ジェスミン・ウォードが描く奴隷制下の女性の過酷な生

文=橋本輝幸

  • 降りていこう
  • 『降りていこう』
    ジェスミン・ウォード,石川 由美子
    作品社
    2,970円(税込)
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  • ほんのささやかなこと
  • 『ほんのささやかなこと』
    クレア・キーガン,鴻巣 友季子
    早川書房
    2,420円(税込)
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  • 理想の彼女だったなら
  • 『理想の彼女だったなら』
    メレディス・ルッソ,佐々木楓
    書肆侃侃房
    2,310円(税込)
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  • 白猫、黒犬
  • 『白猫、黒犬』
    ケリー・リンク,金子 ゆき子
    集英社
    2,970円(税込)
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  • 天国ではなく、どこかよそで
  • 『天国ではなく、どこかよそで』
    レベッカ・ブラウン,柴田元幸
    twililight
    2,200円(税込)
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  • 翻訳する女たち:中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子
  • 『翻訳する女たち:中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』
    大橋 由香子
    エトセトラブックス
    2,640円(税込)
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 現代アメリカを代表する作家ジェスミン・ウォードは、全米図書賞の小説部門を二度受賞した唯一の女性であり、非白人である。彼女の最新長編『降りていこう』(石川由美子訳/作品社)の題名は、ダンテ『神曲』の一巻『地獄篇』にちなむ。これまで現代アメリカのミシシッピ州が舞台の小説を書き続けてきた著者は、この第四長編で初めて一九世紀初頭を舞台に据えた。

 主人公は若い黒人奴隷のアニス(本当の名前はアリーズ)。サウス・カロライナ州の農園で暮らしている。農園の白人領主が黒人奴隷に無理矢理産ませた娘だ。アニスの母親は、アニスの祖母である「アザ母さん」は王に仕える戦士だったと語り、槍の技術をひそかに教えこむ。領主は年頃のアニスにさえも手を出そうとし、邪魔をする母親を売り飛ばした。同じ農園の女奴隷サフィと慰め合い、肉体関係を結んでなんとか立ち直ろうとするアニスだが、今度はサフィとの密会を領主に目撃され、二人そろって売り飛ばされる。サトウキビや綿花を収穫する重労働に人手が必要な、南部のさらに南へ。奴隷商に過酷な行進をしいられるうち、アニスにだけ見える精霊が現れる......。

 本書は、奴隷制下の女性の過酷な生を描いているが、奴隷制だけが諸悪の根源ではない。祖母も親に売られて軍隊でしごかれ、消耗品としてしか見られていなかった。情を交わした男の共同体でも気が休まるとは思えないし、精霊も利己的で飢えている。最終的にアニスはすべての保護者候補から身を遠ざけ、たったひとりで小さな自由を勝ちとるのだ。

 附録の青木耕平による解説も充実している。著者を見舞った悲劇には言葉をなくした。

 クレア・キーガン『ほんのささやかなこと』(鴻巣友季子訳/早川書房)は一九八〇年代のアイルランドの暗部を描いている。アイルランド共和国の作家で、作品集『青い野を歩く』(岩本正恵訳/白水社)以来、二冊目でひさびさの翻訳書だ。キリアン・マーフィー主演で映画化されている。

 時代は北アイルランド紛争が続き、経済的理由から国外への出稼ぎや移住を余儀なくされる人も多かったころ。カトリック教会に付属する施設・マグダレン洗濯所では、未婚の母などが奴隷のように洗濯その他の重労働に従事させられていた。主人公ビル・ファーロングは石炭や材木を商う業者として出入りした教会で、この苛烈な実態を知ってしまう。実際は九〇年代まで公にならなかった問題を、ビルは見て見ぬふりをしない。良心や個人的経験がそれを許さないのだ。個人の内部から湧き上がる善、その燃えさしのようなかすかな熱が描かれている。

 メレディス・ルッソ『理想の彼女だったなら』(佐々木楓訳/書肆侃侃房)はヤングアダルト小説である。原書は二〇一六年に出版された。アマンダ・ハーディは母親の家から父親の家に引っ越し、テネシー州の小さな町にやってきた。内気な彼女は、転校先の高校で初めて容姿をちやほやされる。なるべく目立たずに最終学年を終えようとしていたが、何人もの女友達を得て、気になった男子と思いを通じ合わせ、初めてフットボールの試合やプロムといった騒がしいイベントにも参加するようになり、普通の高校生らしい思い出を作っていく。だが彼女は、もっとも大きな秘密をほとんどの友達や恋人に伝えられていなかった。

 トランス女性である著者のデビュー作。おおむねハッピーエンドではあるが、アウティングされるシーンもあるので注意。

 ケリー・リンクの短編集『白猫、黒犬』(金子ゆき子訳/集英社)には、童話や民話を元にした七編が収録されている。今月紹介した本でもっとも現実から遠いところにあるが、読者にもなじみのある不安や愛しさが巧みに表現されている。また「不思議で理不尽なルールを守り通す」というテーマがいくつかの作品で繰り返され、ムードを高めている。

 年老いた大金持ちが三人の息子たちに難題を与え、解決した者に遺産を相続させると言い出す「白猫の離婚」は思いがけない展開を迎え、仇討ちめいた結末となる。三十年連れ添ってきた夫プリンス・ハットがかつての婚約者である地獄の女王に奪い返された。夫をあきらめられない男ゲーリーが地獄へ降りていく「地下のプリンス・ハット」、大女優に養育されているミランダが、雪の日のみ現れる男フェニーをずっとつなぎとめようと試みる「貴婦人と狐」、大学院生が友人の代わりに山荘の留守番を務めるが、奇妙なルールの厳守が求められる「スキンダーのヴェール」......目を見張っているうちに終わる、手品のような物語ばかりだ。

 レベッカ・ブラウンの掌編集『天国ではなく、どこかよそで』(柴田元幸訳/twililight)は一部の収録作が童話の語り直しである点が『白猫、黒犬』と共通するが、より苦痛や悲劇、死の気配が濃厚である。どこか不穏さを帯びた「三匹のこぶた」や「赤ずきん」「ピノキオ」の話が収録されている。言葉の選びかたにも着想にも、読者の意表をつき、はっとさせるものがある。ハンプティ・ダンプティが彼女と呼ばれる作品には驚かされた。巻末の作品「おばあさまの家に」では、あらゆる者が許容される超越的な天国が高らかに歌われ、しめくくられる。

 最後に翻訳書ではなく、国内ノンフィクションだが、大橋由香子『翻訳する女たち 中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』(エトセトラブックス)もジャンル小説や児童書の愛読者には見逃せない。一九二〇年代、三〇年代に生まれ、翻訳家としてのキャリアを積んでいった女性たちのインタビュー集である。

(本の雑誌 2025年2月号)

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●書評担当者● 橋本輝幸

1984年生まれ。書評家。アンソロジストとして『2000年代海外SF傑作選』『2010年代海外SF傑作選』、共編書『走る赤 中国女性SF作家アンソロジー』、自主制作『Rikka Zine vol.1』を編集。
現在、道玄坂上ミステリ監視塔(Real Sound)や「ミステリマガジン」新刊SF欄に寄稿中。

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