ニューロマイノリティによるムーミン世界の新たな読み解き方
文=東えりか
子どもが抱えている生きづらさを大人はどこまで理解できるのか。沢木ラクダ『せんさいなぼくは小学生になれないの?』(小学館一六〇〇円)が投げかけるのは切実な問題である。
ノンフィクションライターの著者と教育関係者の妻の間に生まれた長男は、非常に繊細な心を持っている。HSC(ひといちばい敏感な人、環境性感受性が高い人)という気質の特性があるのではないかと目され、入学式会場に入れない、ひとりで登校できないことが続く。
人と接触できないわけではない。仲よしの友だちと遊ぶことはできる。でも先生を嫌いになったらすべてを拒否する。やがてそれは不登校に結びつく。
本書では小学校の入学式から約一か月半の息子の行動と親たちの悩みを日記形式で記していく。救いなのは両親がこの子を一番に考え、試行錯誤して出来ることを増やしていくことだ。原因が少しずつ明かされていくのは推理小説のようでもある。
遠い昔、集団登校のリーダーをしていた時、毎朝迎えに行き、泣いて嫌がる低学年の子を連れて行かなければならないのは辛かった。いまでは無理にそんなことはしなくなったのだろう。
最終章で2年生に進学したこの子の元気に登校する姿が紹介されている。これから先の人生、彼が苦しむことがもうないと良いのだけれど。
今年の五月、衝撃的な本が出版された。柴崎友香『あらゆることは今起こる』(医学書院二二〇〇円)だ。介護や看護の新しい知見や、身体的精神的な障害に対する当事者の記録をまとめた「シリーズケアをひらく」には名著が多いが、本書もまた驚きの内容だった。
芥川賞作家である著者は子どものころから「自分だけ違う世界に来てしまったのか」と感じることがときどき起こったという。みんなが分かっていることを自分だけ理解できない。約束を違えたり、一日に出来ることがとても少なかったり。頭の中に同時にいろいろなことが浮かび、行動の選択ができない。
その状態が発達障害といわれるなかの「ADHD」(注意欠如多動症)だと診断されたのは二〇二一年。一九七三年生まれの著者にしてみれば、立派な大人になってからだ。二〇〇〇年に刊行された『片づけられない女たち』という本を読んで、自分がそっくりだと気付いてから約二十年後だという。ちょうどそのころから「大人の発達障害」が取りざたされるようになったが、病院で診断を受けるのはハードルが高かったと語る。
だが検査を受けて診断がつき、薬を服用したことで生活が劇的に変わった。私が驚いたのはこの薬の効果だ。知人の精神科医に訊くと、ADHDにはかなりの確率で効果があるという。
本書では激変していく生活の様子が小説家の手によってありありと描かれていく。
当事者が語り始めたことで発達障害やADHDの存在が公けになり、それほど隠さなくなったのはこの十年ほどのことではないだろうか。
私自身は多分、ADHDの傾向はないと思うが、幼い頃から周りと違うことが苦しく、生きづらさを感じる人にとって強い味方になる本だろう。
横道誠『なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか』(発行ホーム社/発売集英社一七〇〇円)は四十歳で自閉スペクトラム症、ADHDと診断された京都府立大学文学部准教授が語るムーミン世界の新しい読み解き方である。
ムーミン・シリーズはスウェーデン系フィンランド人の女性作家、トーベ・ヤンソンが一九四五年から七〇年にかけて書いた9巻の幻想小説だ。絵本やアニメにもなり日本にも多くのファンがいる。
私は小学生の時にテレビアニメで知り、中学で小説を読んだ。アニメとはだいぶ印象が違っていたことをよく覚えている。
不思議な生物と人間界の関わりの物語についてここでは紹介しないが、今までもこの魅力に取りつかれ、ムーミンだけでなくトーベ・ヤンソンに興味を持つ人は絶えない。現在までたくさんの解説や解題書が出ている。
現在、自閉スペクトラム症やADHDなどいわゆる「発達障害」は病的なものではないという認識が広まっている。脳の特性として、多数派(ニューロマジョリティ)と少数派(ニューロマイノリティ)があり、ニューロマイノリティの横道にとってトーベが練り上げたムーミン物語は理解しやすく共感できるという。
一巻ごとに「一般的な読み方ではなく自分にはこう見えている」と語られる世界観は魅力的だ。この考察を踏まえ、もう一度読み返してみたくなった。
ニューロマジョリティであっても、ある日思いもかけない状況で心の病は襲ってくる。
東畑開人『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』(KADOKAWA一六〇〇円)は臨床心理士が一般市民向けにオンラインで行った心のケアに関する五日間の授業の講義録。
本書の一行目に私は惹きつけられた。
──こころのケアははじめるものではなくて、はじまってしまうものである。
「こころの雨の日」は突然来る。私がそうだった。
昨年、心が辛くてどうにもならなくなった。自分からは言い出せなかったが、気づくと周りの人に助けてもらっていた。ケアされることのありがたさが身に染みた。結局最後は専門家に頼ったが、気にかけてくれた友人たちには感謝している。
何かしてあげたいと思った時、具体的にできることは何か。本書はケアの一歩目から丁寧に導いてくれる教科書だ。心構えから方法論、具体的な技術まで、なるほどと頷くことばかり。心理学はこう使うのか、と膝を打った。
(本の雑誌 2024年12月号)
- ●書評担当者● 東えりか
1958年、千葉県生まれ。 信州大学農学部卒。1985年より北方謙三氏の秘書を務め 2008年に書評家として独立。連載は「週刊新潮」「日本経済新聞」「婦人公論」など。小説をはじめ、 学術書から時事もの、サブカルチャー、タレント本まで何でも読む。現在「エンター テインメント・ノンフィクション(エンタメ・ノンフ)」の面白さを布教中。 新刊ノンフィクション紹介サイト「HONZ」副代表(2024年7月15日クローズ)。
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