第174回直木賞受賞予想。マライ「『家族』を推します。だが『女王様の電話番』もいい、なんて贅沢な直木賞候補作!」杉江「『カフェーの帰り道』の受賞を予想、『白鷺立つ』同時受賞もありか?」
お餅に飽きたら芥川・直木賞もね。ということで、またもやチームM&M(『直木賞候補作全部読んで予想・分析してみました』〈第163回〜172回〉発売中)による芥川・直木賞予想対談でございます。〈職業はドイツ人〉マライ・メントラインと〈書評から浪曲まで〉杉江松恋のチームM&Mが1月14日に選考会が行われる第174回芥川・直木賞予想に挑みます。両賞共に受賞作なしだった前回を経て、文学賞は変わったのか否か。直木賞候補作を読み解きながら一緒に考えてみませんか。芥川賞編はコチラ。
第174回直木賞候補作
嶋津輝『カフェーの帰り道』(東京創元社)2回目
住田祐『白鷺立つ』(文藝春秋)初
大門剛明『神都の証人』(講談社)初
葉真中顕『家族』(文藝春秋)初
渡辺優『女王様の電話番』(集英社)初
選考委員
浅田次郎、角田光代、京極夏彦、桐野夏生、辻村深月、林真理子、三浦しをん、宮部みゆき、米澤穂信
- 目次
- ▼嶋津輝『カフェーの帰り道』令和の向田邦子あらわる?
- ▼住田祐『白鷺立つ』デビュー作とは思えない達者な文章
- ▼大門剛明『神都の証人』終盤のツイストはミステリー的には重要だが……
- ▼葉真中顕『家族』逃げ場のない超劇薬小説
- ▼渡辺優『女王様の電話番』イキってるだけじゃないんです!
- ▼直木賞候補作総括●各作品にリンクがあって、中心に『家族』があったのかな
嶋津輝『カフェーの帰り道』令和の向田邦子あらわる?
マライ・メントライン(以下、マライ) 予想は『家族』と『カフェーの帰り道』で、イチオシは『家族』です。個人的には『家族』の「こんな絶望的なエンタメ(とも読める)小説があっていいのか!」という衝撃から立ち直れない感があります。
杉江松恋(以下、杉江) 私はイチオシが『カフェーの帰り道』で、予想はその『カフェーの帰り道』ですが、『白鷺立つ』の同時受賞もあるかも、というところです。
マライ あるカフェーを舞台に大正から昭和の戦争直後までを綴る、社会史的な味わいを持つ連作短篇集です。といっても大風呂敷を広げるわけではなく、人間心理のオモテウラを繊細になぞる良さが際立ちます。心理描写の刺さり感、特に人間本来の善性発露のとらえかたがとてもよい。こういう佳品が受賞する世界線があってもいいんじゃないか、ということを嶋津さんの前作『襷がけの二人』(文藝春秋/170回候補作)でも言った気がします。そういえば雰囲気全般が似てますね。作者による「この味わいで皆様どうですか」という改めての問いかけである、ということにこそ意味があると思います。個人的にはものすごく好きなんですけど、賞レースではどうしても作品のインパクトに目が行きがちです。それを前作からの積み重ねも含んだ「誠実さ」で突破できるか!
杉江 前作よりも薄いのが第一の評価点じゃないかと思うんですよね。
マライ おお、なんと、量的な観点!
杉江 『カフェーの帰り道』は年代記なんですけど、エピソードの間を大胆に飛ばしています。『襷がけの二人』は主人公と伴走する叙述形式だったからどうしても長くなったけど、今回は連作形式を採用して大幅に減量した。前作から読んでいる選考委員には、その絞り込みを評価されると思うんです。また、『襷がけの二人』の主人公は受け身で、夫からの扶助なしで暮らしていけない立場でした。でも『カフェーの帰り道』に出てくる女性たちは、みんな自立を目指している職業人なんですよ。そこも前作より評価されやすい。マライさんもご指摘されている性善説を前提としたキャラクター造形は素晴らしいですよね。
マライ そうなんです。この性悪説全盛の時代に、なかなか天晴れなのです!
