→お菓子、といった感じで美味しそうなスウィーツが頻出するのだ。甘党には刺激が強すぎるぅ! インドは世界一甘いモノを食べる国、というのは嘘じゃないのね。食べ物以外も、身分社会・風俗・文化等がビビッドに描写されている。キスシーンだって、インド映画のようにコテコテで大爆笑。インドのコージー・ミステリはクセになるかも!
(本の雑誌 2025年2月号)
- ●書評担当者● 小山正
1963年、東京都生まれ。ミステリ・映画・音楽に関するエッセイ・コラムを執筆。
著書に『ミステリ映画の大海の中で』 (アルファベータブックス)、編著に『バカミスの世界』(美術出版社)、『越境する本格ミステリ』(扶桑社)など。- 小山正 記事一覧 »