〈事実〉と〈真実〉のあり方を問う『こぼれ落ちる欠片のために』
文=梅原いずみ
学生の時に『MOMENT』『WILL』『MEMORY』で青春ミステリのほろ苦さの虜となった身として、三年ぶりとなる新刊を心待ちにしていた。本多孝好『こぼれ落ちる欠片のために』(集英社)は、著者初の警察小説。中篇が三作収録された連作集で、聞き込みが得意な捜査一課の和泉と、どうやって警察官になったのか心配になるくらい無口だけれど稀有な観察眼を持つ瀬良の男女バディものである。当初こそ瀬良のコミュ障具合に苛立ちを感じていた和泉だが、事件の捜査を通し二人は絶妙なコンビネーションを発揮していく。
本作で問われるのは、〈事実〉と〈真実〉の在り方だ。介護事業所に勤める若い男が殺された事件が主題の第一話で、和泉と瀬良は警察が調べた〈事実〉と犯人の語る〈真実〉には齟齬があると気づく。〈事実〉が明らかになれば、犯人の刑罰が軽くなる可能性もあった。しかし、取り調べが上手い和泉の先輩は言う。警察の仕事は、「捕まえたやつの罪を最大化すること」なのだと。
ともすれば危うさを内包するこの言葉の真意は、証言を頑なに拒み続ける容疑者が登場する第二話、少年誘拐事件の被疑者との攻防が描かれる第三話でより重みをもって、読者に迫ってくる。なぜなら各話で裁かれるべき犯人はみな、相応の覚悟をもって刑罰が重くなる方の〈真実〉を語り、逆に〈事実〉は語らない。警察の仕事が「罪の最大化」である以上、〈事実〉と〈真実〉どちらを選ぶかは明白で、だから和泉や瀬良、その他の警察官たちは葛藤する。著者が今回警察小説を選んだのは、この苦味を描きたかったからだろう。静謐な筆致が、物語に一段と深みを与えている。
一転して、月村了衛『虚の伽藍』(新潮社)は凄まじい物語だった。伝統仏教燈念寺派の若き僧侶・志方凌玄。彼はある出来事をきっかけに、裏社会の人間たちと手を組んでバブル期前後の京都の壮絶な利権争いへと参入していく。特筆すべきは、凌玄という主人公についてである。裏社会の顔役である和久良や頭脳派ヤクザの氷室など魅力的な人物がたくさん登場する中で、生来生真面目な僧侶の凌玄はひとり独特な異彩を放っている。なんせ凌玄の行動原理は、「真の仏法を護る」という揺るぎない信念。話が進むにつれて彼は、ヤクザやマフィア、業界の重鎮など永田町も顔面蒼白で逃げ出す京都の魑魅魍魎たちと時に手を結び、時に裏切り裏切られる。しかし、その歩みは止まらない。なぜなら凌玄にとって己の行いは、すべて真の仏法を護るためのものだからだ。たとえ千年の都の暗部にどっぷり染まろうと、そんなものは詭弁だという友の声さえ届かなくなろうとも、凌玄は目的に向かって突き進む。果たして、信仰という名の〈怪物〉に魅入られたのは誰であったか──。昨年刊行された著者の傑作長編『半暮刻』とはまた違う角度で描かれた、生ぬるさのない犯罪小説である。
信仰と人間の欲という繫がりで、麻宮好『龍ノ眼』(祥伝社)も紹介したい。ジャンルとしては時代小説だが、舞台となる石場村の秘密が次第に明らかになる構成などミステリ好きにもおすすめの長編である。
砥石によって豊かな生活を営む石場村に、隠密同心として潜入した多門と、亡くなった姉の死因を確かめるべく素性を隠して村長の息子に嫁入りした加恵。それぞれの思惑を胸に村人と交流し生活する二人は、「おりゅうさま」信仰や夜にしか外に出ない兄弟など、石場村の奇妙な風習や掟を前に推測を重ねていく。
豊かで潤った村だからこそ、多門や加恵、読者が石場村に覚える違和感の正体が明らかになった時には背筋が寒くなる。人間が人間であるがゆえに生じた愚かでどうしようもない欲望は、純粋だったはずの祈りをも黒塗りしてしまった。それでも物語全体には温かみがある。特に終盤のある場面からは、弱さを抱える人間を信じたいという著者の願いが感じられて胸が熱くなった。多門と加恵が互いに探っていた事件も、張られた伏線が丁寧に回収されて解決するので読後感も良い。
短編集は矢樹純『血腐れ』(新潮社)が本当に怖かった......ではなく、素晴らしかった。『夫の骨』『妻は忘れない』同様にノンシリーズ短編集で、収録作は六作。魂、血、骨、爪、声、影をテーマにしたホラー要素強めの物語ながら、驚きの仕込み方に著者が得意とするミステリ的な手法が活かされている。縁切り神社と血をめぐる表題作は謎解きが合理性を備えるゆえに怖ろしい結末にたどり着いてしまい、妹に頼まれて購入したネイルチップが日常の輪郭を崩していく「爪穢し」は世界が反転した後に、恐怖がひたりと襲ってくる。深夜に一気読みすると布団の中で震えることになるので、日の明るいうちに頁を開くことを強くおすすめする。怖かった......。
新人の作品は、第三十四回鮎川哲也賞受賞作の山口未桜『禁忌の子』(東京創元社)を。ある日、救急医の武田のもとに運び込まれたのは、顔どころか身体的な特徴も自分とそっくりな溺死体。武田に兄弟がいた記録はないが、他人の空似というにはあまりにも瓜二つすぎる。彼はいったい誰なのか? そんな謎から始まる長編医療ミステリで、武田は同じく医師で友人の城崎とともに調査を開始する。
著者が現役の医師のため医療現場の描写は迫力があり、中盤で発生する密室殺人、過去の秘密も衝撃的で練られている。また、登場人物たちの心理描写も細やかで、それゆえ倫理的な部分も納得がいく。二〇二五年に刊行予定の続編でも武田・城崎コンビの活躍が見られそうなので、今から大変楽しみである。
(本の雑誌 2025年1月号)
- ●書評担当者● 梅原いずみ
ライター、ミステリ書評家。
リアルサウンドブック「道玄坂上ミステリ監視塔」、『ミステリマガジン』国内ブックレビューを担当。1997年生。- 梅原いずみ 記事一覧 »