杉江 「嘘つき美登里」に出て来る〈妹小路園子〉とか本当に愛らしいじゃないですか。脇役の男性にも女性を見下すような人はいないですし、読んでいて気持ちいいですね。
マライ しかも絶妙に嘘くさくない。〈妹小路園子〉は、芥川賞も含めた今回の候補作でベストキャラといっていいんじゃないでしょうか。
杉江 そこは設定のうまさなんですよね。「出戻りセイ」における男女の描き方なんかいいですよね。〈セイ〉は自分の美点を引き出す助言をしてくれる向井という男性にだんだん惹かれていくわけですが、彼がセイと対等の立場を取っているからあの恋愛も成立する。きちんと大正~昭和の時代性を踏まえた上で、その中に現代人が読んでも楽しめるような設定、人間関係を組み込んでいるんですよね。
マライ 時代を超えて「大人のマインドに強く訴える」サムシングを持った小説だなと感じました。
杉江 帯に「令和の向田邦子あらわる」と書いてもいいんじゃないでしょうか。そのくらいの逸材に成長したと思います。正攻法、正面突破、ただただ誠実。そういう作品が受賞する直木賞であってまったく問題ないと私は思います。
マライ 同感です!
住田祐『白鷺立つ』デビュー作とは思えない達者な文章
マライ 江戸時代中期、「天皇の隠し子であるゆえ、寺院に送られて実質的に軟禁生活の生涯を送る」ことを宿命づけられた二人の男が、互いにいがみ合いながら、必然的に直面する「アイデンティティの欠落感」という問題に取り組むストーリーです。天才肌の人物と実直肌の人物が対立するという構図はなんとなく『アマデウス』を連想させなくもない、というのはまあいいとして、中途で繰り出される「超大技」によってその後、アイデンティティの欠落問題が一気に補完されるという筋書き、あれはどの程度の納得感を読者にもたらすのか。そこが気になります。碇ゲンドウあたりに聞いてみたい(笑)。
杉江 ああ、碇ゲンドウ感ありますね。似た者同士の(疑似)父子がそれゆえに憎み合うが結局は同じところを目指しているということで、範馬勇次郎・刃牙感も。あとは海原雄山と山岡士郎もか。これ、受賞あるかも。というのは文章が凄いんです。比叡山の千日回峰行とか読者はみんな知らないはずだけど、この本を読んでわからなかったという人はいないと思う。新人のデビュー作とは思えない達者な文章だし、迫力ある文体という意味でも、今回の候補作では一番かも。もちろんここに書かれている千日回峰行は、仏教の専門家が見たら粗もあるのかもしれないけど、なんだかすごい荒行だなあ、って読者に納得させてしまう力があるんですよ。
マライ なるほど、微妙すぎて怖いですね、その文脈性は。ちなみに冒頭、超修行でボロボロになった主人公が、苦心惨憺しながら立ち上がってメカニカルに移動開始する場面を読んだ夫が「『ガンダム大地に立つ!!』みたいな感じですね」と言っていたのも印象的です(笑)。
杉江 あそこ、体から屍臭が漂って来るというのが迫力あっていいですね。アイデンティティの欠落が根幹にある二人が、似た者同士なのにいがみあうという哀しさが小説の特徴になっていると思うんですけど、その原因が天皇の落胤という出自というところもおもしろいと思います。芥川賞候補作に次ぐ第二の天皇制小説。あと、憎み合う二人が最後にはそれを越えて一つの目標を目指すという話は、文藝春秋初代社主の菊池寛「恩讐の彼方に」じゃないですか。「恩讐の彼方に」で「父(修行に)帰る」だから文藝春秋が幹事社になっている直木賞にはこの上なくふさわしいんですよ!
マライ 菊池寛スピリットがどこまで今なお燃えているのか文藝春秋NOW!
杉江 人間関係が『アマデウス』ぽいというか類型的というご指摘はまあ、そうだと思います。でもこれだけ個性ある主人公ならいいのではないでしょうか。リンチされた〈恃照〉が頭に七つの蛇を持つ男になっちゃうあたりとかキャラ立ちすぎです。
マライ あれは微妙に北斗の拳ぽかったですね。胸に七つの傷を持つ男、YOUはShock!のココロです。でも悟りとは正反対のナニカという気も!
杉江 とても悟っているとは思えない情念のほとばしりですが、そういう人間臭いところがいいんです。
大門剛明『神都の証人』終盤のツイストはミステリー的には重要だが……
マライ 第二次世界大戦中に発生した一家惨殺事件を軸に、令和にまで至る「法的な道理と人間の内在的な道理の矛盾・相克」を描く渾身の長篇小説です。作者の主張ベクトルはとても良い。賛同という以上に感銘を受けます。いわゆるサイコパスについての言及など、同じ候補作の葉真中顕『家族』とシンクロする要素が色々あるのが興味深い。逆に『家族』と対照的な点としては、性善説に対する最終的な信頼感があります。序盤から中盤までは世相描写も含めて「昭和の暗黒面をえぐる」系の犯罪小説のスタンダード感が強いのですが、終盤になるにつれてキャラの色付けもストーリーのツイスト感もダイナミックになっていく。おそらく意図的な構成で、なかなか唸らせてくれるポイントですが、中盤までの雰囲気に惹かれた人が「終盤のツイストは必要なのか?」と違和感を抱く可能性は無いのだろうか、と気になりました。重厚長篇ゆえにキャラ表現を記号的にわかりやすくする必要があったのか、特に権力側の脇役については、人間として善悪両面を有する点はいいんだけど、その示し方が極端というか、なんかデジタル的にON/OFFをスイッチングしているのか君は? 的な違和感もありました。個人ってもっとグレーゾーンがあるように思うのですが、そのへんはどうなんでしょうね。
杉江 犯罪小説としては非常に読み応えがありました。今おっしゃった終盤のツイストについて言えば、ミステリー的にはあれ、大事なんですけど、一般小説的な読み方だと、どんでん返しのせいで全体が嘘くさくなった、と選考委員に言われる可能性はあると思いました。キャラクターの記号性については、私も同感です。わかりやすくは書かれていますよね。あと、題材の重さと比べて、書き方が軽いようにも思うんです。
マライ 軽くないとあの分量をいいペースでは読ませられない、という説はないですか。
杉江 それはそうなんですけど。この小説は第一部が大政翼賛体制下だから、国策に反する弁護士なんて要らない、という人もいて主人公は子供にまで馬鹿にされます。あそこの息苦しさは読むのが辛いほどなんですけど、あの逆境を跳ね返せるからこそ全体主義の時代に対抗できる主人公になりうるんです。でも第二部以降ではそういう閉塞感はなくなって、主人公の負荷が消えてしまう。読みやすくはなったのだけど、主人公の背負う逆境という意味では魅力ポイントが半減してしまったかと。第一部に描かれた雰囲気は、今のSNSにはびこる事大主義、政府のいう事は正しいなぜならば政府だから、というような思考停止にも反論するものとして読みながら期待したんですよね。でも第二部以降はそれが無くなるでしょう。官の間違いを正す小説なのに、もったいないなとは思いました。もう一つ物足りなかったのが、弁護側が請求棄却されるとしばらくして次の証拠がぽんと出てくる。そんなに簡単でいいの、と思うんです。長い時間を切り取っているから発見のところだけを書いている、ということではあるんですけど、前のほうで否定した証拠が実は正しかったりとか、そういう試行錯誤がないと苦心惨澹しているようには見えない。
マライ 試行錯誤のプロセスが薄いのが弱点に見えてしまうというのはおっしゃるとおり。最後の主人公のロスジェネ感で、社会的な問題意識のディープ感が盛り返す感触はあるんですけど、ちょっと弱いかも。
杉江 世を拗ねていたロスジェネの三代目主人公が急に正義漢になっちゃうところもちょっと。人間の屈折って、そんなに簡単に解消しないんじゃないのかなあ。
マライ 司法試験もいつの間にか合格してましたし。
杉江 ロスジェネ期待の星! 大部の小説だけに細部を見ていくとそういう不満は出てきちゃうんですよね。ただ、作品としての致命的な瑕瑾ではないですし、ここはあくまで賞レースにおいて減点されそうなポイントを指摘しているということで。
マライ なるほど確かに。
葉真中顕『家族』逃げ場のない超劇薬小説
マライ これは凄かった。剛速球をココロの顔面でおもっきし受けてしまった的な衝撃ですね。北九州監禁殺人事件(2002年発覚)や尼崎連続変死事件(2012年発覚)をベースとした支配系サイコパス犯罪の話なんですが、異常系から人間や共同体の心理的本質に還元できてしまうものがある、というヤバい内容です。サイコパスが絡む点と公的権力によって道理がゆがめられて登場人物が絶望を味わう点が『神都の証人』と相似形で、あっちで連発される検察の「即時抗告」が、本作では警察の「民事不介入の原則」です。本作では、善・悪・正義・狂気の境界が曖昧で、個人でも共同体でもそれらのグレーゾーン領域が大きめに描かれます。それによって読者の安直な感情移入や状況理解を防いでいる。とはいっても物語の求心力が薄れるわけではなく、ドロドロした不吉なものを直視させられる諦念めいた悦楽に誘導される感すらある。
杉江 負の快楽ですね。
マライ 特に感心したのが、フィクションでもノンフィクションでも詳細がいまいち曖昧にされがちな 「サイコパスの言辞がなぜそこまで魅力的に見えてしまうのか」について、一例ではあるもののビシッと描かれている点ですね。日常の「ちょっとした事故」的な心理ダメージを「それはお前に向けられた潜在的な悪意であり、無自覚に放置すれば搾取され続ける。愛という言葉で搾取被害を正当化するのを止めて、既存の価値観や道理に対して牙をむくべきだ。それこそ人間的な権利というものだ」と再定義し、相手の潜在的コンプレックスを利用して過度な攻撃心と復讐心を植え付けるんです。ありもしない精神的な陥穽を強引に作り出し、その充填剤として暴力的原理を与え続ける。なんというマッチポンプ的な巧妙さ! ガン細胞のごとく歪んだ疑似道理は急速増殖し、転移伝染してゆく。実にすさまじい。かなり高度なものでも性善説の道理では容易に太刀打ちできない! という実感があり、ガン細胞増殖的なサイコ共同体メカニズムの不死性が暗示されながら物語は終結します。こんな逃げ場のない超劇薬小説を世に放ってしまっていいのか葉真中顕! ということで超満喫しました。
杉江 サイコパスの内面と言辞のメカニズムを書いて、説明臭くなっていないところは確かに美点ですよね。上手いと思ったのは、あえて説明しない要素を残しているところで、〈朱鷺子〉が平然と虫を喰うとか、ストーリー進行と関係ない細部がありますね。何なのかは読者には最後まで告げられない。そういうところでホラー的な興趣が湧くのだと思います。
マライ なるほど。ホラーといえば、ある重要な場面で心霊譚的な要素を効かせているのも大きなポイントかと思います。私がこれまでさんざん言っていた「直木賞文脈はホラー要素の活用センスがイケてない」という問題を克服する重要な一歩かもしれない(笑)。
杉江 題材は実在のものに寄せていますが、あえて作中の時系列通りに書かず、無数の家族が並行して犠牲になるというオムニバス的な書き方にすることで、恐怖を誰にでも訪れ得る普遍的なものに見せていますね。この構成は成功していると思います。
マライ 強いて問題を挙げるなら、このクドさを消化できる読者がそれなりに限られていそうな点かもしれない。
杉江 かなり多くの犠牲者家族が出てきますが、巻末の関係図がないと全体像把握は難しい。ただ、多くの関係者を出していることが煙幕になっているという一面もあって、解かれずに残される謎もあるんです。開かれた結末と言うこともできますが、理解できない読者はいると思います。
マライ ただ、見ようによってはそこがむしろ秀逸で、いわゆるノワールとかサイコホラーとかいう既存の枠組みを超えた、そして現代にてひそかに渇望されている「総合ダークサイド」文芸の最初のベンチマーク作品とみていい、そんな容赦なき作品である! と私は考えたいです。超オススメで推しますが、服用は自己責任で行ってください!(笑)。
杉江 複数の人が視点人物を務めるので統合されきらないのは当然なんですが、最後ちょっと自壊しているような印象を受けました。ただ、優れたノワールはいびつなものだということでもあります。いびつで矛盾していても問題ないんですけどね。ジム・トンプスンの小説なんかみんなそうだし。不完全な人間を書くから小説は壊れる、もしくは不完全な描き方だからこそ恐怖や不安の根源となる。そういうところがどこまで評価されるか、今回は興味があります。これまでの葉真中作品の中では間違いなく上位にくる作品なのは確かだと思います。似た作品に何かあるかなと思って考えたら、桐野夏生が東電OL殺人事件をモデルにして書いた『グロテスク』(文藝春秋)を思い出しました。そのぐらい『家族』は、犯罪小説としていい出来なんだと思います。
渡辺優『女王様の電話番』イキってるだけじゃないんです!
マライ 「コミュニケーションの可能性と限界、不可能性」というテーマはイマドキの知的関心の焦点のひとつといえるでしょう。女性視点で風俗産業を描く刺激感に目が行きがちですが、実質はココロの許容範囲とは何かを徹底的に追究する内向的ハードボイルドストーリーだと感じます。端的には言語化しづらい、ややこしい個人の事情を尊重しなさいよ、それこそ真の多様性確保っていうものだろう、という作者の主張には首肯できる点が多い。実は、私はこの作品の語り手と同じアセクシャルの人間で、作中の説明については、ひと括りにラベリングするなという点も含めて納得できる点が多いのだけど、一般読者にはどうなのか、という点がやや気にならないでもない。でも〈むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいませんでした〉の喩え、アセクシャル人間は現実的な物語から、しかもマイノリティ業界の中でも疎外されがちなんだ、という表現は秀逸です。
杉江 あそこは本当に上手かったですね。問題の切り取り方、会話による議論の形で見せる力がすごくあると思いました。「内向的ハードボイルドストーリー」というのも、ハードボイルドというか、一人称の私立探偵小説プロットが応用されているんですね。失踪した女性を探すわけだから、まさしく狭義のハードボイルドになっています。だからこそあのとぼけた語り口が効果を上げる。序盤だけ読むと、女性の眼から風俗産業の内幕を描いた小説に見えますが、それは主人公の性自認を引き出すための道具立てに過ぎなくて、潜入ものっぽさとは無縁です。性風俗産業の内幕は知りませんが、納得できるディテールで書かれていて感心しました。性的な扇情性はゼロですし。
マライ 全く同感です。ちなみに語り手の特殊能力「〈スーパーセックスビーム〉の知覚」は実在します。現に私にも見えます。あれ、作者は誰かガチの能力者から聞いたんだろうな。作中表現もすごくリアルです。
杉江 「この世界は〈スーパーセックスワールド〉だ」という冒頭に出てくる造語の力ですべてを突破している感じがありますね。
マライ そうなんですよ。本作の美点として、善悪の描写が安直でない点も挙げられます。特に秀逸なのが主人公のアセクシャルについて理解を示す人物で、彼は誠実ではあるんですけど、実は原理のすり替えをしているだけだということに自分では気づいていない。そして、彼の蒙を啓くような文脈は社会で共有されていない、という切なさが濃く残ります。
杉江 あの登場人物は、世の中の大多数の、善意はあるけど価値観の更新が追いついていない人の象徴ですね。いわゆる仕事小説の体裁を使ってまったく違ったところに読者を連れて行く点も評価高いです。(お)仕事小説って女性が職業体験を通じて自己認識を改めていくことが中心になることが多いんですが、本作の場合主人公は職場=社会の方に寄らず、むしろ自分を強固にします。あの自己再肯定が、すごく好きですね。
マライ そうなんです。マジで戦ってる実感があります。イキってるだけじゃないんです!
杉江 主人公が闘士っぽく見えないところがいいんですよね。
マライ ですよー。「強い」と「強そう」の違いの重要なトコですねそれは。
杉江 構造が思ったよりミステリー寄りだったのが思わぬいちゃもんを引き寄せる可能性はあるんですが、これが受賞しても全然驚かないと思います。桐野夏生さんや角田光代さんの評価が知りたいなあ。今回の芥川賞は畠山丑雄を発掘したのが手柄でしたが、直木賞はこの作品を候補にできてよかったですね。現代に取り残されずにすんだというか。
マライ まったく同感です!
直木賞候補作総括●各作品にリンクがあって、中心に『家族』があったのかな
マライ 今回はお世辞抜きにハズレ作品のないハイレベルな激戦でしたが、個人的には『家族』のヤバいインパクト性について特に言及したいです。人類は確実に地獄に向かってまた歩を進めてしまった、という内容を何故こんなに求心力のある文章で書けるんじゃ! という逸品。かねがね地味に気にしていた、リアル現実環境の空気感が色々なレベルで狂っていく状況下で「説得力のあるエンタメ」とは何か? というテーマについての一つの有力な解答、それも単品では終わらず「スタイル」として何かしら波及しそうな解答という印象があります。いやー、シビれました。ゆえに、これに対抗できるとしたらむしろまったく文脈を共有しない、「やさしい味」の『カフェーの帰り道』なのかなぁという見立てです。もし『家族』が居なかったら、『女王様の電話番』の「イマドキの人間のリアルコミュニケーションの距離感と温度感を、ついに自然にオモシロ展開させる作品が出現した!」という興奮を前面に押し出したかもなぁ、と思います。そう、女王様もすごくイイ小説なんですよ。いやはや、なんて贅沢な今回の直木賞!
杉江 『家族』と『カフェーの帰り道』、あるいは『家族』と『神都の証人』、自明性を疑うという意味では『家族』と『女王様の電話番』というように、各作品にリンクがあって、中心に『家族』があったのかな、という印象です。だからといって『家族』が受賞するかはわからないのが直木賞のおもしろいところ。個人的には、時流に遅れないように現代をどういう形かで反映した作品が候補作に並んだところがおもしろいと思いました。




























